光華女子学園

今月のことば

平成16年7月のことば
最上の道を修める人は、
此岸から彼岸に趣くであろう。中村元訳(『ブッダのことば』1130)

生には二つの旅がある。一つは時間(生死)の中を行くホリゾンタルな旅であり、もう一つは自らの内なる実存(本源)へと向かい、永遠(涅槃)に行き着こうとするヴァーティカルな旅である。源信が「願はくは、われ早 く真性の源を悟りて、すみやかに如来の無上道を証せん」と言ったのは後者である。しかし、われわれは人として生まれ、自らの欲するところに随って人生を演出するが、生死の流れ(此岸)を断って涅槃の岸(彼岸)に趣(おもむ)くことが、われわれの辿(たど)るべき最上の道(無上道)であることを知らない。
ところで、われわれがやって来たところは本源であり(流出)、帰るべきところもまた本源であった(還源)。そこはわれわれが帰るべき永遠の故郷であり、生の源泉なのだ。そして、二つの本源の間(あわい)が生死輪廻する此岸の世界であり、われわれが意識的にヴァーティカルな旅を辿らない限り、生々死々するホリゾンタルな旅はいつ果てるともなく続いて行く。
それは道元の「須(すべか)らく回光(えこう)返照(へんしょう)の退歩を学ぶべし」という警句の中によく表れている。これまで外ばかり向いていた目を自らの内側へと回光(回向)返照して、本源(真性の源)へと立ち返るという意味であるが、学ぶべきは、あるいは修すべきは「退歩」であるとする彼の金言を、今日、われわれは真剣に考えてみる必要があるだろう。というのも、科学技術の進歩にともない、今や人類は宇宙へと飛び立ち、関心は地球圏外へと向けられつつある。しかし、個々の人間にとって、進歩とは未来であり、生き急ぐ時間であり、果ては、死を待つだけのあなた自身は、結局どこに辿り着くこともなく、生々死々する迷道の衆生に留まることになる。宗教とはいつの時代でも進歩ではなく、退歩なのだ。(可)

過去のことば

2023年

10月
8月
7月

2022年

5月
1月

2021年

2020年

11月

2019年

8月

2018年

2017年

11月

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

11月

2010年

2009年

12月

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

2002年

2001年

2000年

ページトップへ