光華女子学園

今月のことば

平成22年のことば
危ぶむなかれ 行けば わかるよ

石川県白山市にある明達寺(みょうたつじ)という真宗大谷派の寺院のご住職で、清沢哲夫という方(故人)がおられます。清沢哲夫氏は、仏教の近代化に大きく貢献された清沢満之(きよざわ まんし)先生(大谷大学初代学長)の孫として生まれ、清沢満之先生の弟子にあたる暁烏敏(あけがらす はや)先生のお寺(明達寺)を継がれた方です。この清沢哲夫氏の著書『無常断章』に次のような詩が掲載されています。
「道」
此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし
ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である
わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ
(昭和二十六年十月『同帰』所載)

皆さんこの詩を聞かれたことはございませんか。「聞いたことがあるような気がする」という方も結構おられるのではないでしょうか。実は、プロレスラーとして有名なアントニオ猪木さんが引退式のときに詠まれたのがこの詩です。この詩を初めて聞いた時、すごく力強い詩だなという印象を持つ一方、何か自信がなく、日々を不安に思いながら生きている自分に対して、温かく包みこみ、励ましてくれるような印象を持ったことを覚えています。今月は、真宗の宗教者である清沢哲夫氏が「道」という詩に込められた思いを、蓮如聖人御一代記聞書から考えてみたいと思います。
御一代記の155項に「仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ」という一文があります。これは言い換えると「仏法は今にて候」ということでしょうか。この「今」とは哲学的には、今は終わるときにわかり、終わるということは今がわかることでもあると捉えます。すなわち「仏法は今にて候」とは、「終わってみないと今が正しいかどうかなんてわからないのだから、今この瞬間をいかに大切にするかが大事なのですよ」という教えではないでしょうか。また、御一代記は次のように続きます。「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきく人は ながく不退にかなふなり」。すなわち「私たちの心を奪い、心を乱す色々な誘惑や困難がある人生の中で、自ら仏法を求めて仏に出遇う人にこそ、金剛の信心が与えられるのである」と説いておられます。   このように考えますと、「道」という詩には、「人生は、悩み迷い、困難の連続であるが、それはあなただけのことではありませんよ。結果なんて誰にもわかりません。終わってみて始めて良かった、失敗したとわかるのです。だからこそ、その生を生きる「今」を受け入れ、自らを大切にし、しっかりと今を生きていきましょう」という願いが込められているのではないでしょうか。(宗)

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