光華女子学園
創設者/故 大谷智子 裏方
昭和13年の春、東本願寺の大谷智子裏方(昭和天皇妃-香淳皇后-の妹君)が中国へ行かれた時、北京において北寧鉄路局の総裁で、大変な親日家でしかも東本願寺(真宗大谷派)に好意と信頼を寄せておられた陳覚生氏の夫人鮑蕙女史に会われた。その折、仏教精神に基づく女子教育の重要性について話し合われ、鮑蕙女史から亡き夫覚生氏の意思を継ぎ、氏の遺産40万元を寄付するから東本願寺によって仏教精神に基づく教育を行う女学校を経営して欲しい旨の申し出を受けられた。その時の随行長であった阿部惠水宗務顧問等の尽力により、同年9月17日、北京市西皮庫胡同の地に女子中学校が完成、陳覚生氏を記念して覚生女子中学校と名づけられ、大谷智子裏方は名誉校長に就任された。
大谷智子裏方は帰国後、覚生女子中学校のような仏教精神に基づく女子教育の場を、京都の地にも設けたいと願われ、阿部惠水宗務顧問に相談された。この願いを聴かれた由良浅次郎氏をはじめとする有縁の方々の篤志によって、昭和14年7月28日財団法人光華女子学園の設立許可申請が文部省に提出され、同9月15日設立認可された。翌15年4月11日、総裁大谷智子裏方臨席、阿部惠水校長のもと、高倉の仮校舎で光華高等女学校第1回新入生225名を迎えての入学式が行われた。事実上の開学式であり、ここに光華女子学園の歴史が刻まれ始めた。
光華女子学園は、真宗大谷派(東本願寺)第24代門首夫人の故大谷智子裏方が、「仏教精神に基づく女子教育」を発願し、東本願寺をはじめ有縁の方々から物心両面の援助を受けて設立された学園です。
その建学の精神は、校名「光華」と校訓「真実心」に込められています。
経典『仏説観無量寿経』の水想観にある文言「其光如華又似星月懸處虚空」にちなみ、清澄にして光り輝くおおらかな女性を育成したいという願いに基づき、お裏方により名づけられました。
※仏教において「光」とは、人知を超えた究極の智恵を意味し、その「光」を受けてはじめて混濁の世にある私たちの姿が明らかになり、「華」として自己の清浄性に目覚める歩みを始めることができるのです。
「真実心」とは「仏の心=慈悲の心」であり、今の言葉でいうと、他者への配慮、共に支え合う心、すなわち「思いやりの心」といえます。校訓「真実心」には、み仏の心に自らを問い自我に偏しがちな生活を正し、慈愛に満ちた人として生きて欲しいという願いが込められています。
本学園では校訓「真実心」に込められた願いを「光華の心」と表しています。
「光華の心」とは「向上心」「潤いの心」「感謝の心」の3つの心です。
本学で学ぶ全ての方々が「光華の心」の実践者として、常に「向上心」を持って日々を精一杯生き、自我に捉われることなく、
他者をあたたかく思いやる「潤いの心」と、他力により生かされていることへの「感謝の心」を忘れず、他者と共生できる女性、
即ち、社会を照らす「光」となり、社会を潤す「華」となる女性に育って欲しいと願っています。
「こ」
向上心
自己を問い、向上発展を目指す心。勉学や課外活動といった学校生活を通し、自己に問いかけ(自らの姿を明らかにし)、日々を精一杯生きること。
「う」
潤いの心
思いやり、慈しむ心。他者の立場を受け入れ、あたたかく思いやる気持ちを持って接すること。
「か」
感謝の心
生かせていただいていることへの感謝の心。自己中心的な自分を振り返り、支えてくださっている全てのものに感謝すること。