新型コロナウイルスワクチン予防に係る大学拠点接種終了のお知らせ
2021.09.22
本学園は、9月21日(火)・22日(水)の2日間、本学の学生、教職員および同居家族に加え、地元企業の方等、1,000名を対象としたワクチンの大学拠点接種2回目を実施いたしました。
8月に実施しました1回目接種と同様に、学内教職員で組織する新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム中心の運営で行いました。コロナ禍での「密」を回避するため、受付時間の分散や検温・消毒などの事前受付の設置など工夫し、ソーシャルディスタンスを確保することで、接種対象の皆さまが安心・安全に接種を受けられるような環境整備に努めました。
当日の接種オペレーション(受付、予診票確認、予診、薬液充填・充填チェック、接種・接種補助、接種後経過観察)は、医師免許・看護師資格を有する本学教員および関係医療機関のご協力のもと行いました。
今回の2回目ワクチン接種においても、重篤な副反応を発生した方はおらず、無事に終えることができました。
今後も、本学園は学生・生徒・児童・園児・教職員等、学園関係者の健康と安全・安心を守り、学校生活を安心して送ることができるように努めてまいります。
【本件のお問い合わせ先】
学校法人光華女子学園
新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム
[E-mail] vaccine@mail.koka.ac.jp
その用事が何であったか
2021.09.08
「不要不急の外出を避けるように・・・」
第5波とよばれている、未だおとろえを見せない新型コロナウイルスの感染拡大に不安な生活を強いられています。ニュースなどで毎日のように聞くこの四文字の言葉は、三密を避け、感染拡大を抑えるための大切な呼びかけではあるが、一方でマンネリ化し、言葉だけが虚しく過ぎ去っていく感は否めないのではないでしょうか。日々の新規感染者数で一喜一憂する私たちは、何が「要」で何が「急」なのかは、今も多くの人が頭を悩ませています。
今月の言葉「その用事が何であったか」は、杉山平一さんの「生」という詩の中で問いとし私たちに語りかけてくれています。
ものを取りに部屋に入って 何を取りに来たのか忘れて 戻ることがある
戻る途中でハタと思い出すことがあるが
その時はすばらしい
身体が先に この世に出てしまったのである
その用事が何であったか
いつの日か思い当たる時のある人は幸福である
思い出せぬまま 僕はすごすごあの世へ戻る
誰もが皆意識してこの世に誕生して来た人はいません。気がついたらこの世に生を受けていたのです。日々の生活の中で、忘れたことを思い出すように、気づいた人はすばらしいです。しかし、また、思い出せずに命を終えていくのも私たちです。
私たちには、「この世に出てきた用事」があります。用事とは、言い換えれば私たちが「何のために生まれてきたのか」という人生の根本的な問題です。
この世界に生まれて、本当に大切なことに出会わなければならないことを蓮如上人は、「宝の山にいりて、手をむなしくしてかえらんにことならんものか」という言葉で表しています。それは、宝の山の中に本当は入っているのに、それに気づかず、何も手にすることなく帰っていってしまうことを、例えられています。杉山さんの詩は、本当は「なぜ自分は生まれてきたのか、何のために生きているのだろうかと」と、根底に問いかけをいただいているといえましょう。生まれてきたものは、老い、病になり、必ず死ぬことを、誰もが知っています。しかし、日頃は不安と恐れを心の底に隠して、見ないように、触れないように、考えないようにして、それを見ずに過ごしてしまっている私がいます。
「なぜ、生まれて、なぜ生きるのか。」人生の用事をいつか思い出す時が来るのでしょうか。
「その用事は何であったか。」は、決して人間の方からは気づくことはできません。仏法を通して、いただいていく世界であり、それは自分自身が「その用事」を生涯を通じての問うていくことになります。(宗教部)