今月は幸福について考えてみます。取り上げるのは,『ダンマパダ(法句経)』第15章,「スッカ(Sukha)の章」です。「スッカ」は「幸福」や「安楽」,今風にいうと「ウェルビーイング」(Well-being)を意味し,「幸福とは何か」を主題にした章といえます。
ここでは,怨みを抱かないこと,貪りの心を鎮めること,病を離れること,そして,勝ち負けにこだわらないことなどが「幸福」であると説かれます。そして204偈で次のようにいわれます。
健康は最高の利益,満足は最上の宝,信頼は最高の友,涅槃は最上の幸福である。
今回は「信頼は最高の友」という部分に注目します。私たちは日々,他者との関係の中で生きています。しかし,友人関係がうまくいかない,相手の言葉に傷ついてしまう,なかなか心を開けないなどといった経験は誰にでもあります。
なぜ他者との関係は難しいのでしょうか。それは,わたし自身が外ばかりを見て,自分の心の動きに無関心でいるからかもしれません。たとえば,相手に対してイライラしたとき,なぜそう感じるのかを振り返ることなく,ただ相手の問題だと決めつけてしまう。嫉妬や不安を感じても,その感情の根っこにあるものを見つめようとしない。このようにして自分の心の動きに気づかないまま過ごしていると,他者の気持ちも理解できず,結果として信頼関係を築くことが困難になってしまいます。
だからこそ,まず自分に向き合い,自分の感情や反応に注意深く自覚的でいることが必要だとブッダは教えます。怒りが湧いたとき,「なぜ今,怒っているのだろう」と一歩立ち止まって考える。悲しみを感じたとき,その感情を否定せずに,「今,わたしは悲しんでいる」と素直に受け止める。このような自分への気づきが,他者への理解と信頼の土台となります。
SNSなど情報が錯綜する昨今,私たちは外からの情報に振り回されがちです。そうして,じぶん自身の内面や,目の前にいる具体的な他者の存在を忘れてしまいがちです。画面の向こうの無数の人々に意識を奪われ,今ここにいる自分と,実際に関わりを持つ人々への注意がおろそかになってしまう。
真のウェルビーイング,真の幸福は,このことを自覚することから始まります。外の世界に答えを求める前に,まず自分の心を静かに見つめる。丁寧に自分の感情の動きを確かめる。そうしてはじめて,他者を本当の意味で信頼し,ともに歩んでいくことができるのです。
このように考えると,涅槃という最上の幸福に向かう道は,わたしたち一人ひとりの心の中にあるのかもしれません。(中村元『真理のことば・感興のことば』, pp. 37-39)
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