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真宗大谷派第26代ご門首 大谷 暢裕様が本学園にご来訪いただきました。

2022.11.18

10月31日(月)、真宗大谷派第26代ご門首 大谷 暢裕様とご門首夫人、内事部部長に光華女子学園をご訪問いただきました。

 

光華女子学園は、真宗大谷派(東本願寺)第24代ご門首夫人の故大谷智子裏方が、「仏教精神に基づく女子教育」を発願し、東本願寺をはじめ有縁の方々から物心両面の援助を受けて設立された学園です。

 

当日は各校園の授業の様子をご覧いただいた他、小学校、中学校の新棟「和順館」の施設のご紹介や本学学生・生徒7名との座談会が行われました。

 

まず、大学・短期大学部の授業では、リベラルアーツ教育科目である「仏教の人間観」をご覧いただきました。この科目は全ての学生の必修科目であり、仏教精神に基づく女子教育に取り組む本学にとって大切な授業です。その後は、看護学科、医療福祉学科 言語聴覚専攻、こども教育学科の授業にご案内し、「総合英語」「画像診断学演習」「保育内容(総合表現Ⅱ)」の様子をご覧いただきました。
幼稚園では、本園が力を入れて取り組んでいる英語教育・サークルタイム・絵本の読み語り・運動遊びを、小学校では新しくなったグラウンドでの体育や宗教の授業をご覧いただきました。
高等学校のイングリッシュコモンズではご門首から生徒に対し、授業で生徒がどのような発表をしているのかを英語でご質問されたり、化学の授業では生徒から実験内容についてご門首に説明させていただくなど、ご門首とお話させていただく機会もあり、生徒にとってとても貴重な体験となりました。

 

その後、高等学校の茶道部が呈茶を行い、座談会となりました。座談会では女子校・女子大学で学ぶ魅力や将来の目標などについてご質問いただき、学生・生徒からは、性役割に縛られず、さまざまなことにチャレンジできる、女子同士ならではの楽しさがあるなどの発言がありました。また、将来の目標に関しては、現在の学びや興味のある事柄を交えて、それぞれが自らの目指す姿を語りました。

 

 

 

 

 

今後も真宗大谷派学校連合会加盟校の一つとして建学の精神を大切にし、在校生をはじめ、同窓生や地域の皆さまにとって「ワクワク感漲る学園」となるよう、全力で取り組んでまいります。

2022年度「学園報恩講・追悼法要」を厳修しました

2022.11.10

11月7日(月)、本学園光風館講堂において学園報恩講・追悼法要を厳修しました。
学園報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁に、聖人の恩徳を感謝するとともに、聖人の御教えを改めて聞思する機会として、親鸞聖人によって開顕せられた浄土真宗の教えを建学の精神とする真宗大谷派関係校である本学園において、最も大切にしている宗教行事です。

 

親鸞聖人のご命日は11月28日ですが、その日は浄土真宗大谷派本山東本願寺で勤められている本山報恩講のご満座(最終日)にあたるため、本学園では、阿部恵水初代中学・高等学校校長のご命日である11月7日に繰り上げて、本学園関係物故者の追悼法要とともに執り行っています。

 

各校園から、園児・児童・生徒・学生、同窓会代表、教職員が参列し、園児から大学生までの代表による献灯、献花、焼香が厳かに行われました。

 

 

 

その後、速水 馨 先生(真宗大谷派 研修部 部長)による法話では、ご自身がインドのコルカタでマザー・テレサに会われ、「死を待つ人々の家」でボランティアをされた体験と、阿弥陀経の教えや親鸞聖人の教えを照らし合わせ、どのようなことでもまずは一歩前進することが大切であるとお話いただきました。

 

 

