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みんなが同じいのちをもっているのだから
ぼくたちは兄弟姉妹だといえるんだね (日野原 重明)

2009.02.18

日野原 重明さん(聖路加国際病院理事長・同名誉院長)の詩集『いのちのバトン』の中の「いのち」という詩の一節にあることばです。
日野原さんは、97歳の今も現役の医師として患者さんの診察をされていますが、同時に小学生に対していのちの授業も数多くされています。
この詩は、人間も牛も鳥も昆虫も花も木もすべて生きているからいのちをもっている、みんなが同じいのちをもっているのだから兄弟姉妹だといえる、と詠まれています。
この詩から私のいのちは、私だけのいのちではなく、すべてのものによって生かされている いのちであり、遠い過去から引き継がれてきたいのちであること、平等で掛け替えのない尊い いのちであることがわかります。また、私達一人ひとりが、いのちあるもの全ては兄弟姉妹だ ということを憶念すれば、戦争はなくなり平和が必ずおとずれる、そういう願いを込めて詠ま れた詩だと言えます。
私達は、人間関係に悩んだり、仕事がうまくいかなかったり、不安なことがあると孤独で あることを実感します。人は、誰にも代わってもらうことのできない孤独ないのちをひとり 生きなければならない身であると言わざるをえない状況になります。
しかし、この詩を通してあらためて考えてみますと、私のいのちというのは、他のいのちと互いに深く関わり合い、支え合い繋がりあっているいのちだということがわかります。 その深いいのちのつながりを自覚することにより、決して孤独ではなくひとつの共なるいのちを生きているということが顕かになります。そのことによってはじめてすべてのいのちあるものは、兄弟姉妹だということができるのではないでしょうか。
宗祖親鸞聖人は、仏の教えを仰ぎ「共に」生き、喜び、悲しみ、励まし合う仲間を「御同朋」と私達に呼びかけてくださっています。
世界中の人々が共に手を携えて、同じいのちを生きるものとして思いやりのこころをもって接すれば兄弟姉妹のようになれるはずです。
日野原さんの理想とされた真実の世界になることを願って止みません。(宗)

>磬一下 今年報恩の第一聲
(けいいちげ ことしほうおんのだいいっせい)(句仏上人

2009.01.18

明けましておめでとうございます。新しい年を迎えました。今回は本学の創立を発願され、お亡くなりになるまで本学の総裁であられた大谷智子裏方の義父、東本願寺第二十三代宗主彰如上人の句を紹介します。彰如上人は俳句などの道をよくされ、俳号を「句仏」と号されたことから、「句仏上人」ともよばれました。そして、上人の詠まれた句は単なる風流のみでなく深い仏の教えを潜めるものでした。
この句は、新しい年を迎えた早朝、親鸞聖人をまつる東本願寺の御影堂で、上人自らが導師となって一年で最初のお勤め(読経)をされたときに詠まれた句です。
「磬」とは、読経の最初に打つ、いわゆる「かね」のことで、「一下」とは、「磬」を打つ棒で一振り打ち鳴らすことを言います。この最初の一振りが、新年を迎えて、私たちをいつも慈悲の心でつつんでくださって いる仏さまのご恩、その教えを伝えてくださった親鸞聖人のご恩、共に生きるすべてのもののご恩へ報いる、新年最初の「お勤め」の第一聲であると、句仏上人の報恩の心で生きる一年の始まりを詠まれています。
新年に当たって、私たちも、慈悲心に包まれ、生かされて共に生きる自らを見つめたいものです。
昭和十五年四月、光華高等女学校の開校に当って、句仏上人から「光華女学校の開校を祝して」と題した
  無量光(むりょうこう)の 恵みに咲けよ 若ざくら   句仏
が寄せられました。(宗)
※無量光=仏の放たれる限りなき光のこと。阿弥陀如来の別名

