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「至徳(しとく)の風 静かに衆禍(しゅか)の波転ず」

2015.10.19

「暑さ、寒さも彼岸まで」といわれる彼岸も過ぎ、吹きそよぐ風も心地よく、過ごしやすい季節になりました。今月の言葉は、「風」を語っていますが、そうした季節の風の働きを言った言葉ではありません。

この言葉は、親鸞聖人の主著『教行信証』(行巻)にある言葉です。親鸞聖人は皆が救われることができる道を求めて幾年も修業を続けられました。そうして二十九歳の建仁元年(1201)、法然上人が信じ説かれていた阿弥陀仏の本願の教えに出遇われ、それまでの自力往生の修業の道から阿弥陀仏の大慈悲の本願に身を任せる他力往生の道へ回心(えしん=心の変化)されました。煩い・悩みから逃れることができず、迷いの生活をしているのが人間である。そうした生き方から救われるには阿弥陀仏の本願に任せるよりほかに道はないとの聖人自らの体験を通した覚(めざめ)があったからと考えられます。

聖人はこの阿弥陀仏の本願を、喜びと確信をもって「難度海を度する大船」「無明の暗を破する恵日」(総序)と表されました。また、「至徳の風」(この上ないすぐれた徳の風)ともたとえられ、「衆禍の波」(人間の煩い、悩みからの迷いの生活)を転じて、静かに救いの世界へと到らせてくれる、と述べられています。

光華女子学園には親鸞聖人の教えに基づく名前がつけられた施設が多くあります。大学の図書館、情報教育センター、小講堂などを擁する「徳風館」もその一つです。今月の言葉「至徳の風」から名付けられました。

今一度、建物の名前を通して学園の「願い」を確認したいものです。(宗教部)

「正直に生きる」

2015.09.19

「正直」とは、正しくて、うそや偽りのないことを言います。私たちは、何事にも正直に生きていなければならないと思いながら実際はどうでしょうか。
また、ことわざに「正直者は馬鹿を見る」という言葉があります。ずる賢い者は上手く立ち回って得をしますが、正直な者は秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いということです。確かに、その様な経験をされたことがあるのではないでしょうか。

そこで、これらを仏教の教えに置き換えて考えてみたいと思います。仏教の根幹とは、「因果の道理」です。因果とは、原因と結果の関係であり、その関係を成立させるには「縁」が必要になります。原因があっても即結果には至りません。結果を出すためには「縁」が必要になります。そのことを仏教では「縁起」といいます。一般的には、縁起が良いとか悪いとかいいますがその様な意味合いではなく、仏教でいう「縁起」とは、一つの原因によって結果が生じるのではなく、多くの原因が集まって結果が生じるということです。種の発芽を例で言えば、種が因で、水や温度など様々な要素が縁です。この因縁の関係によって事象が起こります。その結果として種が発芽するという結果にいたります。つまり、様々な条件が重なって物事が起こっているということです。

お釈迦様は、「まかぬ種は生えない まいた種は必ずはえる 刈り取らねばならないすべては 自分のまいたものばかり」と教えられています。 さらに、「まいた種は必ず生えるが、生えてくる時期には、前後があるのだ」と教えられています。 このことを「順現業」、「順次業」、「順後業」といいます。「順現業」とはすぐにあらわれる種まきのこと、「順次業」とはしばらくたったのちにあらわれる種まき、「順後業」とはずっとのちにあらわれる種まきのことをいいます。つまり、お釈迦様は、「まいた種まきは目が出る時期にこそ差はあっても必ず芽が出てくる」と仰られています。今の努力に無駄はないということです。逆に、「刈り取らねばならないすべては 自分のまいたものばかり」とは、努力をしないでいるとそのツケが必ず自分に返ってくるということです。

私たちは、日々生活する中で物事の結果をすぐに求めてしまいがちになっています。逆にいえば、結果がついてこないことには興味すら示さないこともあるのではないでしょうか。勿論、結果を求める姿勢は大切ですが、利己的な物事の考えや行動ばかりの人生を送るのも良くありません。その物事の見極めが大切です。さらに、人とのかかわりを粗末にするか否かで、信頼関係は大きく左右します。人との出会い(ご縁)を大切にすれば、必ず信頼関係という種が芽生えます。今月の言葉「正直に生きる」とは、何事にも真面目にコツコツと努力を惜しまず取り組み、正直な人生を送ることなのではないでしょうか。(宗教部)

