わたしと光華
光華女子学園での思い出や、これからの光華への期待など、
皆さんからお寄せいただいたメッセージを本ページで公開いたします。
皆さんと80周年への想いを共有し、思い出話に華を咲かせましょう。
大学 キャリア形成学部キャリア形成学科 2016年卒業 ペンネームみーまいさん
光華女子学園、創立80周年おめでとうございます。
講師や教授、職員といろいろなことを語り合えたことが私の学園生活での良い思い出です。
卒業して数年経過した今も、応援しています。
大学 文学部日本文学科 ペンネームしゅーくりーむさん
創立80周年おめでとうございます。
大学での楽しかった思い出は数多くあります。その中の一つが、駒先生(文学地理)の課外講義でした。京都観光、散策のような感じで、散策後は毎回、先生と参加学生とのお茶タイムでした。
子どもが大学生になった今は、子育てボランティアが私の楽しみとなっています。
高等学校 1992年卒業 杉原 美野子さん
平成4年3月光華高校を卒業後、武庫川女子大学家政学部被服学科に入学。テキスタイルアドバイザー1級と中高家庭科教員免許を取得し、高校講師→横浜のインテリア店のフランチャイズ1号店立ち上げスタッフとして勤務→大手学習塾等10年間学習塾勤務→主婦として家事育児に奔走する事10数年。アッという間に48歳です。50代をどう過ごすかと考えを巡らせていてこちらにたどり着きました。光華時代の親友と子どもの教育について語り合う日々を過ごしている今日この頃、やはり私たちの原点は光華高校にあると痛感します。多感な時代に生まれた気持ちは人生の土台となり、新たな世界を切り拓いてゆきます。
コロナ禍で思うようにいかないことが多く歯がゆい日々ですが、この世界をどう生き抜いてゆくか、それぞれが模索しそれぞれの未来を切り拓いて行く、それしかないと思います。頑張りましょう!私もいつか母校の教壇に立てる日を目標にアンテナを張り巡らせ、新しい家庭科を作って行きたいと思います。皆さまごきげんよう。
大学 文学部英米文学科 1975年卒業 的野(旧姓:鳥井)慶子さん
現在は、遠く離れ九州に住居します。光華女子大学での学生生活を時々懐かしく思い出します。私が学生であった頃の学園はその後進展を遂げ、世の人々の先に立って新しい教育体制を築いてこられたように思います。
私事ですが、光華女子大学文学部にて学ばせていただき、卒業後は福祉の道を歩み、さらに国外でのボランティア活動、そして現在では国内で生活する外国籍の方々の援助を目指しているところです。共に歩んで行けるような気がし力になります。
今後のご発展を遠方より見守らせていただきます。
大学 健康科学部心理学科 2021年卒業 ペンネームaiさん
80周年おめでとうございます。
大学を卒業し、少し時間が経ちました。大学生になりたい夢を追いかけ、なりたい自分を追いかけながら4年間過ごしました。辛いこと、苦しいこと、嬉しかったこと。たくさん思い出があり、今でも夢に出てきます。私にとって京都光華女子大学で過ごした4年間は、希望や夢がいっぱい詰まった日々でした。
今度京都へ来るときは、また夢を追いかけながら京都で過ごしていきたいと思います。大学で習ったことを胸に、さらに一層努力してまいります。
幼稚園卒園生 ペンネームかなちゃんさん
私が光華幼稚園を卒園したのは、いまから40年ほど昔のことです。
今は京都を離れ他府県におりますが、今でも園庭のお山やジャングルジム、お芋掘り、絵本室、日々の何気ない1シーンなど、なんとなくですが覚えています。担任の先生たちのことも覚えています。
社会生活に飛び込んだはじめの第一歩でした。
高等女学校 1948年卒業 文珠(旧姓:田中)孝子さん
私は昭和18年4月に光華高等女学校に入学し、23年3月、高等女学校最後の卒業生でした。
大谷智子裏方様が、女子教育のためにとお建てになった美しい立派な校舎と、アンツーカーの美しい運動場だったこと、東本願寺にことある時は、四条大宮駅から四条通りを歩いて烏丸通りを七条まで、東本願寺にお参りいたしました。
