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2026 Summer KOKA World English Camp ~One Small World~ を開催します

2026.07.07

8月3日(月)・4日(火)に、本学園において「2026 Summer KOKA World English Camp~One Small World~」を開催します。2026 Summer KOKA World English Campとは、園児から高校生までを対象に、英語だけの環境の中、2日間にわたり異文化交流を楽しむイベントです。
当日は、世界5か国(アメリカ・中国・オーストラリア・フィリピン・トリニダードトバゴ)から集まったゲストティーチャーのもと、それぞれの国での遊びやゲーム・文化・生活などについて教えてくれます。
英語に不安をお持ちの方でも、本学の大学生がファシリテーターとしてサポートしますので安心してご参加ください。
夏休みは、光華学園でミニ英語キャンプを楽しみましょう!

 

◆開催日時
【園児対象】 ※年長のみ対象
日 時:8/3(月)10:00~12:00
    8/4(火)10:00~12:00
定 員:30名
参加費:5,000円

【小学生対象】
日 時:8/3(月)13:00~16:00
    8/4(火)13:00~16:00
定 員:42名
参加費:7,000円

【中学生・高校生対象】
日 時:8/3(月)10:00~12:00
    8/4(火)10:00~12:00
定 員:12名
参加費:5,500円

 

◆開催場所
京都光華大学 光耀館(こうようかん)2F教室

 

◆申込方法
こちらから申込登録してください
※お申込みいただいた後、振込先をメールでご連絡いたします

 

◆申込期間
7月2日(木)~7月24日(金) ※定員に達し次第受付終了

 

◆問合せ先
kokaenglish@mail.koka.ac.jp

 

詳細については、こちらからご確認ください。

すべての衆生を仏の知へ向かうように励ます

2026.07.02

 この一節は、「迦葉品」(Kāśyapaparivarta)で示される菩薩の四つの道の一つです。他にも、すべての衆生に対して「平等の心があること」「平等に教えを説くこと」「正しい行いを実践すること」が示されています。このように「迦葉品」では、菩薩とはどのような存在であるかが説かれています(長尾雅人『大乗経典9 宝積部経典』2003、p.23)。

 大乗経典では、菩薩という理想像が描かれるようになりました。菩薩とは、「菩提を求める衆生」という意味を持ち、菩提とは、仏陀の悟りを指します。菩薩は自らの悟りを求めるだけでなく、すべての衆生とともにその菩提を目指す存在として描かれています。

 菩薩の歩みは、仏との出遇いから始まります。大乗経典では、その仏との出遇いが重要なテーマとなっています。そして、菩薩自身が仏と出遇い、仏道を歩み始めたように、衆生にも仏と出遇い、その教えを身に受け、自らの歩みに生かしてほしいと願い、はたらきかけます。そのため菩薩は、衆生と仏との出遇いの機縁をつくる存在として描かれています。

 冒頭の「迦葉品」の一節も、衆生が仏と出遇い、仏の教えに触れる道を歩むことができるように、人々を導く菩薩の姿を説いたものです。菩薩は、生きとし生けるものの能力や境遇をはかることなく、仏の教えを伝え、一人でも多くの衆生が仏と出遇えるようにはたらきかけを続けます。

 このような菩薩像を、単なる教義上の理想だと捉えてしまうこともできますが、私たちの人生経験の中にも、その姿を思わせる人との出遇いがあります。迷ったときに進むべき道を示し、真実を伝え、自分の生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれる人との出遇いです。私にとって、そのような存在の一人が恩師です。最終講義の際、「教員は菩薩行をしなければならないのだ」と語られた言葉が、今も心に残っています。大乗仏教の菩薩の姿に触れるたびに、その言葉の意味を改めて考えさせられます。私自身は、そのような菩薩の姿には程遠いと感じていますし、なれるはずもないのですが、それでも、誰かが仏と出遇えるように、仏の教えを伝えていくことの意味を改めて考えさせられるのです。

今 今 今(木村無相)

2026.06.30

 

先月の初め、闘病の末、父が亡くなった。お盆やお正月にさえもろくに会ったことのない息子3人が亡くなる前日に集まり、入院中の父と面会した。自らの病状を知り、死を悟っていたであろう父。息苦しそうに細く弱々しい声で口にしたのは、「お前ら兄弟3人で力を合わせて、生きろよ。」と。結局これが父と交わした最期の言葉になった。

