人を見れば仏と思え(清沢満之「和合の心」)
2001.05.18
われわれの社会ではときに眼を覆いたくなるような凄惨な事件が起こる。そんな時、私たちは事件に関わった人を激しく非難する。もちろん、被害者の気持ちを察してのことだろうが、翻って、そういう状況に自分が置かれていたら、もしかしたら加害者になり得たかもしれないという思いはないだろうか。
加害者はもとより、そんな危ういわれわれ人間の中にも仏となるべき種子が宿されていることを看破したのは、6年の修行の末に悟ったとされる釈尊であった。彼の悟りは、人間は本来仏であるという短い言葉に纏められるが、それは『華厳経』が「一切の衆生は悉く皆如来の智慧徳相を具有す」ということからも明らかである。ここには深く人間を見据えた釈尊の、人間に対する絶対の信頼と気遣いを見て取ることができる。
仏と成る(成仏)、あるいは悟りという出来事も、ひとり釈尊だけのものではなく、われわれにもまた拓かれ得る世界ではなかろうか。