学校にことある時は、智子裏方様が時には可愛いお子様をお連れになりお見えになったことを思い出します。
終戦後、私たちはまた学校に通うことになりますが、食糧難、物資不足、配給制度で親たちは大変だったと思います。陸上部の人たちはアンツーカーの上を走りだされましたが、私たちは学校の制服や古い服をほどいて裏返し、「仕立て直し」を、野上先生に教えていただいたりして何でも自分で仕立て直しました。
卒業後は家の農業を手伝いながら、嵯峨流生け花、和裁、洋裁を習いました。昭和30年に網野町の妙心寺派末寺の福寿院に嫁ぎ、「また明日は」と夕日の沈む時間に晩鐘をつき、感謝して手を合わす毎日です。
おかげさまで91歳まで病気を知らずで、いそがしく動くことができたことは、御先祖様から両親からいただいた命に感謝し、あらゆる自然の恵みを受け、多くの社会の皆さまのおかげさまと感謝しています。
光華女子学園の益々のご繁栄と、先生方のご健康とご多幸をお祈り申します。若い皆さまには、今はどのようなことも勉強できる良き時代です。どうか御先祖様から続き御両親様からいただいたお身体の健康に充分注意し、良きお母様となり、あらゆる社会に活躍されますことをお祈り申します。
高等学校卒業生 ペンネームtakeさん
80周年、おめでとうございます。
光華で過ごした高校3年間は部活、部活の日々でした。
高校生という多感な時期に、たくさんのことを光華で学ばせていただきました。
また、部活だけでなく、勉強面でも先生方にはたくさんお世話になりました。
これからも光華女子学園の発展を願っております。
短期大学 家政科 1986年卒業 尾畑(旧姓:井関)裕巳さん
80周年おめでとうございます。
高校、短大と5年間の学びの中、校歌、恩徳讃、衆会、みほとけは、花まつりのうた等、真宗の歌の数々を教えていただき、皆さんと歌ってまいりました。
2年前に、実家の寺の12歳の甥が、還浄しました折りに、「みほとけは、ひとり嘆きて、み名呼べば………」と、自然と歌がでてきて、驚きました。
私にとって、悩み多き高校時代でしたが、30年を経てもなお、心に残る歌がありますことを深く感謝しております。
大学 文学部英米文学科 1988年卒業 大原(旧姓:坂田)佳世さん
18歳の時に初めて親元を離れて京都に来ました。大学生活への期待は大きく、ワクワクしたことを覚えています。
私は軟式テニス(今のソフトテニスですね)部に入部し、しっかり者の先輩たちやフレンドリーな後輩たちとともに、汗を流し、無心でボールを追ったことはすがすがしい思い出です。
3年生の時に友人に誘われて、学生会中央で活動することもできました。勉強は熱心ではありませんが、京都光華女子大学でのさまざまな人との出会いや経験は高校生活ではできなかったことで、自分に自信を持てる第一歩になったと感じ、感謝しています。
大学 文学部日本文学科 1988年 ペンネーム大分県在住さん
先日、コロナでステイホームの折、写真整理をしました。
光華での学生時代の写真を見ながら毎日豊かな日々を過ごしたことを思い出しました。地方から出てきて不安な気持ちでしたが寮のステキな先輩や同級生のおかげで楽しい学生生活が始められました。
多くの友人とも出会え京都という町を満喫し贅沢な時間を過ごせた大学の環境には感謝の気持ちでいっぱいです。
まだまだ落ち着かない世の中ではありますが皆さまにとって輝かしい未来でありますようお祈りしています。
大学 健康科学部看護学科 2019年卒業 新田 彩乃さん
80周年おめでとうございます。
陸上と看護の勉強を両立できるよう必死に頑張ってきた光華での4年間の日々は、社会人となった今でも自分の力になっているように感じます。
大学 こども教育学部こども教育学科 2020年卒業 多田 麻佑さん
創立80周年おめでとうございます!