父は40余年に渡り公立中学校に奉職した。休みの日には家庭にはおらず、クラブ活動に熱心に指導し、幼少の頃に私自身もそのクラブ活動に随分ついて行かされた。学校一筋だった為、テーマパークに連れて行ってもらったことは無し、旅行に行ったことは無し。それ故に自分の家庭と友達の家庭を比較し、愚痴や不満をぶつけたこともあった。

しかし、兄弟3人とも父が中学校で指導していたクラブ活動に没頭し、現在は、3人とも父と同じ奉職についている。知らず知らずのうちに父の「今を生きていた」瞬間瞬間に憧れをもち、自ずから同じ人生を歩んでいることに身の不思議を感じる。数年前、名古屋の東別院で聴聞したご法話の言葉を思い出す。

 

先往くものは我が前を往き 我が道を照らし 私を照らす光となる

 

今月の言葉は、木村無相さんの「今 今 今」には続きがある。それは、「たった今死んでも生きがいはあったのか」という言葉が続く。私の受け取りではあるがこの言葉は「あなたは今日という日を満足し、満足したと言える生き方をしているのか」と日常の歩みが問われているような気がする。私達は、誰もが人生は一度しかないことを知っていながらも、日頃の目の前の事に一生懸命で、気がつけば月日が経ってしまっていることはないだろうか。もしそうだとしたら人生を空しく過ぎる人になっているのかもしれない。

 

「今 今 今 たった今死んでも 生きがいはあったのか」

 

日頃の雑多な出来事に囲まれ、世間の価値に振り回され、ふと違和感を感じた瞬間も今まで無視してきた何とも言えないこの感覚。「生きがいはあったのか」は「本当に大事なものに出遇ったのか」と問われているのかもしれない。

今思えば父の最期の言葉「生きろよ」は、「今 今 今」を「しっかり生きろ」と叱咤激励の言葉だと確信している。そして生涯、私を立ち止まらせる言葉して私の中で響いていく。

生きているんだ

2026.05.18

 今月のことばは、先日私がみたとある映画で目に飛び込んできた一言「生きているんだ」です。とてもシンプルでわかりやすい言葉ではありますが、何を以って「生きている」とするのか、また「生きる意味とは?」など様々考えさせられる一言でした。

 忙しい毎日の中で、私たちは「生きる」ということを、つい当たり前のように受け止めてしまいます。朝起きて、通勤・通学、仕事や勉強、人間関係に追われながら、一日を終えていく。気づけば、「今日も無事に過ごせた」という実感よりも、「やらなければならないこと」に心を奪われていることがあります。

 しかし、少し立ち止まってみると、私たちは今、確かに「生きているんだ」という事実に支えられていることに気づかされます。

 浄土真宗では、人は決して一人だけの力で生きているのではなく、多くのご縁によって生かされている存在であると教えられます。食べ物や自然、家族や友人、名前も知らない誰かの「はたらき」によって、私たちの暮らしは成り立っています。そして何より、阿弥陀さまのはたらきに包まれながら、私たちは今、この命を生きています。このように考えられれば「生きている」ということ自体が、かけがえのない出来事なのだと感じることができます。

 私たちは時に、「もっと頑張らなければ」「もっと立派にならなければ」と、自分を追い込みます。失敗を責め、人と比べ、「今の自分では足りない」と感じることもあります。しかし、浄土真宗の教えは、そんな私たちに「そのままのあなたでよい」と呼びかけています。うまくいく日も、そうでない日もある。迷い、悩み、不安を抱えながらでも、それでもなお、私たちは生きているのです。

 「あるがまま」とは、何もしなくてよいという意味ではありません。弱さや不完全さを抱えた自分自身を否定せず、まずは「今、ここに生きている」という事実を受けとめることではないでしょうか。苦しいことや悲しいことも生きてこそ見える景色であり、誰かの優しさに触れることも、新しい出会いに心を動かされることも、生きているからこそできることです。

 日々の慌ただしさの中で、自分が「生きている」ということを見失いそうになる時、一度深く息をして、「ああ、自分は今、生きているんだ」と静かに確かめてみたいと思います。

青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光『仏説阿弥陀経』

2026.04.02

 1940年の創設以来,女子教育ひとすじに歩んできた光華は,2026年4月より共学化します。西京極の地で86年の歴史を刻んできた光華にとって,大きな節目となるこの春。「今月のことば」に光華の礎をなす『阿弥陀経』の一節を選びました。

