生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。中村元訳(『スッタニパータ』82)
2003.09.18
チャーンドギア・ウパニシャッドの末尾にわれわれ人間にとって何とも不可解な言葉がある。それは、「あなたは再びこの地上に戻り来ることはない」というものだ。もちろん、死ねばすべては終りだから当然ではないかというような単純な理由から言われたものではない。そして、この言葉は『スッタニパータ』の中にも二度登場してくる。
その一つは、ある村に滞在していた釈尊に対して、バラモンのバーラドヴージャが、種を蒔き耕すことのない者は食べるべきではないと批判したのに対し、釈尊はあなたも自らを耕し、退くことなく努めるならば、二度と渇きを覚えることのない安穏の境地(涅槃の境地)へと赴くであろうと、逆に諭(さと)されたというものだ。それを聞いた彼は、すぐさま田を耕すことを止め、釈尊のもとで出家し、ひとり怠ることなく修行に専念していたが、まもなく次のように覚ったという。「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存をうけることはない」。
生まれることが尽きたというのだから、彼(また、われわれ)は今生だけではなく、これまでにも何度か生まれてきたということになるだろう。そして、生(生まれること)あるが故に死が避けられないのであるから、生まれることが尽きるとは、生と死の繰り返しを離れることができたということだ。つまり、釈尊の教え通り自己を開発し(自らを耕し)、安穏の境地に至るものは、もはや生と死からなるこの地上に再び戻り来ることはないということだ。それを親鸞は<滅度>に至ると言ったが、今生でなすべきことをなしおえ、<正定聚(しょうじょうじゅ)>に住する者は、再び生死に迷うことはなく、真実(涅槃)の世界に至るであろうということだ。(可)