安心
2025.04.16
4月は新たなスタートです。希望と同時に不安なことがたくさんあると思います。また、現代は変化が激しく先行きが見えない時代でもあります。そのような中を生き抜くためにも我々に欠かせないのが「安心」できる場の発見ではないでしょうか。人生を旅行に例えるのであれば、楽しい旅行とは「旅行が終われば帰る場所がある」という前提があってこそだと思います。
現代でいう安心のイメージは、例えばお金に困っている人がお金持ちになれば安心、病気の人は病気が治れば安心など、今置かれている状況が自分の思い通りに変化すれば安心ということだと思います。
一方、仏教では安心を「あんじん」と読みます。また、内容についても「自分の思い通りになれば安心」ということではありません。仏教における安心を伝えるために母から届いた手紙の一部を紹介させていただきます。
学業やクラブ活動の結果に行き詰っていた高校時代の私に届いた手紙です。
「昨日斜里岳に雪が降りました。家のまわりの木も紅葉して道に落ち葉がたくさん散っています。お父さんと掃除をしながら、あなた達と落ち葉たきをしたことを思い出したりしてあなたが今とっても頑張っていることがお父さんもお母さんも嬉しくていつもあなたの話をしています。勝ち負けよりも今あなたが自分の力いっぱいに目を輝かしていてくれたらこんな嬉しい事はありません。困ることも苦しいことも恥ずかしいことも情けないこともたくさんあるとお母さんには分かります。お母さんも一緒に文句云ったり泣いてやりたいときもあります。でも全部人生にとって無駄な事や無駄な出会いはありません。きっとあなたが人間になってゆく為の佛様のおはからいです。皆様に感謝して周囲におこるいろいろな出来事も人間を育てる自分を育てる栄養として感謝して下さい。そして本当にあなたが限界にきたときお父さんもお母さんもあなたを信じていますので無条件に胸に抱き入れます。安心して帰って来て下さい。お母さんの病気で良く分かったと思いますが人はいつか病気に倒れまた死んでゆくものです。悔いの無い様にすごしてほしいものです。みんな死に向かって生きている仲間です。仲良くいたわってあげてください。・・・・」
この手紙は私にとって行き詰まりの原因である「苦」が「問い」という意味に変わるきっかけになりました。さらに無条件にそのままの私を包み込んでくれている場は今も人生の安心となっています。この手紙から約1年後母は病気で亡くなりましたが、今も南無阿弥陀仏となって私を励まし続けてくれています。
【同窓生の皆さまへ】2026年度からの男女共学化と学園名、設置校名の改称について
2025.04.03
平素より同窓生の皆さまには、母校・光華女子学園の教育活動に多大なるご理解と温かいご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたび学校法人光華女子学園は、2025年2月27日に理事会を開催し、以下の改革を決定いたしました。
1. 2026年4月より、大学・短期大学部・大学院ならびに中学校・高等学校を男女共学化し、幼稚園から大学・大学院までの全ての設置校において男女一貫教育を実施できる体制に移行する。
2.学園名を「光華学園」に、大学・短期大学部・大学院は「京都光華大学」「京都光華大学短期大学部」「京都光華大学大学院」と名称変更予定。
本学園は1940年の創立以来、建学の精神である仏教精神による人間教育を行い、多くの有為な女性を世に送り出して参りました。爾来、社会情勢も大きく変化すると共に男女の進学率はほぼ同等となり、本学園の取り組みが社会にわずかながらも影響を与え、女性の学習機会を拡充するという創立当初の理念はある程度実現できたのではないかと感じております。他方、グローバル化やデジタル化が急速に進展する現代社会においては、価値観の相違や経済格差などによる「分断」、さらには持続可能性の確保といった課題が新たに生じています。
