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2025 Summer KOKA World English Campを開催しました

2025.08.22

Well-Beingな社会の共創を目指す本学園では、「仏教とは本来、グローバルな視点を持つものであり、さまざまなルーツを持つ方々とコミュニケーションをとることで、自己理解が深まり、多様性と向き合う一歩が始まる」との考えのもと、グローバル教育に力を入れています。

 

その一環として、8月4日(月)・5日(火)に「2025 Summer KOKA World English Camp~One Small World~」を開催しました。今年で3回目の開催となる本イベントでは、園児から高校生までの総勢60名を超える参加があり、2日間にわたりAll Englishの環境の中でさまざまなアクティビティや異文化交流を行いました。

 

今回は、6人のゲストティーチャー(アメリカ・中国・オーストラリア・フィリピン・トリニダードトバゴ・スコットランド)に、それぞれの国の文化に触れることができるアクティビティを実施していただきました。

 

参加者たちは10名程度のグループに分かれてアクティビティに取り組み、体を動かしながら英語を使ったり、ゲームやお絵描きを通して異文化に触れたり、世界のお菓子を味わったりと、楽しみながら積極的に参加していました。

 


 

また、本学 こども教育学科の学生もサポーターとして参加し、各グループのリーダーとして活動をサポートしながら、参加者と一緒に楽しい時間を過ごしました。

 

 

2日間にわたるプログラムの最後には、小学生はチームごとに英語で劇などの出し物を披露し、中高生はゲストティーチャーの出身国についてスライドを使って英語でプレゼンテーションを行いました。終了時には一人ひとりに修了証が手渡され、「See you next year!」の挨拶とともに、笑顔で2日間のプログラムを締めくくりました。

 

夏季休業日のお知らせ

2025.08.08

本学園では、8月9日(土)~8月17日(日)の期間、夏季休業日といたします。
同期間中は各部署における窓口対応や電話応答ができませんのでご了承いただきますようお願いいたします。

 

また、郵送物やメールでのお問い合わせ等につきましても、8月18日(月)以降のご対応となります。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

「濁世の目足」(『浄土文類聚鈔』)

2025.08.05

 「濁る」で思いつくのが、日本語の濁音(だくおん)である。「かき(柿)」と「かぎ(鍵)」や「ふた(蓋)」と「ぶた(豚)」ように濁点「〝」の有無によって全く別の言葉になってしまう学びは、小学校を入学したての「ひらがな学習」の一環として1年生は、国語の教科書に学んでいく。
 たまたま道を歩いていると、お寺の掲示板が目に止まった。「口が濁ると愚痴となる」と・・・。「誰の言葉だろう」と気になり、検索してみると、この言葉には続きがあった。
口が濁ると愚痴となり/意志が濁ると意地となり/才が濁ると罪となり/徳が濁れば毒となり/
戒が濁れば害となり/本能が濁れば煩悩となり/報恩が濁れば忘恩となる。あな恐ろしや人の濁りは!
 結局、誰の言葉かは分からなかったが、小学1年生で習う濁点「〝」の有無によって全く別の言葉になる学びは、幼少の時を超え「ドキッ」と我が身の胸に突き刺さった。
 今月の言葉「濁世の目足」は親鸞聖人の言葉である。親鸞聖人は濁世の中で、生きられた方である。

 

地震や大火などがあいつぎ、さらに飢饉や疫病などのために、死者が都にあふれ、その死臭が人々の不安をいっそうふかいものにしていた。誰も彼も、悲しみや苦しみに耐えながら、その日一日を生きぬくことに精一杯であった。『宗祖親鸞聖人』(東本願寺)

 

