先月の初め、闘病の末、父が亡くなった。お盆やお正月にさえもろくに会ったことのない息子3人が亡くなる前日に集まり、入院中の父と面会した。自らの病状を知り、死を悟っていたであろう父。息苦しそうに細く弱々しい声で口にしたのは、「お前ら兄弟3人で力を合わせて、生きろよ。」と。結局これが父と交わした最期の言葉になった。
父は40余年に渡り公立中学校に奉職した。休みの日には家庭にはおらず、クラブ活動に熱心に指導し、幼少の頃に私自身もそのクラブ活動に随分ついて行かされた。学校一筋だった為、テーマパークに連れて行ってもらったことは無し、旅行に行ったことは無し。それ故に自分の家庭と友達の家庭を比較し、愚痴や不満をぶつけたこともあった。
しかし、兄弟3人とも父が中学校で指導していたクラブ活動に没頭し、現在は、3人とも父と同じ奉職についている。知らず知らずのうちに父の「今を生きていた」瞬間瞬間に憧れをもち、自ずから同じ人生を歩んでいることに身の不思議を感じる。数年前、名古屋の東別院で聴聞したご法話の言葉を思い出す。
先往くものは我が前を往き 我が道を照らし 私を照らす光となる。
今月の言葉は、木村無相さんの「今 今 今」には続きがある。それは、「たった今死んでも生きがいはあったのか」という言葉が続く。私の受け取りではあるがこの言葉は「あなたは今日という日を満足し、満足したと言える生き方をしているのか」と日常の歩みが問われているような気がする。私達は、誰もが人生は一度しかないことを知っていながらも、日頃の目の前の事に一生懸命で、気がつけば月日が経ってしまっていることはないだろうか。もしそうだとしたら人生を空しく過ぎる人になっているのかもしれない。
「今 今 今 たった今死んでも 生きがいはあったのか」
日頃の雑多な出来事に囲まれ、世間の価値に振り回され、ふと違和感を感じた瞬間も今まで無視してきた何とも言えないこの感覚。「生きがいはあったのか」は「本当に大事なものに出遇ったのか」と問われているのかもしれない。
今思えば父の最期の言葉「生きろよ」は、「今 今 今」を「しっかり生きろ」と叱咤激励の言葉だと確信している。そして生涯、私を立ち止まらせる言葉して私の中で響いていく。
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