人間と天界の絆を超え、 すべての絆を離れた人を私はバラモンと呼ぶ。中村元訳(『真理のことば』417)
2003.12.18
自らを省みず人の道を説く大人は多い。私はそれについて異議を挟むつもりは毛頭ない。なぜなら、仏教は人の道など説いていないからだ。仏教とは、文字通り、生死を離れ、仏と成る教えという意味であり、人の道を説くだけならばわざわざ仏教など持ち出すこともない。事実、そんなものを知らなくとも大人は臆面もなく人の道を説いている。しかし、仏教は違う。なぜなら、ともども生死輪廻の陥穽(かんせい)に淪(しず)み、徒に生々死々を繰り返すことになるからだ。
さらに言うなら、仏教は人間であることさえも超えて行こうとしている。親鸞はそれを「人・天に超過せん」(元は『無量寿経』にある)と言ったが、人(人間界)・天(天界)は三悪道(畜生・餓鬼・地獄)に比べれば、善き処には違いないが、それとても六道に輪廻する迷いの存在であることにかわりはない。
天国と地獄、この世とかの世、すべては虚妄の世界(幻影の世界)であり、宗教とはこれらに思いをはせることのように見えるが、そうではなく、宗教が目指す真実はそれらの彼方にある。この世にあっては、できる限り長命と幸せ多きことを願い、死しては天国に生まれることではなく、人間の絆を捨て、天界の絆を超え、すべての絆を離れた人であろうとしているのだ。このように、仏教は本来、人・天すべての繋縛(けばく)を離れた「全(まった)き人」(『スッタニパータ』)を目指しているのであり、それは真理に目覚めた覚者(バラモン)に他ならず、その真理によって幸せであれ!と説いているのが仏教なのだ。この「全き人」を宗教は「まことのひと」(親鸞)、「真人」(禅)、「完全な人間」(キリスト教、スーフィズム)とさまざまに呼ぶ。(可)