4年間陸上と勉強を本気で取り組ませてもらい、とても感謝しています。
長かったようで短かった大学時代の時間は今でも私に自信と勇気をくれます。宝物です。ありがとうございました!
大学 人間関係学部人間関係学科 2011年卒業 ペンネームまーかさん
創立80周年おめでとうございます。
大学で過ごした友人たちとは今でも連絡を取り合う仲です。
大学では有意義な4年間を過ごすことができました。
高等学校 1952年卒業 冨田 君子さん
学園創立80年の文面を送付いただき立派になった校舎、すべてにおいて発展の様子に今さらに感無量。
私たちは昭和20年の終戦、翌年の高等女学校最後の入学です(昭和21年4月)。当時、公立は男女共学で急ぎ女子部だけの学校と・・・当時東本願寺は智子裏方様の学校で姉が2年生で在学、学徒動員で島津工場へリュックを背に通学していました。
私たちは二年生で6・3・3制ができ大変。当時、女学校はすべて変更、各学年単位の教材間に合わず、新聞紙の大きさの紙裏表に印刷され裏の字があまりよく見えずお互いに見せ合い一冊の本に作り直しての勉強でした。高3で初めて、日光・東京・箱根とお米を持参の修学旅行でした。
当時、グラウンドの真ん中、1/4くらいのところに四つ葉のクローバー、その周り赤土のトラックがあり、その運動場を囲むように2階建てのクリーム色の建物、屋根は薄いグリーン。裏の方に音楽室があり、2階から北西の方角に太秦が見渡せ、今の五条通は畑で各級、自由に花などを植えていました。
昭和23年の頃、光華の講堂で宝塚(月組 淡島千景)の地方公演があり、姉たちが手伝っていました。今思えば夢のようなお話です。姉たちの学年は女学校で卒業できました。姉は高校2回生です。この時代、学校に行けるだけでも恵まれていました。世の中は、混沌としたとき、それでも必ず良き時代がくると、楽しい学生生活。今でも当時の友達お互いに助け合ったりと会っています。
後になりましたが、智子裏方様は学校の行事があるとき必ずお見えになり、玉を転がすようなお声でお話をいただき、うっとりと聞いておりました。お子さまの上の方は女専で、妹さまは妹と同学年、同じように電車で通学なさっていました。
小学校 2002年卒業 佐藤(旧姓:蔭山)友紀乃さん
光華女子学園創立80周年、誠におめでとうございます。
私は、光華小学校に入学することができ、たくさんのことを学ばせていただきました。心温かい先生方にも恵まれ、とても充実した学校生活を送ることができました。
そんな私は、他の私立中学校に進学後、挫折することが何度もありました。その度に母校である光華小学校へと足が向き、先生方に元気を貰いました。先生方は温かく優しく迎えてくださり、背中を押してくださいました。そのお陰で前向きに頑張ることができ、今の私があると思っています。
こんなに心温かい先生方が居られる学校で恵まれた学校生活を送ることができ、心から感謝しております。
心温かい学園がこれからも永遠に発展されますことをお祈り申し上げます。
小学校 保護者 ペンネームM.Sさん
いつもワクワクしながら学校に行く小学生の息子を見ながら、明るい日本の未来を感じています。
新しい未来に向かって進化し続ける光華の一員として、学園80周年の節目を共にお祝いできることに感謝しております。
高等学校 1989年卒業/小学校 保護者 生野(旧姓:橋本)早由利さん
光華女子学園創立80周年おめでとうございます。
昭和58年に父がその当時の事務局長であられた新田寿先生と知り合いであるという御縁で受験、入学させていただきました。
現在の阿部恵木理事長のお父様であられる阿部惠年理事長が黒い袈裟を着て学生に挨拶をされている姿を思い出します。
私の6年間はバスケットボール部での厳しいクラブ生活です。中学の時の藤本堂之先生にはバスケを通して努力、忍耐、達成感を教わり現在に役立っております。勝負心を持ち、諦めない気持ちを貫くことの大切さを情熱をもって教えていただきました。あの先生に出会えたことは私の人生で最高の御縁であります。
