独立者は常に生死巖頭(がんとう)に
立在すべきなり(清沢満之「絶対他力の大道」)
2001.06.18
ふと、これまで辿(たど)ってきた道を振返りたくなる時がある。思えば、よくぞ無事にここまで生きて来れたなと感じる。それは、死と背中あわせの存在であるという自覚をともなった思いでもある。気づけば、そんな生死の「綱渡り」の上に、ふらつきながら立っている「私」をみつける。横を向けば、倒れそうになる…、下を見れば奈落の底…。
そんな「綱渡り」の生活を、私たちは、何気なく過ごして生きている。しかし、生死の「綱渡り」であることに気づくと、人生は、恐い。
ならば、怖れおののき生きるしかないのか。表記の一文の後には、次の言葉が続く。「殺戮(さつりく)餓死(がし)固(もと)より覚悟の事たるべし」(殺されようと餓死しようと、もとより覚悟の上である)。「独立者」とは、この覚悟を持って、まさに「生死」の事実を真正面に生き抜く者をいう。満之は、「無限の他力」を確信した者こそが「独立者」の自覚を持つというのである。
その「無限の他力」(如来の働き)とは、一体何だろう…。何処に在るのか…、果たして、目に見えるのか…
己(おの)れの内から、次々とそんな問いが自ずと起こる時、「無限の他力」は、何処(どこ)でもない生まれつきもらい受けた我が心身にこそ、絶妙に働いていることに、私は、気づかされる。