青の蓮は青の光を放つ。

 この一節は,極楽浄土の池に咲く蓮の描写です。青・黄・赤・白,それぞれの色の蓮が,おのおのの色の光を放つ情景が描かれています。
 極楽浄土は苦しみのない安らぎの世界,わたしたちの理想の地です。そこでは青は青として輝く — 当たり前のようでいて,その描写は,いまのわたしたちのあり方を問い返しています。

 わたしたちは,知らず知らずのうちに身につけた「ものさし」で自分や他者を計り,傷ついたり傷つけたりしています。「自分はこういう人間」「あの人はこういう人」と決めつけて,自分自身のことも,目の前にいるその人自身のことも見ずに,立場や色眼鏡に囚われている。そうして,本当は自分が何に安心し,何を求めているのかさえ気づけずに,どこかで不安や不満を感じながら日々を過ごしています。
 そういうわたしたちに,いま手の届く,目に見えるものだけを見るのではなく,「青は青として輝くことができる」世界を考えてみなさいと阿弥陀経は語りかけます。その世界に思いを向けるとき,わたしたちは自分の中の「ものさし」に気づき,それを手放しながら,自分自身を見つめ直すことができます。自分を見つめるからこそ,「わたしは何に安心し,何を求めているのか」という問いが生まれます。この問いが,わたしがわたしの色で輝くことを可能にします。
 光華は,自分自身への問いを大切にしてきました。この春からは,その問いの場に男子生徒や男子学生も迎え,ひとりひとりの色で輝き合える場へと,新たな一歩を踏み出します。

 創設の年1940年,日本は戦争の中にありました。女子教育には,戦地に出た男性に代わって社会を支える「銃後の守り」が求められる時代でした。
 今また戦争の影が日常をおびやかし始めています。ここで学ぶ者たちが,時代や空気に飲まれることなく,ひとりの人として誠実に人生や社会に向き合えるように。そのために光華が,安心して自分自身を見つめられる場であれるように。これが阿弥陀経を礎とする光華の使命です。2026年春,共学化を機に,あらためてここから歩み始めます。
なお,2015年12月にもこの一節を紹介しています。「今月のことば」HPでご確認ください。

「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」『仏説阿弥陀経』

別れ

2026.03.12

 3月は、別れの季節といわれます。卒業や転勤、人事異動など、「さよなら」と向き合わされる時期です。そして時に死別もそうですが、寂しさや不安、後悔が胸にせり上がり、「もっとこうしておけばよかった」と心が揺れやすくなります。

 浄土真宗の教えは、そうした別れの中で「何を拠り所にして生きるか」を静かに示してくれます。まず、別れによって露わになるのは、この世が「無常」、すなわち移ろいゆく世界であるという事実です。人間関係も、仕事も、健康も、永遠ではありません。

 しかし親鸞聖人は、この無常の世を嘆くだけでなく、「だからこそ阿弥陀如来のはたらきに目が開かれていく」と受けとめました。※「自分の力ではどうにもならない」と知らされる だからこそ、阿弥陀如来の救いの働き(本願・慈悲)が見えてきて、気づき受け取れるようになっていく。

 浄土真宗では、私たちの力や努力ではどうにもならない別れや死の現実を、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀如来のよび声に照らされて受けとめていきます。別れの悲しみが消えるわけではありませんが、「どんな私であっても決して見捨てないいのちのはたらきが、すでに私を抱いている」という安心が、悲しみの底を支えてくれます。

 また、亡き人との別れについては、「もう会えない存在」ではなく、「先にお浄土へ往き、仏となって私を照らし続けている存在」としていただきます。阿弥陀如来と同じく、亡き人もまた、私を仏法へと導くはたらきをしているといただくのです。

 別れの季節は、出会いの意味を味わい直すときでもあります。「ともに過ごした時間は決して無駄ではなかった」と、仏縁として受けとめ直すことができたとき、別れは単なる喪失ではなく、これからの生き方をたずね直す大きなきっかけとなります。悲しみを抱えたまま、「南無阿弥陀仏」ととなえつつ歩むところに、浄土真宗の別れの味わいがあります。

第16回光華エコアワード表彰式を行いました

2026.02.28

2026年2月5日(木)、本学園にて第16回KOKAエコアワード表彰式を行いました。

 