当たり前のことに感謝

2008.12.18

私達は、人からとても親切にされたときや物などをいただいたとき、とてもうれしく思い感謝します。しかし、日常生活の中で特別に何かをされたり、もらったりしなくても感謝することはたくさんあります。例えば、自分の体が自由に動くこと、五感の自由が利くこと、友人がいること、今日も生きていることなど普段何気なく生活している中にたくさんの感謝すべきことがあります。要するに私達はあることが当たり前になり、それが自分自身の基準(尺度)となっているのです。
実はその当たり前のことを一番感謝すべきありがたいことだと「気付く」ことが大切なのです。では、どうすれば「気付く」ことができるのでしょうか?
仏教では、人が生きていく上での基本となる道理を示されています。 そして「目覚め」の宗教であるとも言われています。「目覚め」とは、今まで 当たり前、正しいと思っていたことが「当たり前ではなかった、間違いであった」 と、自分の非に気づかされることです。
わかり易くいいますと、阿弥陀様のものの見方に気付いていく中に、それまで正しいと思っていたことの間違いに気付かされていく、これが「目覚め」ということではないかと思います。物事に対して優劣・善悪の価値や、自分にとっての都合しか考えない損得勘定を最優先するものの見方は、思い通りにならなければ、必ずその結果として苦痛だけが残ります。「目覚め」は、煩悩を通さない(煩悩の無い)阿弥陀様のものの見方によって、優劣・善悪・損得勘定の見方がいかに虚しいものであるのか知らされることです。
その唯一の解決方法こそが、お念仏(南無阿弥陀仏)であり、阿弥陀様の御教えを聞かせていただく(聞法)ことであります。これらの実践が目覚めて行くことを忘れない人生を歩ませてくれる働きがあるのではないでしょうか。(宗)

おかげさまの気持ちを忘れずに

2008.11.18

皆さん近江商人という言葉を聞かれたことはあると思います。近江の国はここ京都の隣の滋賀県のことで、非常に真宗の教えの盛んなところでもあります。先日、大阪の南御堂で行われたある講演会で、作家の五木寛之先生が御堂筋について、「北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)を結ぶから御堂筋と呼びます。お念仏のさかんな近江の国の商人が、御堂の鐘の音が聞こえるところに本店を持ちたいと願い、やがてそうした先代の願いを受けて丸紅や伊藤忠といった商社も御堂筋にやってきて大阪の経済を支えてきた。御堂筋とは信仰によって発展してきた街です」とお話しになられました。この話しを聞いて、信仰心の厚い近江商人が大阪経済の発展に関係しているのだと驚いたのですが、司馬遼太郎さんの著書『街道をゆく』によると、近江商人はこの他にも、現在の私たちにとって非常に大切なことを全国に広めています。それは「おかげさま」という言葉です。私たちは人から物をもらったり、親切にされるなど、自分にとって都合の良いこと、うれしいことがあると「おかげさま」といって喜びます。一方、自分にとって都合の悪いこと、残念なことが起こってしまうと、「おかげさま」とはなかなか言えません。逆に不平不満、愚痴をこぼしてしまいます。目先のことに対しては「おかげさま」とすぐに気づくのですが、なかなか大きな「はからい」には気がつかないものです。しかし、よく考えてみますと自分にとって都合の悪いこと、残念なことなどの方が、その後の自分を成長させる働きがあるのではないでしょうか。私たちは自分ひとりで生きているわけではありません。多くの人たちに支えられ、お世話になり、助けられながらともに生きています。すなわち自分が気づかない無数の縁、言い換えれば「大きなはからい」によって生かされていただいているのです。この「大きなはからい」こそが、阿弥陀如来のはからいであり、そのはからいをしっかりと受け止め、「おかげさまで」と感謝し毎日を生きていくなかで、生きがいのある人生が生まれてくるのではないでしょうか。辞書を引いてみますと「おかげさま」という言葉は「おかげ」をていねいに言う言葉で、「おかげ」とは他人の助力や援助という意味の他、神仏の助けという意味もあるそうです。良いことも悪いことも「おかげさま」と受けとめ、「自分が、自分が」ではなく「おかげさま、おかげさま」と感謝し、共に喜び合いながら暮らしていきたいものです。 (宗)

