All posts by tukiyomi

無限の大悲に乗托して、
安心したものは、自由である。(清沢満之「精神主義」その三)

2001.08.18

果たして、すべてを思い通りにできる人など、この世にいるのだろうか。多かれ少なかれ、我々は、思い通りに生きられない現実の中で、もがきながら日々の生活を送っているのではないだろうか。
妻子を次々と失い、自らも死の床に苦しんでいた清沢満之は、この世には、如意なるもの、不如意なるものがあるといい、不如意なるもの、つまり、意のままにならぬことについては、如来に任すほかはない、と述べた。
諦(あきら)めるという言葉がある。仏教では、これは、単なるアキラメ(お手上げ)を意味するのではない。諦という漢字には、真実(しんじつ)、さとり、の意味があり、真実をあきらかにさとるという意味が込められている。逃れ得ない事実を事実として、あらゆる事実を無限の大悲(如来)に照らされた事実として真正面から受け止めていく生き方、それは、決してアキラメの生き方ではない。立脚地に立つ独立者の生き方である。
事実を事実として、しかと受け止める生き方が出来るならば、何ら不安はないのである。不自由を感じるはずはない。ただ、ありのままを生きる自らがあるのみである。

須(すべか)らく、自己を省察すべし、
大道を知見すべし。(清沢満之「絶対他力の大道」)

2001.07.18

自らを省みず人の道(人道)を説く大人は多い。それについて異議を挟むつもりは毛頭ない。なぜなら、宗教はある意味で人の道など説いていないからだ。そして、人の道を説くだけならばわざわざ宗教を持ち出すこともなかろう。事実、そんなもの知らなくとも人は臆面もなく人の道を説いている。しかし、大道(仏道=人が仏に成る道)は違う。なぜなら、ともども生死輪廻の陥穽(かんせい)(落とし穴)に落ち込むことになるからだ。親鸞もまた、深く自らを省み、仏知見を開いて後、他者に仏の道(大道)を説いたことはよく知られている。このように、宗教においてまず問われるべきは自己自身だということを私たちは心に銘記すべきかもしれない。「仏道をならうというは、自己をならうなり」と言ったのは、同じ鎌倉仏教史を彩った道元であったことも付け加えておこう。

独立者は常に生死巖頭(がんとう)に
立在すべきなり(清沢満之「絶対他力の大道」)

2001.06.18

ふと、これまで辿(たど)ってきた道を振返りたくなる時がある。思えば、よくぞ無事にここまで生きて来れたなと感じる。それは、死と背中あわせの存在であるという自覚をともなった思いでもある。気づけば、そんな生死の「綱渡り」の上に、ふらつきながら立っている「私」をみつける。横を向けば、倒れそうになる…、下を見れば奈落の底…。
そんな「綱渡り」の生活を、私たちは、何気なく過ごして生きている。しかし、生死の「綱渡り」であることに気づくと、人生は、恐い。
ならば、怖れおののき生きるしかないのか。表記の一文の後には、次の言葉が続く。「殺戮(さつりく)餓死(がし)固(もと)より覚悟の事たるべし」(殺されようと餓死しようと、もとより覚悟の上である)。「独立者」とは、この覚悟を持って、まさに「生死」の事実を真正面に生き抜く者をいう。満之は、「無限の他力」を確信した者こそが「独立者」の自覚を持つというのである。
その「無限の他力」(如来の働き)とは、一体何だろう…。何処に在るのか…、果たして、目に見えるのか…
己(おの)れの内から、次々とそんな問いが自ずと起こる時、「無限の他力」は、何処(どこ)でもない生まれつきもらい受けた我が心身にこそ、絶妙に働いていることに、私は、気づかされる。

人を見れば仏と思え(清沢満之「和合の心」)

2001.05.18

われわれの社会ではときに眼を覆いたくなるような凄惨な事件が起こる。そんな時、私たちは事件に関わった人を激しく非難する。もちろん、被害者の気持ちを察してのことだろうが、翻って、そういう状況に自分が置かれていたら、もしかしたら加害者になり得たかもしれないという思いはないだろうか。
加害者はもとより、そんな危ういわれわれ人間の中にも仏となるべき種子が宿されていることを看破したのは、6年の修行の末に悟ったとされる釈尊であった。彼の悟りは、人間は本来仏であるという短い言葉に纏められるが、それは『華厳経』が「一切の衆生は悉く皆如来の智慧徳相を具有す」ということからも明らかである。ここには深く人間を見据えた釈尊の、人間に対する絶対の信頼と気遣いを見て取ることができる。
仏と成る(成仏)、あるいは悟りという出来事も、ひとり釈尊だけのものではなく、われわれにもまた拓かれ得る世界ではなかろうか。

自己(じこ)とは何(なん)ぞや。
これ人生(じんせい)の根本的(こんぽんてき)問題(もんだい)なり。
(清沢満之「臘扇記(ろうせんき)」)