あの頃はまだ中高の食堂が光風館の前にある庥窓館の1階で、2階、3階がクラブの合宿所でした。今回、新小学校設立に伴い、庥窓館が解体されると聞き、時代の移り変わりを感じております。
子どもも今年3月に光華小学校を卒業いたしました。私の担任でもあった稲垣智史教頭先生には親子共々お世話になりました。よく相談ものっていただきました。子どもの担任であった吉岡寛和先生は子どもと一対一で話していただき、子どもの目線に立って子供の気持ちをいつも考えてくださいました。子どもへの熱血で情熱ある対応に親子共々感謝いたします。
親子で素晴らしい先生方に出会えたことは光華という学校があればこそでした。ありがとうございました。益々の学園の発展を今後も期待いたします。
卒業生保護者 杉浦 佳美さん
創立80周年、おめでとうございます。
息子二人が、幼稚園、小学校とお世話になりました。二人が時折話す光華の思い出は、いつも笑いが絶えません。「よかった…」と温かい気持ちになってしまいます。
また、一人の保護者として、ふたば会、幸手会、そして奨学会と…何度かいただいた「お役」も今ではちょぴり誇れる思い出です(笑)
「バザー」「炊き込みご飯」…当時は一つ一つこなすだけで精一杯でしたが、そこに存在する、先生方、保護者の皆さまの「子供への想い」を何年経っても深く感じています。
息子も、そして私も充実した「光華」での生活でした。ありがとうございました。
大学 文学部英米文学科 1986年卒業/現教員 春田 みゆきさん
地方から京都に来て、光華女子学園に奉職した私にとって、京都での歴史はそのまま光華での歴史です。
特に大学の寮生活の思い出は鮮明です。当時門限が7時で大変規則正しい生活でした。
4人部屋での先輩、後輩との楽しい語らい。キラキラした青春の思い出です。
あれから38年。還暦を迎えたら皆で京都に結集し、母校を訪れる約束をしています。
また奉職後に出会った先生方、職員の方々、同窓会関係の方々からは私学人としての在り方、そして連綿と続いてきた「光華らしさ」を教えていただきました。時が流れてもそれはずっと変わらず続いてほしいと願います。
一生涯続く友や先輩方とのご縁を紡ぎ、私をいつも温かく支えてくれた愛すべき母校に心より感謝します。
中学校 在校生 橋本 苺花さん
80周年本当におめでとうございます。
私は今、京都光華中学校に通っている在校生です。入学してからの思い出はたくさんあります。いつも共に学校生活を過ごしている友達。いつも授業を楽しくしてくれている先生たち。いつもこの学園を整備してくれている職員さん、警備員さん。他にこの学園に関係している人たち。その方々のおかげでそのたくさんの思い出は作られています。
改めて振り返って、この学園に関わっているたくさんの人たちに支えられていると感じます。この学園が80年続いているというのもこの方々のおかげだと思います。
私はこの学園が本当に本当に大好きです。世界一愛していると言っても過言ではないです。
これからもたくさんの人に支えられて幸せな学校生活が送れているということを忘れないようにしたいです。本当にいつもありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。
私も学校と一緒に成長していけたらなと思います。これからも愛し続けられる素晴らしい学校であってほしいです。大好きです。
小学校 2000年卒業 橋本 直季さん
80周年おめでとうございます。
私は光華小学校を卒業して20年が経ちますが、先生やクラスメイトのことを考えると何故か鮮明に当時のことを思い出します。
私が在籍していた頃は1クラスだったので、6年間毎日同じクラスメイトと共に過ごしました。今でも言葉には表せないくらい仲間との絆は深いです。
最近はSNS等でみんなの近況を見て、励まされています。
先生方もいつも本当の親のように生徒一人一人と向き合ってくださいました。