 現代社会における濁世とは何か。様々な社会問題が複雑に絡み合い、人々の生活が困難になっている状況を指す言葉として使われることが多い。例えば、貧困、少子高齢化、環境問題、格差、紛争など、多岐に渡って挙げられる。濁るということは、大事なものが見えにくくなるということである。水槽の水が濁れば、中の魚も見えない。あらゆる情報の中で、世間の価値に一喜一憂しながら、煩悩を抱える私は、世の中の濁りは中々見えないし、濁っていることにも気がつかないのである。
 「濁世の目足」とは、先の見えない不安な世の中を歩んでいくための、目となり、足となるということ。濁世の中におって、本当に正しいものを見る目をいただく、そして厳しい現実を歩む足をいただく。親鸞聖人は、その目と足を、お念仏の世界だと教えてくれる。どんな時代や境遇においても、世間の価値に振り回されて生きる私を受け入れながら、仏の教えに聞き、目と足をいただいていきたいものである。

第5回 英語教育フォーラム ~つなぐ・つなげる・つながる 明日の英語教育~を開催します

2025.08.02

9月7日(日)、本学園において「第5回 英語教育フォーラム」を開催します。
本フォーラムでは、各分野の第一線でご活躍中の登壇者をお迎えし、それぞれの登壇者が今一番大切にしたいと考える英語教育の視点についてご講演いただくとともに、本学園の一貫英語教育の実践も報告させていただきます。
「明日の英語教育を考える 〜つなぐ・つなげる・つながる〜」をテーマに、多様な観点から英語教育の現在と未来について考える機会にしたいと考えております。校種、ご専門を問わず、学校現場の先生方、将来教員を目指す学生、子どもをもつ保護者の方、広く英語教育に関心のある方など、ぜひご参加ください。

 

日  時:2025年9月7日(日)13:00~17:10
会  場:光華女子学園 光風館(五条通り南側小中高敷地内)
実施方法:対面およびオンライン(YouTube限定公開)
※限定URLは9月4日(木)にご登録のメールアドレスへお送りします。
講  師:早川 優子 氏(文部科学省 初等中等教育局 外国語教育推進室)
泉 惠美子 氏(関西学院大学 教育学部副学部長・教育学研究科 教授)
バトラー 後藤 裕子 氏(ペンシルバニア大学 教育学大学院 言語教育学部 教授)
コーディネーター:田縁 眞弓 氏(京都光華女子大学 こども教育学部 教授)

申込方法:こちらからお申込みください。

 

詳細については、こちらからご覧ください。

 

<お申し込みに関するお問合せ>
学校法人光華女子学園 学園運営部
E-mail:kokaenglish@mail.koka.ac.jp
TEL  :075-325-5216(平日9:00~17:00)

「こうじゃないといけない」が人を傷つける

2025.07.31

 情報化社会の中で様々な意見を受け取り、また発信しやすくなった世の中で、その反面、自分の意見と異なるものや新しいものを受け入れられず、人々がぶつかり傷つけ合うような場面を見聞きします。SNS上での炎上や誹謗中傷などはその主な例であると言えます。

 「こうあるべきだ」「これだけは譲れない」など、それぞれの「良い」とか「真っ当」言わば「正しさ」がぶつかり合っています。世界各地で絶えない紛争や政治的対立も根底にあるこの心理が大いに影響しているのではないでしょうか。

 「正しさとはなにか?」に答えを求めようとする行為そのものが、非常に危険なのではないかと感じます。私たちは自分の「普通」「当たり前」にこだわり、それ以外のものを認めることが苦手です。仏教では、「こうでなければならない」という思い込みや期待のことを「執着」と呼び、苦しみの原因とされています。永続しないもの(無常)に価値や意味を固定しようし、執着が生まれ、そのことが期待や不安、失望を誘発し、心が乱されます。

 私たちはつい、自分の価値観こそが正しいと思い込みがちですが、仏教は「諸行無常」、すべてのものは移り変わると説きます。固定観念に執着せず、他者の考えや立場を受け入れる柔軟さを持つことが、争いや傷つけ合いを減らす第一歩になるのではないでしょうか。「正しさ」を競い合うのではなく、違いの中に学びを見出す心のあり方が、現代社会においてますます求められます。「こうじゃないといけない」を一度脇に置いて、違いをそのままに認め合う姿勢こそ、心の平穏と調和ある社会への鍵であると、仏教の教えは私たちに示してくれています。