2001.04.18

時は明治、真宗大谷派の僧侶清沢(きよざわ)満之(まんし)(一八六三 - 一九〇三)を中心に、「精神主義」という新しい信仰運動が始まりました。今からさかのぼること一世紀、一九〇一(明治三四)年のことです。
文明、個人主義、はたまた快楽(かいらく)主義が時代にうずまくなか、満之は、人々のあらゆる苦悩(くのう)は、世の中の諸物(しょぶつ)(他者)を欲望(よくぼう)するために起こると考えました。だから、他者に惑(まど)わされない「自己」と成(な)ること、それが、「人生の根本的問題」だと自覚したのです。
世に、街に溢(あふ)れて、「私」を魅惑(みわく)する物、モノ、mono、もの。「持ちたい」と欲する心、「持てない」と羨(うらや)む心・・・。「欲する『私』とは、一体何者・誰(だれ)?」。知らず知らず自分に問いたくなるのは、“自分らしさ”を見失いそうになっているという“あせり”からなのかも・・・。
春、四月。学園に集(つど)うすべての人たちが、みずみずしい希望を胸にこの正門をくぐる時節(とき)。それぞれの場所で、「自己とは」と問うことから、初めの一歩を標(しる)したいものです。

念仏もうすのみぞ、
すえとおりたる大慈悲心にてそうろう『歎異抄』第四条

2001.03.18

たとえば、いつも人にやさしく接して、決して他人を傷付けたりしまいと思っている人でも、時として過ちで人に怪我をさせることも起きます。自分には悪意がなかったのだといくら言い訳をしても、相手の傷は消えることがありません。自分が平穏無事に生きているのは、どこかで自分が良い人間だからだと思いがちなのですが、人間は事と次第によっては、まったく意図しない行為に走ることもあるのです。そんな私たちが安心して生活することが出来るのは、ほんとうは誰一人も取りこぼすことのない大きな願い、すなわち「末通りたる大慈悲心」に包み込まれているからではないでしょうか。

無碍(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を
破(は)する恵日(えにち)なり(親鸞聖人『教行信証』「総序」)

2001.02.18

私たち一人ひとりにわけへだてなく与えられている“いのち”。その“いのち”を「みんなが生きている」ということが、平等ということです。「無碍の光明」とは、何ものにもさまたげられることのない、その“いのち”の象徴のことです。
しかし、私たちはややもすると、その事実に背を向け、暗い世界に閉じこもってしまいます。この光の差さない「無明の闇」からなんとか脱したいという願いが起きるとき、本来平等に生かされている明るい世界に目覚める道が開かれるのです。
光華女子学園の「光」という言葉には、そのような意味があるのです。

我いま極楽(ごくらく)世界(せかい)の阿弥(あみ)陀仏(だぶつ)の
所(みもと)に生まれんと楽(ねが)う (『観無量寿経』「欣浄縁」)

2001.01.18

観無量寿経は、今まさに我が子に殺されようとする母の苦悩を描いた経典です。「私に何の罪があって、このような悪子が生まれたのでしょうか。どうか私のために悩みのない世界を教えてください」と訴えるその母親に対して、釈尊はさまざまな幸せの世界を紹介されます。その中から、母親はあらゆるものがともに生かし生かされる、究極の安楽世界と感じられる阿弥陀仏の世界に生まれたいと、切に念願するようになります。
この母親が選び取った極楽浄土とは、他を責めるのではなく、不確かな人間の判断による善悪の人間評価を離れて、ともに身の事実を引き受けて生きていこうとする人間の世界のことなのです。

いま真実心というは 浄土をもとめ 穢土をいとい
仏の願を信ずること 真実の心にてあるべしとなり(『唯信鈔』)

2000.12.18

本学学園は「真実心」を校訓としています。このことばが校訓に選び取られた意図は、できるだけ一般にも理解しやすく、かつ仏教の真意を伝えるものであるというところにあるのです。平易に「まことの心」と言い換えてもよいと思います。
本学園の精神的基盤である浄土真宗が尊重する『唯信鈔』という書物には、この語の意味を端的に、「浄土をもとめ 穢土をいとい 仏の願を信ずること」と表現しています。いのちそのものの尊重は、生の世界だけではなく死してもなお変わることがありません。なぜなら一切のものは、永遠の過去・無限の彼方から今ここにあることを願われているからなのです。そういう大いなる願いに支えられてこそ、我々がこの世を精一杯生きることが可能になるのです。

「その光 華のごとし」
(『観無量寿経』「水想観」)

2000.10.18

釈尊が説かれた『観無量寿経』にあらわれるこのことばは、生きとし生けるものが、この世の縁尽きる時に必ず生まれるといわれる、ピュア・ランドとしての浄土の光景を表現しています。この時空に満ち満ちて、無条件にあらゆるいのちを包み込む光に目を向ける時、個々のいのちが華としての光彩を放ちはじめるのです。
本学園総裁の故大谷智子東本願寺裏方は、学園創設に際しこのことばから校名を選び取られました。そこには万物が帰一する理想世界を胸に秘めて、真摯に学業にいそしむ校風作りが意図されています。このように、光華女子学園は仏教精神に基づく女性教育の場なのです。