現在は二児の父となり、上の子も来年小学校受験をする予定です。今は大阪に住んでいるので光華小学校に通うのは難しいのですが、、、。
先生方のように親身になってくれて、心の温かい先生に出会ってくれることを願っています。
大学 文学部日本文学科 1995年卒業 北川(旧姓:守口)郁代さん
この度は、学園創立80周年、おめでとうございます。
私事なのですが、昨年、KOKAエコアワードの表彰式に出席させていただきました。
25年振りの母校に足を運び、とても懐かしく思いました。
新しく綺麗な校舎もできているけれども、私が学生時代に過ごした場所もちゃんと残っていて、新旧が入り混じって、新しさと懐かしさで、感無量になりました。
そして学食もいただいたのですが、学生の方々が、とても素敵で真面目、そして勉強熱心で、素晴らしいと思いました。
文学部が無くなり、実は少し寂しさも感じていたのですが、学生の方々が、将来の「なりたい自分」を実現するために、しっかり頑張っておられる姿を拝見できて、とても嬉しく、頼もしく思いました。
我が母校が、益々の御発展される事を、心より楽しみに、そして願っております。
小学校 1999年卒業 堀本 俊紹さん
小学校在学中は携帯もなく、在学中も卒業してからも連絡を取るのに一苦労でした。
大学に行き始めた頃、SNSが発達してくると(私の時はmixiやfacebook)自然と皆が繋がって集まるようになりました。
素敵な小学校で、素敵な先生に見守られて、素敵に育った学友とお酒を飲むのはまぁ楽しくて、今でもよく集まります。
在校生よ!存分に楽しんで学校も先生も大いに活用して、素敵な大人になってください!
大学院 人間関係学研究科 2009年卒業 ペンネームよっこさん
創立80周年おめでとうございます。私は、他大学から光華の大学院に進学しました。
入学式当日から先生や職員さんがとても優しく丁寧に対応してくださったことにとても感動し、すぐに光華を好きになったことを今でも鮮明に覚えています。
在学中には、楽しいことも苦しくなるようなことも経験しましたが、いつも傍に先生や仲間がいてくれたことで何とか乗り切ることができました。
遠回りもしましたが、現在は、夢だった仕事につくことができています。光華は大きな大学ではありませんが、その分、先生や友達、先輩、後輩ともつながりが深く卒業してからも世代を超えて仲の良い関係が続いています。
光華という大学で出会えた方々に感謝し、ご恩を返せるよう誇りを持って働きたいと思っています。
大学 人間関係学部人間関係学科 2009年卒業 佐竹 美有紀さん
80周年おめでとうございます。
私は大学在学中、司書課程を履修しておりました。今は亡き谷口教授の授業は学生主体のものが多く、チームワーク力やプレゼン力を試されていたのを覚えています。学年を超えたチームで一つの課題に、取り組むことは他にない貴重な経験でしたので、谷口教授には感謝しきれません。
高等学校 2015年卒業 菊池 玲那さん
光華女子学園、創立80周年おめでとうございます。
6歳から18歳になるまで通った12年間は今の私の人生のうちのちょうど半分くらいになります。その12年間の中で出会った 「美しいひととなろう」 この言葉は今でも私の心に深く刻まれ、確実に今の“私”を形作る土台となっています。学校目標として掲げられていたこの言葉は、いつしか私の毎日の指針となり、私の一部ともいえるような気がしています。そしてこれはきっと、いま私が携わる芸術の世界において大きな鍵であり、私がさらに追求しつづけなければいけないテーマであると確信しています。このテーマを与えてくれたその場所にいつか自信をもって帰れますように。光華女子学園のさらなる発展をお祈り申し上げます。
短期大学部 ライフデザイン学科 2014年卒業 室生 芙紗子さん