私は好きになりたいな、何でもかんでもみいんな。 誰でもかれでもみいんな。 (金子 みすゞ)

2008.10.18

童謡詩人 金子みすゞさんの「みんなを好きに」の詩の一節にあることばです。
金子みすゞさんは、どんな相手にもやさしく寄り添い、相手の立場に立つことができる方、即ち、一切衆生すべての生き物の立場から物事を見ることができる方でした。
また、その慈愛に満ちた眼差しから人の優しさ、あたたかさ、かけがえのない尊いいのちの大切さを教える詩を数多く残してくださいました。
この詩は、「葱、トマト、おさかな」「お医者さん、烏」を例に挙げて、すべてを残らずみんな好きになりたいと詠まれています。
人は、苦手なものや嫌いなものが必ずあります。それらをすべて好きになることはとても難しいことです。叶わぬ願いかもしれません。しかし、金子みすゞさんは、食卓に出された母親の作った料理を目の前にしたとき、ここにいたるまでに、母親をはじめとして多くの人の手によって作られた料理であること、また、もとをたどればすべていのちがあったものであり、そのいのちをいただくことになったとき、「みんなを好きに」と思わずにはいられなかったのでしょう。
すべてのいのちは平等で尊いものであることを強く思うこととともに、そのいのちを奪わなければ生きていくことができない人間の悲しい現実をしっかりと見つめることによってはじめて、他者のおかげにより生をいただいて、生かされてあるいのちであることがわかるのではないでしょうか。
人は、自分のものさしで、いい人、悪い人、好き、嫌い、役に立つ、役に立たないと自分勝手に価値判断をしています。正しくものを見ているつもりでも、本当は、自己中心的にしか見ていません。
金子みすゞさんは、そのことに気付かれて、少しでも人のいいところを見つけて好きになろうと努力されました。
そして、すべてのものが等しく、かけがえのない大切な存在であることが認められる世界、好き、嫌い、役に立つ、役に立たないに関係なくそのままを受け入れられる世界、一人ひとりが輝ける世界、そういう真実の世界に生まれることを願われていたのではないでしょうか。(宗)

肺一葉 捨てて はじめて 空気の存在を 実感しました
無形の存在を たしかに 受容できました (「無形の存在」 鈴木章子)

2008.09.18

鈴木章子(あやこ)さんは、北海道の東端、知床半島の付け根に近い斜里町の真宗大谷派西念寺の坊守で、斜里大谷幼稚園の園長をつとめておられました。また、四人の子どものお母さんでもありました。四十二歳のとき乳癌発症の告知を受け、転移した癌のため肺の切除など、四十六歳で亡くなるまでの四年間、死と向かい合う苦しい闘病生活の中、念仏の教えを聴聞し、「いのち」とは?人間としての生き方とは?を問い続けられました。健康なときは気にも留めなかった空気のような形無きものの私への働きを実感し、多くの有形、無形のもの、大いなる「いのち」のおかげによって生かされている自分であることに目覚められました。
今月の言葉は、その鈴木章子さんの言葉です。
鈴木さんは『癌告知のあとで』(探求社)の中に、次のような歌を遺しておられます。
「割れやすき器のごとき命なり 今ひとときを輝いていたし」
自分ではなんともできない、大いなる「いのち」によって生かされている私、生かされている限り、与えられた「いのち」を精一杯生きなければと、「限りある命」に真正面に向きあって生きる鈴木さんのすがたに、人間としての生き方を学ばずにはおれないのではないでしょうか。(宗)