「KOKAエコアワード」は本学園創立70周年を記念して、平成22年度より実施してきた学園行事です。
(1)作文部門、(2)標語・短歌(和歌)部門、(3)ポスター部門、(4)作品部門から構成され、エコに関する作品・アイデアの中から、優れた内容を表彰します。

 

エコアワードは、学園のエコ活動を多くの方と共有したいとの思いから、保護者(ご親戚・ご兄弟含む)や卒業生の方だけでなく、お取引先様や本学イベントにご参加いただいた方からも、エコ川柳(標語・短歌(和歌))を広く募集しております。昨年度に引き続き、TEAM EXPO 2025のご縁から、地域社会の活性化と人材の育成を目指すべく、第一生命保険株式会社様からご協力をいただきました。その結果、各校園・企業、団体様から825点もの素晴らしい作品がエントリーされ、下記のとおり部門ごとに表彰しました。
これからも光華女子学園は、学齢に合わせた環境教育と環境活動を行い、地球環境に貢献していきます。

 

受賞作品一覧

 

【標語・短歌(和歌)学生・生徒部門】

[金賞] 「ヒトのせい 猛暑続きに 急雷雨 ドカンと落ちる 空のいらだち」

高校3年 浜辺 千尋 さん

 

[銀賞] 「インスタ映え 食べられないなら 買わないで」

小学校6年 水内 康誠 さん

 

[銅賞] 「インスタで 学んだリメイク トライして 物を大事に 使う喜び」

高校1年 中井 穂之香 さん

 

[入選] 「いつまでも 使えるものは 大切に」

小学校3年 東 さえ さん

 

[第一生命特別賞] 「ポイ捨てに 気づいて拾う その一歩 地球がそっと 笑ってくれる」

中学3年 安田 妃那 さん

 

【標語・短歌(和歌)大学生・教職員部門】
[金賞] 「広告の裏 「もったいない」と メモ帳に 再利用させる 百歳の祖母」

小学校教員 吉岡 寛和 様

 

[銀賞] 「ゴミ拾う 小さな手にも 願いあり 街をきれいに 未来のために」

大学キャリア形成学科1年  岡 麻由 さん

 

[銅賞] 「男女とも 日傘をさして 歩む街 地球の熱を やさしくかわす」

職員 国際交流センター 須藤 和恵 様

 

[入選] 「脈々と つづく地球の 営みを 夢洲で感じる 秋の空」

職員 地域連携推進センター 橋詰 侑季 様

 

[第一生命特別賞] 「当たり前 ゴミはゴミ箱 プラはプラ 捨てる場所から 意識改革」

大学キャリア形成学科1年 飯田 実里 さん

 

【標語・短歌(和歌)卒業生・保護者等・関係先様部門】

[金賞] 「エレベーター 使わず痩せて 地球も笑顔 息切れしつつ 心は晴れる」

卒業生 田中 早織 様

 

[銀賞] 「脱炭素 母は知らない 有機物 それでもできる ゴミの分別」

高校2年保護者 佐藤 美和 様

 

[銅賞] 「かいま見せた 未来の暑さ 忘れずに 明日思いやる じみにエコ活」

卒業生 笹間 ゆかり 様

 

[入選] 「ただのゴミ 活かさなければ ゴミのまま」

卒業生 中島 春菜 様

 

[第一生命特別賞] 「孫の世に 残してやれる 財産は 澄んだ空気を 生む心掛け」

卒業生 舩越 久美子 様

 

【作文部門】
[金賞] 「ウミガメを守りたい」 小学校5年 人見 珠樹 さん

 

[銀賞] 「地球環境を守るために」 高校1年 山内 こころ さん

 

[銅賞] 「世界は海でつながっている」 小学校5年 桑原 瑞樹 さん

 

[入選] 「たくさんご飯を食べたい」 高校1年 井上 ゆりあ さん

 

[入選] 「自動販売機の削減」 高校1年 関 沙綾 さん

 

【ポスター部門】
[金賞] 「スマホの中だけきれいでいいの?」 小学校4年 岩田 ゆき さん

 

[銀賞] 「それ むきすぎ」 高校3年 浜辺 千尋 さん

 

[銅賞] 「甘い考え 溶けます」 高校3年 上田 有紗 さん

 

[入選] 「地球を愛ス eco活動」 小学校4年 井上 広太郎 さん

 