21歳で短大部ライフデザイン学科に入学して、それまで「学校」に抱いていたイメージが変わりました。光華の先生方、職員の方々は、私自身も気づかなかった私自身の長所を尊重して、支援してくださり、光華で過ごした2年間は大切な思い出になりました。県外の短大へ行かせてくれた両親と楽しかった学園生活を提供してくれた唯一の「母校」、光華女子学園に感謝です。ありがとう。
大学 文学部 英米文学科 1975年卒業 的野(旧姓:鳥井) 慶子さん
こんなトラックを持つ学校なんて珍しい。当時(50年前)こんな風に言われていた。ここで私は約1年間練習を行った。大学1年生になって選手をめざすとはずいぶん遅い出発であったが、私としては念願がかない、意気揚々とトラックへ通った。だが1年もたたずに病に倒れ、走ることが出来なくなってしまった私。その後、10年ほどして、市民ランナーとしてマラソン大会に出るようになり再び走る喜びを持った。もうじき70歳台になろうかという現在、過去を振り返ると、何回かの決断が必要だった折々に“光華陸上部で走った” ということが私にどれだけ勇気を与えてくれただろうか。
お世話になった顧問の先生、一緒に走った方々、ありがとう。
短期大学 家政科 卒業生 瀬川 亥久子さん
昭和三十年代前半に学園へお世話になりました。田舎は、三重県の志摩です。短大 家政科Cコースで、全国からの友人と共に楽しい学園生活を送らせていただきました。
一学年上には、南部あつ子さんが居られ、陸上はなやかなりし時代でした。私は、バレーボール部でした。今、西の方へバスでまいりますと、私共の時代の校舎の一部が、幼稚園として使用されている様子に、なつかしく、身内の者にも「昔、ここに通っていたのよ。」と、ひとしきり話に花を咲かせています。八十五歳になった今ではなつかしい風景がよみがえってきます。
京都在住ですので、”ドールハウス作り”に寄せていただいたり、また、いつかの”ふかみぐさ”の総会には、小川 欣二先生の抹茶茶わんもいただいて帰りました。今、改めて手にとり、なつかしさはつきませんが、光華女子学園のますますの御発展をお祈りしております。
短期大学 家政科 卒業生 宇佐美(旧姓:織田) 恭子さん
光華女子学園創立八十周年、おめでとうございます。短大時代に、思いやりやさしさを持って人に接する事が大切と教えていただきました。道場先生の御指導のもと、はちす会のメンバーと共に御本山へお参りして恩徳讃を唱和し、合掌をした事も、良き思い出です。また眞心寮にては、美味しい夕食のお手伝いをして、料理上手な主婦となれました。現在私は、七十八才の後期高齢者ながら、年賀状にて県外の友達と交流を深めており、福井の仲間同志は東別院にて会える集会も楽しみです。
「人間とは 自分の一生をかけて成仏する(人間となる)ために歩むもの」
宮戸先生(滋賀県・慶照寺様)の法語
光華にて学んだ慈悲深い心に沿っているお言葉です。私の幼少時父親は中国にて戦死されました。育ててくださった祖父に光華女子大で勉強しなさいと、進めていただき、日々亡き人を尊びおかげ様の気持ちです。光華女子大卒のおかげにて今もなお、アイディア・ファイトありです。朝六時に鐘を撞き、坊守として仏事に励み、庭掃除や来客の接待等いたします。また時間のある時は習字教室に参加し、その他俳句、生け花も好き。今は百歳まで生きる人の多い時代故に、己も良く働き、学びを続け、身心共に快適でいたい思いです。光華女子大を崇め、先祖・父母に願われている身である事を念頭に、仏様を拝み日々暮らしたいです。本当にありがとうございました。光華女子学園は幼稚園児より大学生まで多くの生徒を育てられ学習もスポーツも輝かしいです。学園の皆さま、ふかみぐさの皆さま、今後もお元気でいられますよう、念じ上げます。
短期大学 家政科 卒業生 三宅 一美さん
80周年おめでとうございます。
学生時代、あたたかい恩師と友人に恵まれて、記憶に残る素晴らしい時間を過ごすことができました。
学業だけでなく、思いやりや優しさなど、人としての大切なことを教えていただきました。
光華女子学園で過ごした時間は、宝物です。