和 (やわ) らかなる人生は笑顔から

2008.08.18

私たちがこの世の中を生きていく上で「笑顔」がない人生なんて考えただけでも楽しくありません。皆さん、家族や友人の「笑顔」を見ているだけで自分が幸せになり、心豊かになった気持ちになりませんか。自分自身が、本当に「嬉しい、楽しい」と感じたときの感情が表情として自然に「笑顔=笑い」となって出てくるものです。真の「笑顔」は無理やりにはできません。
親鸞聖人が最も大切にされた「仏説無量寿経」の中に、法蔵菩薩が積まれた菩薩行の一つとして「和顔愛語」を説いています。相手の身になって自分ができる心がけ(態度、言葉など)を四文字であらわしたものですが、和らいだ笑顔と、慈愛の言葉で人に接することをいい、これを行うことで人と人、心と心の深いつながりをつくることができる、と説きます。さらに言えば、「人間が生きていくための基本」であり、その実現が争いのない、平和な世界の実現ということができるのではないでしょうか。
まさに、「笑顔」の働きは、このことを示しているといえるでしょう。

参考までに、「笑顔=笑い」にはこんな効用もあると言われています。「笑う」という行為によって、脳が刺激され、それが神経へと伝わり、がん細胞や、細菌に感染した細胞を死滅させる力になるとのことです。つまり、笑う行為によって身体が活性化され、免疫力がアップするということのようです。さらに、笑うことによって自律神経を整えたり、肺の強化に繋がるとも言われています。
「笑顔=笑い」は、人生にとっていいことばかりのようです。「笑顔」の生活を!!(宗)

心配するな、大丈夫、なんとかなる(伝 一休宗純)

2008.07.18

今月は、皆さんよくご存知の室町時代の禅僧(臨済宗)一休さんのお話しです。
一休さんはマンガにもなったように、時の将軍足利義満とのトンチ話し(屏風の虎)で有名ですが、  浄土真宗の中興の祖、蓮如聖人とも親交があり、「分け登るふもとの道は多けれど同じ高嶺の月こそ見れ  」(真理の山に向かう道は異なっても、私たちは同じ月をみている)という歌を残されておられます。
宗派間の争いが絶えない当時のことを考えると、枠に囚われない一休さんの大きさを感じることができる歌ではないでしょうか。一休という名前の由来である歌「人生は、この世からあの世のまでの間の一休み」  や数々の奇行、腐敗した宗教界への批判、悟りを開いた高僧とは思えない臨終の言葉「死にとうない」などの  エピソードから伺える一休さんの人柄は、非常に人間味あふれるものであり、常に庶民とともに歩む僧として  多くの方から慕われていたことでしょう。
さて、一休さんは八十七歳という当時としては非常に高齢で亡くなられたのですが、亡くなる直前に弟子た  ちに「この先、どうしても困ったとき、苦しいときに開けないさい」と一通の手紙を残されたそうです。  数年後、弟子たちが本当に困り果てその手紙を開けると、中には「心配するな、大丈夫、なんとかなる」と  書かれていたそうです。
この話しの真贋はともかく、近年、社会の構成・制度・風潮が大きく変化していく  なか、仕事の悩み、家庭の悩み、人間関係の悩み、金銭の悩みなどを抱えておられる方も多いことと思います。  そして、必死に悩めば悩むほど、ますます自分の先行きを不安に思われるのではないでしょうか。
しかし、悩みや心配を抱えてつらいのはよくわかりますが、そういった悩みや心配を抱きながら何かをしても、  そうした精神状況では視野も狭くなり、結局、判断を誤り、ほとんどの場合、良い結果は得られないのではな  いでしょうか。もし、皆さんが深刻な悩みを抱えておられるなら、一休さんの「あなたが心配しているような  ことを心配してもどうにもなりませんよ。だいじょうぶ。なんとかなる」というアドバイスを思い返し、  つらいけど少しでも精神的にゆとりを持って落ち着いて対応していきましょう。きっとその悩みも乗り越え、  笑顔で話せるときがやってきます。(宗)