[入選] 「みんなで守ろう 海の命」 小学校4年 井上 ひな乃 さん

 

【作品部門】
[金賞] 「もりのおんがくたい」 幼稚園さくら組 尾﨑 蓮 さん

 

[銀賞] 「かくれミャクミャク」 小学校1年 大森 蒼馬 さん

 

[銅賞] 「暑い夏に涼しいイメージ」 幼稚園さくら組 中山 桃香 さん

 

[入選] 「ガチャガチャのカプセルをアップサイクル」

幼稚園いちご組 小笹 叶葉 さん

 

[入選] 「サファリ」 幼稚園ばなな組 大森 綾翔 さん

 

受賞された皆様、誠におめでとうございます。

2026.02.03

 本学園の校名「光華」にある「光」という言葉は、仏教において智慧を象徴します。では、その智慧としての光は、私たちの日常のどんな場面で感じられるのでしょうか。
 年末、父が命終したことをきっかけに、私はこの問いを改めて見つめ直しました。
 父は生前、「宇宙が闇いのは、光が足らぬからではない。光を碍げるものがないから冥いのだ。」という言葉を教えてくれました。浄土はすでにここに満ちているにもかかわらず、その光に生きられない私自身の姿に気づかされます。
 さらに父はこうも言いました。
 「自家発電の光では人は救われない。」
 仏教を深く学び、自力を超えたはたらきの確かさを知っていた父らしい言葉です。

 また、父の生き方を思うと、先に浄土へ還られた母の書いた詩がよみがえります。

 「私の行方にたちふさがっていた壁が、ナムアミダブツの風に吹かれてパタンとたおれたら、壁のむこうにも広々とした明るい道がありました。」

 この詩は、光とは「本当のもの」「本当のこと」に気づかせてくれるはたらきなのだと教えてくれます。

 建学の精神に込められた光は、単なる知識ではなく、私たちが本来の姿に気づくための智慧です。その光に照らされながら、教育の場が常に問い直され、磨かれ続けることの大切さを、今あらためて深く心に刻みたいと思います。

なむなむ

2026.01.20

 新しい年を迎え、多くの寺院では修正会がお勤めされました。本学園においても、年明けに教職員一同で修正会をお勤めいたします。修正会とは、新たな一年の始まりにあたり、阿弥陀さまの前で身と心を調え、あらためて自らを見つめ直す新年の法要です。

 私自身、お寺に生まれ育ちましたので、物心ついた頃から一月一日は、檀家の皆さまと共に修正会をお勤めすることが恒例となっていました。今年も年末に寺へ戻り、修正会の準備をしておりました。

 その時に、幼稚園生の姪と甥が来ており、本堂の準備をしていると、二人は当たり前のように阿弥陀さまに向かって「なむなむ」と手を合わせていました。その姿を見て、私はふと、自分は日頃からこのように、純粋な気持ちで阿弥陀さまに手を合わせているだろうかと、問いを与えられたように感じました。

 「なむなむ」とは、本当は「南無阿弥陀仏」とのことですが、「阿弥陀仏に帰依します」という意味を持つお念仏です。そして、この「南無阿弥陀仏」こそが、親鸞聖人の教えの中心にあるものです。

 『歎異抄』の中にも「本願を信じ、念仏をもうさば仏となる」またと、はっきりと示されています。

 私たちはつい、日々の忙しさの中で、形だけになったり、心が置き去りになったりしがちです。しかし、姪や甥の「なむなむ」に触れ、改めて、阿弥陀さまにまかせ、念仏を称えることの大事さを教えられました。みなさんも落ち着いて阿弥陀さんに「なまんだぶ」と称えてみてはいかがでしょうか。

2025年度「成道会」を行いました

2025.12.16

12月8日(月)、釈尊(お釈迦様)が悟りを開かれた日をご縁に、釈尊のみ教えを改めて聞思する機会として、成道会(じょうどうえ)を行いました。

 

今回の成道会には、光華幼稚園 年長園児と教職員が参列し、真宗宗歌や恩徳讃などの仏教讃歌の斉唱・勤行・焼香などを行いました。

法話では、小椋厚太氏(学園宗教部)がお釈迦様が悟りを開かれるまでのお話を、スライドを使いながら絵本の読み聞かせのように園児にお話されました。

 

園児も真剣なまなざしでお話を聞き、会の終わりにはしっかりと両手を合わせて合掌しながら恩徳讃を斉唱しました。