この様な社会状況のなか、仏教精神を建学の精神とする本学園の役割として「Well-Beingな社会を共創する」という目標を新たに掲げ、その具現化に取り組むことといたしました。そしてその実現のためにも、あらゆる価値観を持つ人々がともに学び高め合い、ともに輝く社会の実現に向けた人間教育と、共創する人材育成を行うために男女共学化を決断いたしました。男女の隔てなく全ての人間を対象とする仏教精神の原点に立ち戻り、本学園の伝統である「まじめさ」「寛容さ」「落ち着きのある安全な環境」を大切にしながら、これまでにはない新しいタイプの共学校を創って参ります。
同窓生の皆さまにおかれましては、創立85周年を迎える母校が新たな歩みを進めるにあたり、今後とも格別のご理解、ご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。
2025年3月12日
学校法人光華女子学園
理事長 阿部 恵木
満足
2025.03.30
清沢満之の『満足の心』の中に出てくる「吾人には満足するということが必要である、不満を懐くほど苦しいことはない、また不満ほど見悪いものはない、世の中の争闘や苦痛は大抵不満足の念が根本である」という言葉がある。
この言葉にあるように人間は、不満に思うとネガティヴな考え方をすることの方が多いと思います。不満というのは、苦痛や争いなどいろいろな意味があります。さらに未来への絶望や意欲を失うこともあるかもしれません。それに対して「満足」は、未来に対する希望をもつことや、意欲がわくことと捉えることができます。なにをするにも不満を抱いていると、なにも進展しないことの方が多いとはずです。清沢満之が言いたいのは、現状に不満を懐き、やりがいを感じずに行動するのではなく、与えられた境遇に満足し、生きがい、やりがいを感じる方がいいということなのです。現状に満足していないと思っている人は多くいると思いますが、その中で少しでも楽しいとか、これをしてきて良かったと思えることが大切なのです。
この格差社会の中では、不満を感じることの方が多いかもしれないが、その中でも自分がやりたいことができていることは幸せであることしっかりと認識しないといけないのです。不満なことを見つけてしまうと、そこから他の不満も出てきてしまい不満ばっかりを感じてしまうようになります。そうなると考えかたがネガティヴになってしまい、ネガティヴになると周りの人へもマイナスの影響を与えてしまいます。それに比べて現状がどんなに大変であってもそれに満足をできる人は考えかたもポジティブになり、そうなると周りの人にもプラスの影響を与えることができます。さらにポジティブに考えることができると周りの人からも助けてもらえることが多いし、そこから人と人とのつながりが生まれます。
だからこそ清沢満之のこの言葉はすごく大切なのです。現状を少しでも満足に考えることができるようになるだけで変わる可能性があります。少しだけ自分の考えを見つめてプラスの考えに方向転換してはどうでしょうか。(宗)
2026年度 学園改革に関する記者会見を開催しました
2025.03.19
2025年3月12日(水)、本学 慈光館 太子堂において、「学校法人光華女子学園」の教育体制に関する大幅な改革について記者会見を開催しました。
会見では、阿部恵木理事長より、今回の改革に至った背景や本学園の歴史、そしてこれからの社会で求められる教育の在り方についてご説明しました。また、男女共学化、校名変更、新学部設置に込めた想いを語り、具体的な教育改革の内容やこれからの時代に必要とされる人材育成のビジョンについてもお伝えしました。
会見には報道関係者や教育関係者など、多数の方にご参加いただきました。質疑応答では、男女共学化の経緯や男子学生の受け入れに向けた取り組みなどのご質問を頂戴し、それぞれ一つ一つ丁寧にお答えする形で進行いたしました。
また、本学園が目指す『WELL-BEINGな社会の共創』という教育方針を示し、今後の教育の方向性について広く理解を深めていただく機会となりました。