2025 Summer KOKA World English Camp ~One Small World~ を開催します

2025.06.23

8月4日(月)・5日(火)に、本学園において「2025 Summer KOKA World English Camp~One Small World~」を開催します。2025 Summer KOKA World English Campとは、園児から高校生までを対象に、英語だけの環境の中、2日間にわたり異文化交流を楽しむイベントです。
当日は、世界6か国(アメリカ・中国・オーストラリア・フィリピン・トリニダードトバゴ・スコットランド)から集まったゲストティーチャーのもと、それぞれの国での遊びやゲーム・文化・生活などについて教えてくれます。
英語に不安をお持ちの方でも、本学の大学生がファシリテーターとしてサポートしますので安心してご参加ください。

夏休みは、光華女子学園でミニ英語キャンプを楽しみましょう!

 

◆開催日時
【園児対象】 ※年長のみ対象
日 時:8/4(月)10:00~12:00
    8/5(火)10:00~12:00
定 員:25名
参加費:4,000円

【小学生対象】
日 時:8/4(月)10:00~15:30
    8/5(火)10:00~15:30
定 員:40名
参加費:7,000円

【中学生・高校生対象】
日 時:8/4(月)13:00~15:30
    8/5(火)13:00~15:30
定 員:20名
参加費:5,000円

 

◆開催場所
京都光華女子大学 光耀館(こうようかん)2F教室

 

◆申込方法
こちらから申込登録してください
※お申込みいただいた後、振込先をメールでご連絡いたします

 

◆申込期間
6月23日(月)~7月15日(火) ※定員に達し次第受付終了

 

◆問合せ先
kokaenglish@mail.koka.ac.jp

 

詳細については、こちらからご確認ください。

信頼は最高の友(ダンマパダ)

2025.06.04

 今月は幸福について考えてみます。取り上げるのは,『ダンマパダ(法句経)』第15章,「スッカ(Sukha)の章」です。「スッカ」は「幸福」や「安楽」,今風にいうと「ウェルビーイング」(Well-being)を意味し,「幸福とは何か」を主題にした章といえます。
 ここでは,怨みを抱かないこと,貪りの心を鎮めること,病を離れること,そして,勝ち負けにこだわらないことなどが「幸福」であると説かれます。そして204偈で次のようにいわれます。
 

 健康は最高の利益,満足は最上の宝,信頼は最高の友,涅槃は最上の幸福である。
 

 今回は「信頼は最高の友」という部分に注目します。私たちは日々,他者との関係の中で生きています。しかし,友人関係がうまくいかない,相手の言葉に傷ついてしまう,なかなか心を開けないなどといった経験は誰にでもあります。
 なぜ他者との関係は難しいのでしょうか。それは,わたし自身が外ばかりを見て,自分の心の動きに無関心でいるからかもしれません。たとえば,相手に対してイライラしたとき,なぜそう感じるのかを振り返ることなく,ただ相手の問題だと決めつけてしまう。嫉妬や不安を感じても,その感情の根っこにあるものを見つめようとしない。このようにして自分の心の動きに気づかないまま過ごしていると,他者の気持ちも理解できず,結果として信頼関係を築くことが困難になってしまいます。
 だからこそ,まず自分に向き合い,自分の感情や反応に注意深く自覚的でいることが必要だとブッダは教えます。怒りが湧いたとき,「なぜ今,怒っているのだろう」と一歩立ち止まって考える。悲しみを感じたとき,その感情を否定せずに,「今,わたしは悲しんでいる」と素直に受け止める。このような自分への気づきが,他者への理解と信頼の土台となります。
 SNSなど情報が錯綜する昨今,私たちは外からの情報に振り回されがちです。そうして,じぶん自身の内面や,目の前にいる具体的な他者の存在を忘れてしまいがちです。画面の向こうの無数の人々に意識を奪われ,今ここにいる自分と,実際に関わりを持つ人々への注意がおろそかになってしまう。
 真のウェルビーイング,真の幸福は,このことを自覚することから始まります。外の世界に答えを求める前に,まず自分の心を静かに見つめる。丁寧に自分の感情の動きを確かめる。そうしてはじめて,他者を本当の意味で信頼し,ともに歩んでいくことができるのです。
 このように考えると,涅槃という最上の幸福に向かう道は,わたしたち一人ひとりの心の中にあるのかもしれません。(中村元『真理のことば・感興のことば』, pp. 37-39)

