学園案内

学園案内

建学の理念

建学の精神

真宗大谷派(東本願寺)門首夫人 故 大谷 智子 裏方(昭和天皇妃/香淳皇后の妹君)
真宗大谷派(東本願寺)
門首夫人
故 大谷 智子 裏方
(昭和天皇妃/香淳皇后の妹君)

光華女子学園は、故 大谷智子裏方が、昭和14年に「仏教精神に基づく女子教育の場の実現」を発願され、東本願寺をはじめ有縁の方々から物心両面の援助を受けて、昭和15年に開学されました。その建学の精神は、経典『仏説観無量寿経』の水想観にある一説「其光如華又似星月(そのひかりはなのごとしまたしょうがつににたり)」にちなみ、清澄にして光り輝くおおらかな女性を育成するにふさわしい名称として名づけられた校名「光華」と校訓「真実心(しんじつしん)」―仏の心(真実=自己を超えた広大清浄な心)―に込められています。私たちは、教育は単に知識、技能を習得させることにあるのではなく、人間形成、人格の完成を目指すものであり、学生が自ら真実の人間としての生き方を求める(自己を問い、自己を確立する)ようにするものでなくてはならないと考えています。この自己を問うということは、自らの力でできることではなく、「真実心」に照らしてのみできうることなのです。

光華

「光華」とは、親鸞聖人(1173-1262)が明らかにされた浄土真宗が所依とする経典の一つである『仏説観無量寿経』に表れる言葉である。この経典は万物が本来帰趨すべき理想世界としての阿弥陀仏(如来)の浄土に、今こそ我々も向かうべきであることを説いたものである。その中で「光華」とは、清浄仏国土の阿弥陀仏の光を華に喩えた表現である。
仏教において「光」とは、人知を超えた永遠の理法としての究極の智慧を意味する。その光を受けてはじめて、われわれの虚仮不実の身が照覧され、真実を求めての歩みが始まる。
すなわち光華女子学園は、真実の世界に目覚めることを指標として存在する。

真実心

「真実というは即ちこれ如来なり。如来は即ちこれ真実なり。」と仏陀(『涅槃経』)は明言する。すなわち真実心とは、如来(仏)の心のことである。そして、「仏心というは大慈悲これなり。無縁の慈をもって衆生を摂す。」と『仏説観無量寿経』に表れる。従って、真実心とは慈悲の心である。
我々が真実心を拠り所として生きるとは、慈悲の心をもって、他との関係を生きることにほかならない。なんとなれば、われわれは、目に見えるもののみならず目に見えないものをも含めて、時間的に空間的に一切のものとの関係・つながりの中にしか存在しえない、すなわち無我なる存在であるからである。

慈悲の心と女子教育

慈悲の心とは、要約すれば、他人の苦しみ痛みを我がこととして受け止め、その苦を除き楽を与えることであり、思いやりの心である。この慈悲の心は、お互いが他との関係の中にしか存在しえない無我なる自己の目覚めから発する。そこにすべてのものによって「生かされている私」の気づきが生じ、そこからすべてのものが性差をこえ、差別なき平等の存在であることに思い到る。
教育はつねに宗教と相俟って真実の人格を作り、宗教は教育によってこそその真実を伝えうるとすれば、本学の教育は、仏教精神、真実心=慈悲の心の薫習によって人格形成をおこなうことを主眼とする。ここに学ぶ人間は、自己に対しては自らを律し、他に対しては深い慈愛の心を育み、共に相和して永遠の世界をめざすものとなる。