阿部理事長は会見の中で、「本学の建学の精神は、仏教精神に基づく教育です。それは『自分とは』という深い人間理解を問いかけるものであり、自分とは凡夫(消し難い煩悩とともに生きるただの人間)であるということへの気づきを促す教育です。この自分とは凡夫であるということに頷けたとき、これまでと同じ世界を生きているにも関わらず、見える世界の景色が変わる、すなわち自分も他者もただの凡夫であり、同じ世界を生きる『同朋』であると受け取れる世界が拓けるのです。現代社会の多くの課題は私たち人間の欲望が生み出したものです。しかしそれは『私=凡夫』に問われている課題なのだと理解し、その理解を持った一人ひとりがこの社会を変えていこうという意思をもって共創を始めた時、この社会は変わり始め、健やかに暮らしたいという人間の本質的な願い:WELL-BEINGに近づいていくのだと思います。京都光華は、STAY BONBU, CO-CREAT WELL-BEINGを掲げ、京都一WELL-BEINGな人と社会を共創する学園を目指してまいります。」と改革への強い決意を語りました。
ご参加いただきました皆さま、日頃よりご支援くださっている皆さまには、心より感謝申し上げます。本学園は共学化を新たな転機として、仏教精神を基盤とした教育をさらに充実させ、より多くの人々が笑顔で暮らせる「WELL-BEINGな社会」の実現を目指します。今後とも一層のご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。
2026年度からの男女共学化と学園名、設置校名の改称について
2025.03.12
日頃より学校法人光華女子学園へのご理解ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
このたび学校法人光華女子学園は、2025年2月27日に理事会を開催し、以下の改革を決定いたしました。
1. 2026年4月より、大学・短期大学部・大学院ならびに中学校・高等学校を男女共学化し、幼稚園から大学・大学院までの全ての設置校において男女一貫教育を実施できる体制に移行する。
2.学園名を「光華学園」に、大学・短期大学部・大学院は「京都光華大学」「京都光華大学短期大学部」「京都光華大学大学院」と名称変更予定。
本学園は1940年の創立以来、建学の精神である仏教精神による人間教育を行い、多くの有為な女性を世に送り出して参りました。爾来、社会情勢も大きく変化すると共に男女の進学率はほぼ同等となり、本学園の取り組みが社会にわずかながらも影響を与え、女性の学習機会を拡充するという創立当初の理念はある程度実現できたのではないかと感じております。他方、グローバル化やデジタル化が急速に進展する現代社会においては、価値観の相違や経済格差などによる「分断」、さらには持続可能性の確保といった課題が新たに生じています。
そうした状況に鑑み、創立85周年を迎える本学園では、「これまでより良い感じになった」という実感を持てる「Well-Beingな社会を創る」という願いを掲げ、あらゆる価値観を持つ人々がともに学び高め合い、ともに輝く社会の実現に向けた人間教育と、共創する人材育成を行うために男女共学化を決断いたしました。男女の隔てなく全ての人間を対象とする仏教精神の原点に立ち戻り、本学園の伝統である「まじめさ」「寛容さ」「落ち着きのある安全な環境」を大切にしながら、これまでにはない新しいタイプの共学校を創って参ります。
今後とも本学園の教育・研究活動に変わらぬご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
2026年度改革特設サイトはこちら
【お知らせ】記者会見について(令和7年3月12日(水)13:00~)
2025.03.07
平素は本学の教育活動に格別のご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、学校法人光華女子学園では、2026年度に向けて教育体制の大幅な改革の実施に向けて鋭意準備を行っているところです。
つきましては、下記の通り記者会見を行いますので、ご多忙とは存じますが、ぜひご出席賜りますようご案内申し上げます。
日程 :2025年3月12日(水)
時間 :13:00~ ※受付開始時間 12:30
場所 :京都光華女子大学 慈光館6階 太子堂