「煩悩具足の凡夫」

2022.11.02

『歎異抄』の第三条には
「煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。」
とあります。
 生死の苦しみから離れようと心がけても、その道をさえぎる煩悩に溢れている私たちは、どんな行いをしてもその苦しみから離れることはできません。一言で煩悩と言ってもさまざまな煩悩があります。なかでも三毒として知られる「貪瞋痴(とんじんち)」の煩悩は、人間の欲と貪り、怒り憎しみ、そして本当のことをそのままみること、受け取ることができないことをいいます。親鸞聖人も仏教を学んでいく中で、自分が自分のことをいかに分かっていなかったかということを知り、自分の愚かさに気づいていきました。
 そのような学びを経て、親鸞聖人は、自らのことを「愚禿釈親鸞」と名のり、その名のりのもとに生涯を送りました。「愚禿」とは、自らが愚かな凡夫として生きていることを確かめる言葉です。これは親鸞聖人自らも煩悩に溢れて生きている存在に他ならないことを表しているのでしょう。それは私たちと何も変わらない姿ではないでしょうか。ただし、私たちは、ことあるごとに自分たちが正しいことをした、善い人として生きていると思ってしまいます。そのような自分勝手な思い、煩悩にあふれる私たちを踏まえると、親鸞聖人の「愚禿」という名のりには、常に自らと真正面に向き合い、自らを偽らずに生きていこうとする親鸞自身の決意を感じることができるのではないでしょうか。
 私たちも煩悩に溢れていることを自覚することが大事なのでしょう。ただそれは難しく、多くの人はその煩悩に向き合うこともなく過ごしています。しかし、その現実から目を離している限り、私たちが心の底から人間として生きていくことは難しいのではないかと思います。

令和4年度 学園長賞表彰式を行いました

2022.10.19

10月11日(火)、令和4年度 学園長賞表彰式を行いました。
学園長賞は、本学園の在学生で、学業・文化・スポーツ等において特に優秀な成績を修められた方や、ボランティア活動等で地域に貢献などをされた方を表彰する制度です。
今回は、個人で8名、団体で4団体、特別表彰で1団体が表彰され、学園長から表彰状と記念品が贈られました。
学園長からは受賞者一人一人にあたたかい言葉が贈られ、また、受賞者からは今後に向けた力強い宣誓がありました。入賞者の皆さんのますますのご活躍を期待いたします。

 

皆共に生きる独立者

2022.10.07

 今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。三谷幸喜さんの巧みな脚本のもと、北条義時役の小栗旬さんをはじめ、源頼朝役の大泉洋さん、北条時政役の坂東彌十郎さん、北条政子役の小池栄子さんなど魅力的な俳優さんの好演もあり、これまでの鎌倉時代をテーマとした作品とは大きく趣を変えたものとなっています。例えば、これまで粗野で荒くれ者の田舎武者との描かれ方が多かった木曽義仲も、青木崇高さんが熱演する今回は、礼節をわきまえ、武士としての信念を持ったカッコイイ源氏の一門として描かれ、息子の義高と源頼朝の娘の大姫との切ない物語や、義仲と別れた後少しずつ変わっていく人間味のある巴御前など、さまざまな伏線を張り巡らし、権力の座を巡る武士たちの駆け引きとホームドラマが巧みに交錯したとても見ごたえのあるドラマになっていると感じています。残すところあと10話少々となりました。これから年末のクライマックスに向けて承久の乱が描かれることとなると思いますが、どのように描かれるのか楽しみにしています。
 さてこの鎌倉殿の13人を見ている中で考えさせられる場面がありました。それは、若年にして新たに鎌倉殿となり、その重責と自分の思いとの狭間で悩む源実朝に対し、大竹しのぶさん演じる歩き巫女が「お前の悩みはどんなものであっても、それはお前ひとりの悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みというのは、そういうものじゃ。お前ひとりではないんだ」と語りかけるシーンです。この言葉を聞き、源実朝は涙し、少し気持ちが楽になったようでしたが、皆さんはどのように感じられたでしょうか。
 私たち一人ひとりにはそれぞれ「我」があり、我を張りながら生きていますが、この「我」は生きる上での「苦」でもあります。我と我のぶつかり合いです。だから私たちは自分の「我」を張るための居心地の良い環境として、友達やグループ(集団)を作ります。しかし、この居心地の良い環境であるはずの友達やグループが、他のグループとの諍いを生じさせることもありますし、グループ内の結束を高めるためグループ内の異質な者を見つけ排除しようとしてしまうこともままあります。相手の「我」を張らさない、認めない、いわゆる「いじめ」と呼ばれる行為です。これらは本当にやっかいな問題で、ライフステージの全ての場面で私たちを悩ませる問題です。
 こうした「我」の問題に対し、親鸞聖人は「皆共に」というお考えを示してくださっています。阿弥陀如来の世界に生きられた親鸞聖人は、阿弥陀如来が無量寿であり無量光、すなわち時間的にも空間的にも「はかれない」ということに頷かれました。「はかれない」ということは境界がないということです。つまり阿弥陀如来の世界には「私の友達」や「私のグループ」といった仕切りがなく、そこに住まう者すべては「独立者」です。また仕切りがないということは一の阿弥陀如来が私たち全てとそれぞれ向き合っているという関係でなく、一の阿弥陀如来に対して一の私という一対一の関係を意味しています。こうした阿弥陀如来の世界に頷くことができれば、私たちは独立者であるがゆえ他者に依存せず、他者を排除せず、他者を利用しない、すなわち皆が対等であり、平等である「皆共に生きる世界」が開かれます。こうした世界を歩まれたのが親鸞聖人です。このように考えますと、鎌倉殿の13人に出てきた「お前ひとりの悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな」という言葉は、一人ひとりはさまざまな悩みを抱える同じ独立者であり、「お前は皆共に生きる独立者が集う世界を生きているのだよ」と語りかけてくださっている阿弥陀如来の言葉のように感じられます。これが浄土真宗で言う「同朋」ということだと思いますし、同朋の道を歩むかどうかを私たちに問いかけてくださっているように感じられました。皆さんはいかがでしょうか。

