4月は新たなスタートです。希望と同時に不安なことがたくさんあると思います。また、現代は変化が激しく先行きが見えない時代でもあります。そのような中を生き抜くためにも我々に欠かせないのが「安心」できる場の発見ではないでしょうか。人生を旅行に例えるのであれば、楽しい旅行とは「旅行が終われば帰る場所がある」という前提があってこそだと思います。
現代でいう安心のイメージは、例えばお金に困っている人がお金持ちになれば安心、病気の人は病気が治れば安心など、今置かれている状況が自分の思い通りに変化すれば安心ということだと思います。
一方、仏教では安心を「あんじん」と読みます。また、内容についても「自分の思い通りになれば安心」ということではありません。仏教における安心を伝えるために母から届いた手紙の一部を紹介させていただきます。
学業やクラブ活動の結果に行き詰っていた高校時代の私に届いた手紙です。
「昨日斜里岳に雪が降りました。家のまわりの木も紅葉して道に落ち葉がたくさん散っています。お父さんと掃除をしながら、あなた達と落ち葉たきをしたことを思い出したりしてあなたが今とっても頑張っていることがお父さんもお母さんも嬉しくていつもあなたの話をしています。勝ち負けよりも今あなたが自分の力いっぱいに目を輝かしていてくれたらこんな嬉しい事はありません。困ることも苦しいことも恥ずかしいことも情けないこともたくさんあるとお母さんには分かります。お母さんも一緒に文句云ったり泣いてやりたいときもあります。でも全部人生にとって無駄な事や無駄な出会いはありません。きっとあなたが人間になってゆく為の佛様のおはからいです。皆様に感謝して周囲におこるいろいろな出来事も人間を育てる自分を育てる栄養として感謝して下さい。そして本当にあなたが限界にきたときお父さんもお母さんもあなたを信じていますので無条件に胸に抱き入れます。安心して帰って来て下さい。お母さんの病気で良く分かったと思いますが人はいつか病気に倒れまた死んでゆくものです。悔いの無い様にすごしてほしいものです。みんな死に向かって生きている仲間です。仲良くいたわってあげてください。・・・・」
この手紙は私にとって行き詰まりの原因である「苦」が「問い」という意味に変わるきっかけになりました。さらに無条件にそのままの私を包み込んでくれている場は今も人生の安心となっています。この手紙から約1年後母は病気で亡くなりましたが、今も南無阿弥陀仏となって私を励まし続けてくれています。
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