〒615-0882 京都市右京区西京極葛野町38
内容 :学園改革の背景と目的
各設置校の改革内容
今後のスケジュール
質疑応答
出席者:光華女子学園 理事長 阿部 恵木
京都光華女子大学・京都光華女子大学短期大学部 学長 高見 茂
京都光華中学校・高等学校 校長 澤田 清人
光華小学校 校長 河原 聡子
光華幼稚園 園長 永本 多紀子
取材申し込み・お問い合わせ
学校法人光華女子学園
学園運営部 担当:松浦
[TEL] 075-325-5210 [E-mail] sougou@mail.koka.ac.jp
※準備の都合上、3月11日(火)12:00までに出欠のご連絡をメールにていただけますと幸いです。
2024年度「学園太子忌」を行いました
2025.03.05
2月21日(金)、本学園 光風館講堂にて、学園太子忌を行いました。
学園では、お釈迦様の誕生を祝う「学園花まつり」、宗祖親鸞聖人のご命日に聖人のご遺徳を偲ぶ「学園報恩講」、そして、聖徳太子のご命日に太子のご遺徳を偲ぶとともに、太子が日本にお広めになった仏教の教えを聞思する「学園太子忌」を学園三大行事として営んでいます。
法要には、各校園の代表(学生・生徒・児童・園児代表)や教職員が参加しました。
高校生・大学生代表による献灯・献花が行われた後、参列者全員で真宗宗歌を斉唱し、理事長や各校園長等をはじめ、各校園の代表園児・児童・生徒・学生による焼香が行われました。
続いて、各校園代表の児童・生徒・学生による感話があり、最後には真宗文化研究所の小澤千晶所長が感想を述べました。小澤所長は、「日々の黙想や合掌といった作法や今回のような宗教行事を、自分自身を見つめ直す機会として大切にし、自分を理解して成長できる人になってほしい」と締めくくりました。
2024年度「涅槃会」を行いました
2025.03.04
2月14日(金)、本学園 慈光館太子堂にて、釈尊(お釈迦様)入滅の日(=ご命日:2月15日)に、釈尊への報恩の意を表し、み教えを改めて聞思する機会として、涅槃会(ねはんえ)が行われました。
今回は、在校生を代表して光華小学校6年生と教職員が参列し、真宗宗歌や恩徳讃などの仏教賛歌の斉唱・焼香などを行いました。
司会より、本尊の脇のスクリーンに映し出された大涅槃図を観ながら、お釈迦様が、出家をされ、お悟りを開かれたことや、沙羅双樹のもとで入滅された様子についての説明がありました。
音楽法要、勤行に引き続き、京都光華高校の鈴木慎介先生による法話が行われました。
法話では、自身の経験を踏まえ、「人生において多くの苦難に直面することは避けられない」と述べ、「病気や死といった避けられない事実は変えられないものの、それに対してどのように感じ、どう向き合うかによって、私たちの生き方は大きく左右される」と語りました。そして、「どんなことが起こっても、それを自分の人生にとって大切なものとして受け止め、一度きりの人生を生き生きと過ごしてください」と結びました。
親鸞一人がためなりけり
2025.02.06
光華女子学園は校訓に『真実心』を掲げ、Well-Beingな社会の共創を目指し教育研究に取り組んでいます。2025年4月13日から始まるEXPO2025(大阪-関西万博)のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」であり、本学も共創パートナーとして参加いたします。具体的には食のバリアフリー化の技術開発と普及促進をテーマとし、本学が開発した嚥下調整食・機能性食品を紹介しますので、ご期待いただければと思います。
さて、本学が目指すWell-Beingとは「これまでより少し良くなった」と実感できることを意味していますが、現代社会は皆さんにとってWell-Beingに向かっているでしょうか。例えば、急速なグローバル化やデジタル化は、多様性を認めコンプライアンスを重んじる社会風土を醸成し、人口減による労働力不足を補い、コミュニケーションの輪を拡げ、ユーチューバーなど新たな職業を生み出すなど、私たちの生活を豊かに、多彩にしてくれました。