このみちのさきには、なにかなにかあろうよ。 みんなでみんなで行こうよ、このみちをゆこうよ。(金子 みすゞ)

2008.06.18

童謡詩人 金子みすゞさんの「このみち」の詩の一節にあることばです。
金子みすゞさんの詩は、あたたかく深くやさしさに満ちたものばかりで、生かされてあること、目に見えないものの大切さ、生きとし生けるものはみなかけがえのない尊い存在であることを教えてくれます。また、どんな相手にも寄り添い、喜び悲しみを共にする仏の心(慈悲の心)をもった方でした。
この詩の中には、金子みすゞさんが呼びかけられたものが三つあります。榎と蛙と案山子です。ひとりぼっちの榎には、仲間がいる大きな森があるから行ってみないかと呼びかけ、蓮池の蛙には、大きな海があるよと呼びかけ、寂しそうな案山子には、大きな都があるからといって誘いかけています。どれも明るく大きな世界へ一緒に踏み出そうと勇気づけています。実は、この三者とも私達人間の姿であるといえます。
私達は、時に、人間関係がうまくいかなかったり、仕事に失敗したり、つらいことや不安なことがあるとたちまち弱さを露呈して、孤独を強く実感することになります。
そんな時に「元気を出して行こう」「きっと何かあるよ」といわれると、勇気づけられ希望の光が見えてきます。また、「みんなで行こう」と誘われるとひとりではないことがわかります。 金子みすゞさんは、不安で立ち止まっている人に大きな手を差し伸べようと呼びかけられているのです。
「生きる」ということは、先の見えない、案内板のない道を行くようなものです。
その中で、私達が歩み出すべき確かな道とは、釈尊、宗祖親鸞聖人が明らかにされた仏教の教えであります。
この教えは、私達のこころの拠りどころであり、支え励ましている教えであるといえます。その教えのもと、一歩一歩着実に前へ踏み出して進んでいくことが大切なことなのです。そして、この道の先にある私たちが還って行く場所が定まると、生きることが喜びとなり、安心することができるのではないでしょうか。
金子みすゞさんは、この道の先には、やがて自分自身が還ってゆく場所、本当の安らぎのある世界、いのちの還る永遠の故郷(仏の世界)があることを確信して、そこに向かって一人ではなくみんなでいっしょに行こう、と他者と自分自身を励ましながら歩み続けられたのではないでしょうか。(宗)

「柱のきず」にさえ 自分を確認できた
わたしだったのに 今は「私が基準」となって
一人ぼっち (平野修『愛の目・愛の心・愛ある人』九州大谷短期大学刊)

2008.05.18

この「柱のきず」は、「柱のきずはおととしの、5月5日の背(せい)くらべ・・」と歌われた『背くらべ』(詩:海野厚、曲:中山晋平)の一節にあるものです。歌は小学校唱歌として昭和28年から小学校3・4年生の教科書に掲載され歌われてきましたが、平成3年教科書から消えました。
しかし、なぜか耳の底に残り、懐かしく思われる人もおられるでしょう。
初夏の光に包まれ、生きとし生けるものすべてが生命の喜びを謳(うた)う中、一昨年(おととし)、兄さんが背丈をはかって柱につけてくれたしるし(きず)と比べて、今年までの自らの成長を確かめている、ほのぼのとした光景が目に浮かびます。この成長の確認はきっと背丈だけの確認ではなく、私には、生きとし生けるものの慈(めぐみ)の中での「心・身」ともの成長の確認であったと思えます。そこには、思い出のきっかけでしかないような柱の「きず」に、自らを見つめる純真な姿がうかがえないでしょうか。
いま、私たちは何を基準にして自分を確認していますか。
慈(めぐみ)を忘れた「自分(我)への執われ」「自分の都合」を基準にしていないでしょうか。常に自らを省(かえり)みる生き方をしたいものです。 (宗)