防災訓練を実施しました

2022.09.20

8月22日(月)、教職員と防災サークル「Daisy」の学生を対象に防災訓練を実施しました。

 

防災訓練は毎年実施しており、大きな地震や火事が発生した際、キャンパスにいる学生生徒等を安全に避難誘導し、被害を最小限に抑えることを目的としています。

 

当日は、震度7の地震が発生したことを想定した避難訓練を行い、その後は右京消防署職員の方による消火訓練、救護活動訓練、防災・消防設備の専門業者である株式会社ヤマト商会様による避難器具体験を行いました。

 

教職員一人一人が防災訓練を通して学んだことを日頃から意識し、有事の際に適切な判断・行動ができるようにしてまいります。

 

 

 

 

無碍の道

2022.09.02

 「ちひさき智慧をふりかざし ほこるわれらのあはれさよ
  おのれをすててひたすらに さはりなきみちすすまなん」 (『光華抄』)

 これは、光華女子学園を創設された 故大谷智子お裏方のお手製の歌です。
 「ちひさき智慧をふりかざし ほこるわれらのあはれさよ」と仰っていますが、ともすれば、私たちは、日常生活で身に付けた知識に溺れ自惚れたりして、分かったつもりになっていることが少なくありません。
 「実ほど頭を垂れる稲穂かな」
お裏方は、そうした私たち一人ひとりの中に知らず知らずのうちに生まれた濁った心や思い上がった姿を戒めて下さっているように思われます。

 蓮如上人も、御文の中で「あながちに もろもろの聖教を読み ものを知つたりといふとも 一念の信心のいはれを知らざる人は いたづらごとなりと知るべし」と仰っています。

 私たちは、親鸞聖人の仰る「無明の闇」((煩悩に囚われ、真実の智慧の明るさのない世界)『教行信証 総序』)に窮しているのかもしれません。善悪や優劣などの相対的な価値観に右往左往し、科学的・近代的な価値観こそが絶対的な智慧であると未だに盲信しているのではないでしょうか。
 もちろん、その恩恵は多分にあり、感謝の念も不可欠であることは言うまでもありません。しかしながら、そこにあるのは、やはり「無明の闇」と言わざるを得ません。近代文明がもたらした光の底にある陰。例えば、この夏の異常な暑さに見られる地球環境問題や新型コロナウィルス感染とその対策、さらには核や原発の問題、ウクライナ侵攻等々。形而下の利益を求めるが故に果てしなく続く人間中心社会が生み出した「無明の闇」です。

 お裏方は冒頭の歌のように「おのれをすててひたすらに さはりなきみちすすまなん」と願われ、親鸞聖人は「無碍(障りの無い)の光明は無明の闇を破する恵日なり」と断言されています。

 浄土真宗の「光」とは「阿弥陀如来」、「いのち」そのものです。本学園の名称の一部ともなっているこの「光」が、ご縁ある皆様の「いのち」そのものを照らし、「無碍の道」として、豊かな人生を歩まれんことを心よりお念じ申し上げます。  (宗教部)