他人に迷惑をかけない生き方とは

2025.05.16

 「他人に迷惑をかけたらあかんで。自分のことは自分でしいや。」と両親によく言われたものです。このことを守り、過ごしてきたつもりですが、振り返ると家族はもちろんのこと親戚や地域の方、職場の方など、周囲に迷惑ばかりかけている私がいます。それでも「周囲には迷惑をかけないように。」と今も過ごしています。皆様はいかがでしょうか。

 今から50年程前、ある12歳の少年は自らその命を絶ちました。少年の父・高史明(コ・サミョン)氏は、わが子を亡くした後、親として何ができたのか、泥濘にはまったように思い悩む日が続き、悲しみに暮れます。その後、親鸞聖人の教えと歎異抄に帰依され、「いのちの尊さ」について深く考えるようになられたと言われています。

 亡くなられた少年(岡真史さん)の自殺の理由は明らかにされていませんが、死の直前まで書き綴った詩集「ぼくは12歳」では、一見すると微笑ましいものがありつつも、寂しさや孤独を感じさせるものが含まれています。また、周囲とのコミュニケーションの難しさ、生死観が表れており、少年の繊細な感性がうかがえます。その一つにこのような詩があります。

 「ぼくの心」

 からしをぬったよ 体に そうしたら ふつうになったんだ よっぽど あまかったネ ぼくの心って

 父の高氏は、「自分のことは自分で責任を取りなさい」「他人に迷惑をかけてはいけない」ということを、息子の真史さんが中学生になった時に伝えられたそうですが、こうした言葉が息子を追い詰めたのではないかと、後に振り返って思うようになったと言われています。

 「他人に迷惑をかけてはいけない」という言葉。私も自分の息子によく使っていましたが、相手を大切に思うからこその言葉だとは思います。しかし、これを「人に頼ることはよくないこと」と解釈してしまうとどうでしょう。問題を自分で抱え込み、解決できない自分に自信がなくなり、行き場のない生き辛さの中で、生活しなければならない状況に追い込まれます。

 私たち、大人も子どもも皆、お浄土に向かう同朋であり、お互いに支え合い生きています。決して誰かの助けなしに生きていくことはできません。さまざまなご縁をいただき、そのおかげで今私はここにいる。そのことがわかってはじめて共に生きることができるのだということを、お念仏の教えによって改めて気づかせていただくのです。

2025年度「学園花まつり」を開催しました

2025.05.01

4月18日(金)、本学園において幼稚園から大学、大学院までの全設置校の各校園が一堂に会する「学園花まつり」を行いました。

 

この行事は、仏教をお開きになったお釈迦さまの誕生日を祝う会であり、またお釈迦さまが深く問われた、「人生をいかに生きていくか」、「本当に歩むべき道は何か」について園児・児童・生徒・学生と教職員が自分に問いかける機会として、本学園の創立当時から続けている大切な行事です。

 

当日は、小学生マーチングバンドや中高吹奏楽部の演奏、中高バトントワリング部等によるパレードや、小学生が引く白象の行進から始まり、パレードの最後には東本願寺の公式キャラクターである鸞恩(らんおん)くん、蓮(れん)ちゃん、あかほんくん、京都光華女子大学学生会のマスコットキャラクターのはなたんが登場し、園児たちは大喜びでした。

式典では中高の生徒が持参したお花の献花や、中高吹奏楽部・軽音楽部・聖歌隊による讃歌を取り入れ、華々しい雰囲気で法要が行われました。

 

 

真宗文化研究所の太田蕗子講師による法話では、「私たちは生きていくうえで他の生き物の命を頂いているということに感謝し、食べる時には『いただきます』としっかり手を合わせてください」といったお話があり、命に感謝する心の大切さが語られ、あらためて考えさせられる機会となりました。