しかし一方で、地域特有の文化の否定、過度の社会的制裁、誹謗中傷の横行、拝金主義など負の側面も大きいのが現状です。この負の側面を生み出している原因を考えたとき、価値観の相違、勝ち組負け組、多数派少数派などによる人と人の「分断」が大きな課題であり、その分断を生み出す「人間」の問題が大きいと感じています。現代は大きな時代の変革期を迎え、私たちはゆとりがなく、疲弊し、その結果、「分断」を乗り越える知恵を出すよりも、多数派を形成することや、それに乗っていれば安心という雰囲気を生み出しているのかもしれません。しかし、例えば真偽が定かではない情報が飛び交い、それをもとに無抵抗な者に対し吊し上げとも取られかねない詰問や糾弾が続くようなことが日常で普通に起こってしまう現代社会は、仏教でいうところのまさに末法の世と言えるのではないでしょうか。
「阿弥陀如来の誓願はひとへに親鸞一人がためなりけり」。これは『歎異抄』にでてくる、「すべてのものを救うと立てられた阿弥陀如来の願いは、自分一人に向けられたものだった」との気づきを、親鸞聖人がお弟子さんに語っておられる場面のお言葉です。私たちは、自分自身に突きつけられた問題であるのに、「わたくしたち」や「社会」の問題といったように問題の主語をすり替え、当事者意識を持たず、自分は物事をよくわかっていると悦に入ってしまう自分。これこそが自分の本質であり、煩悩にまみれた姿なのだということを親鸞聖人ご自身もやっと気づいたと語っておられるのだと私は受け取っています。問われているのは常に自分であるという自覚、そして問われている自分の姿の本質は煩悩にまみれた凡夫であり、他者もそんな凡夫の一人である。一人ひとりに優劣はなく、比べる必要もなく、ただこの世を共に生きる一人の人間・凡夫である。このことを知ることが人間らしく、自分らしく生きるための全ての始まりであると思いませんか。
本学で学ぶ一人ひとりが浄土真宗の教えを基にする教育に触れることで、人々と共創でき、「これまでより少し良くなった」と実感できるWell-Beingな社会を創造できる人材として育って欲しいと願っています。
克己
2025.01.07
この言葉は『論語』の中で孔子が弟子に向けて述べた言葉「克己復礼(こっきふくれい)」として広く知られるものです。この四字熟語は文字通り、己に打ち勝ち、礼節に立ち返るというのがおおよその意味ですが、とくに己に克つこと(克己)の重要さを説く教説は『論語』のほかにも見られます。
西洋文化圏に目を向けてみると、プラトンが「己に打ち克つことこそ、最大の勝利である(最初にして最大の勝利とは、自分自身に打ち克つことである)」という非常に有名な言葉を残しています。他者に打ち勝つのみならず、自身に打ち勝つことの重要性を説いており、非常に含蓄に富んだ言葉であると言えます。
類似する教説はこれまで挙げたもののほかに、仏教にも見出されます。初期仏典として知られる『ダンマパダ』には次のような文言があります。
「戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の戦勝者である。(和訳については中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』参照)」
さらにジャイナ教の白衣派聖典(『ウッタラッジャーヤー』)に目を向けると、仏教のものと非常に類似した文言があります。なお、ジャイナ教とは仏教と同時期にインドで生まれた宗教ですが、仏教との共通点の多さから、両宗教は双子の宗教とも呼ばれます。
「勝利しがたい戦闘において百万人に打ち勝つ者にとっても、唯一の自己を克服することは最高の勝利である」(和訳については堀田和義「仏教が辿らなかった道 双子の宗教・ジャイナ教から見た仏教」参照)
両宗教の文献にこれほど類似した文言があるのは非常に興味深い点ですが、いずれにせよ自己に克つことは非常に困難な課題であり、なおかつ重要な目的として共有されていたことが窺い知れます。
ここで言及した文言は、文化の東西は違えど、その本質は近しいものであると考えられます。もし困難な局面に直面した時、その解決は古典の中に見出されるかもしれません。