 

 

また、各校園の玄関にお釈迦さまの誕生仏をおまつりし、在校生が自由に甘茶を灌仏できるようにして、学園全体でお釈迦さまのご誕生をお祝いいたしました。

 

学園花まつり終了後、園児・児童には「子どもも大好き!あまくておいしいココナッツスパイスカレー」、生徒・学生・教職員には「アレルゲン対応トマトツナカレー」が振舞われました。本学園では、学園花まつり当日に、お釈迦さまのお生まれになったインドを代表する食事であり、また老若男女に好まれる日本の国民食である「カレー」を全ての校園の在籍者(学生~園児)、教職員へ提供しています。

 

 

このカレーは、”学園花まつり”をカレーを食べる日にし、楽しくお祝いをしようとの企画で、2023年、本大学 健康栄養学科で管理栄養士や栄養士を目指す学生に対して行われた、「老若男女の健康を考慮したカレー」をコンセプトとした「健康カレーレシピコンテスト」で子ども向けの部、一般向けの部でそれぞれ最優秀賞を受賞したカレーです。いずれもアレルギーにも対応したカレーとなっているため、アレルギー体質の方も安心して食べることが出来ます。

 

■「健康カレーレシピコンテスト」の詳細はこちら

 

同じ時間、同じ場所で皆が笑顔で同じカレーを食べ、光華女子学園の一人一人の心の繋がりを感じる一日となりました。

 

 

安心

2025.04.16

4月は新たなスタートです。希望と同時に不安なことがたくさんあると思います。また、現代は変化が激しく先行きが見えない時代でもあります。そのような中を生き抜くためにも我々に欠かせないのが「安心」できる場の発見ではないでしょうか。人生を旅行に例えるのであれば、楽しい旅行とは「旅行が終われば帰る場所がある」という前提があってこそだと思います。
現代でいう安心のイメージは、例えばお金に困っている人がお金持ちになれば安心、病気の人は病気が治れば安心など、今置かれている状況が自分の思い通りに変化すれば安心ということだと思います。
一方、仏教では安心を「あんじん」と読みます。また、内容についても「自分の思い通りになれば安心」ということではありません。仏教における安心を伝えるために母から届いた手紙の一部を紹介させていただきます。
学業やクラブ活動の結果に行き詰っていた高校時代の私に届いた手紙です。
「昨日斜里岳に雪が降りました。家のまわりの木も紅葉して道に落ち葉がたくさん散っています。お父さんと掃除をしながら、あなた達と落ち葉たきをしたことを思い出したりしてあなたが今とっても頑張っていることがお父さんもお母さんも嬉しくていつもあなたの話をしています。勝ち負けよりも今あなたが自分の力いっぱいに目を輝かしていてくれたらこんな嬉しい事はありません。困ることも苦しいことも恥ずかしいことも情けないこともたくさんあるとお母さんには分かります。お母さんも一緒に文句云ったり泣いてやりたいときもあります。でも全部人生にとって無駄な事や無駄な出会いはありません。きっとあなたが人間になってゆく為の佛様のおはからいです。皆様に感謝して周囲におこるいろいろな出来事も人間を育てる自分を育てる栄養として感謝して下さい。そして本当にあなたが限界にきたときお父さんもお母さんもあなたを信じていますので無条件に胸に抱き入れます。安心して帰って来て下さい。お母さんの病気で良く分かったと思いますが人はいつか病気に倒れまた死んでゆくものです。悔いの無い様にすごしてほしいものです。みんな死に向かって生きている仲間です。仲良くいたわってあげてください。・・・・」
この手紙は私にとって行き詰まりの原因である「苦」が「問い」という意味に変わるきっかけになりました。さらに無条件にそのままの私を包み込んでくれている場は今も人生の安心となっています。この手紙から約1年後母は病気で亡くなりましたが、今も南無阿弥陀仏となって私を励まし続けてくれています。