「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」

2015.08.19

今月の言葉は江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。
良寛さんは江戸時代の末期1758年、越後の名主の長男として生まれ、18歳で出家し曹洞宗光照寺で修業を積まれました。22歳の時、玉島(岡山県倉敷市)円通寺の国仙和尚に師事し、国仙和尚の死後は越後に戻られ、各所の空庵を転々とされた後、国上山(燕市)にある国上寺(こくじょうじ)の五合庵に定住され、そこで約20年間を過ごされました。そして、60歳を前にして体力が衰えられてからは国上山のふもとにある乙子(おとこ)神社の草庵に移り住まれ、69歳の時に国上山を離れて、島崎(長岡市)の木村家に移住し、74歳でお亡くなりになられます。
このようなご経歴の良寛さんは、とても多くの方々に親しまれたお坊さんでした。普通のお坊さんのように、お葬式での勤行や、仏典を引用したさまざまな説法をされるわけではなく、空庵を転々とされる質素な生活を続けられ、一般の方々にはわかりやすく簡単な言葉で仏法をお話しされ、裕福な人々とは詩や和歌を詠み交わされました。また特に子どもを愛し、「子供の純真な心こそが誠の仏の心」といって子どもたちと一緒に遊び、戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながらお酒を好み、農夫と頻繁に杯を交わされたそうです。このように良寛さんは、老若男女や貧富等によって人を分け隔てする事が無く、誰とでも、優しく温かい気持ちで触れ合われたので、その人柄に接した人々は皆、穏やかに和んだと言われています。

今回ご紹介する言葉は、良寛さんが晩年、和歌のやり取りを通じ心温まる交流を続けられた弟子の貞心尼が、良寛さんとの和歌のやり取りをまとめられた歌集「蓮(はちす)の露(つゆ)」に出てくる良寛さんの言葉です。
貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛さんのもとに駆けつけると、良寛さんは辛い体を起こされ貞心尼の手をとり「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠まれました。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやかれお亡くなりになったそうです。この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのではないでしょうか。この最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛さんご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」おっしゃっておられます。良寛さんの着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌ではないでしょうか。(宗教部)

「深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある」(平野恵子)

2015.07.19

今月のことばは、平野恵子さんの『子どもたちよ、ありがとう』という書籍の一節です。

平野さんは、岐阜県高山市にある浄土真宗の寺院の坊守(住職の奥様)で3人の子供のお母さんでしたが、41歳という若さで腎臓ガンのため亡くなりました。『子どもたちよ、ありがとう』という本は、39歳で病を発症してから亡くなるまで、2年間の闘病生活の中で書かれた子どもたちへの手紙(遺言)です。
平野さんは、病を患うまでは、いたずらっ子の息子さん、寝たきりの病気を患う重症心身障害児のお嬢さんの子育てに、なぜ我が子だけが、と自分の思い通りにならない憤りや失望を感じておられたそうです。しかし、残された時間がわずかだと悟った時、子供達への途方もない愛情と「ごめんね」、「ありがとう」という胸に溢れる感謝の気持ちに気づき、自分が今できることは何かを必死に考えたのです。以下、平野さんの言葉を引用します。

「実は、お母さんはとてもわがままな人間で、自分の思い通りにならないと腹が立つのです。そして、なんとかしようと頑張ってみるのですが、それでも、やっぱりどうにもならないと、今度はがっかりして、泣きたくなるのです。ずうっと昔からそうでした。特に、結婚して、あなた達が生まれてからは、毎日毎日が、失望と苛立ちの積み重ねでした。―」

「―お母さんの病気が、やがて訪れるだろう死が、あなた達の心に与える悲しみ、苦しみの深さを思う時、申し訳なくて、つらくて、ただ涙があふれます。でも、事実は、どうしようもないのです。こんな病気のお母さんが、あなた達にしてあげられること、それは、死の瞬間まで「お母さん」でいることです。元気でいられる間は、御飯を作り、洗濯をして、できるだけ普通の母親でいること、徐々に動けなくなったら、素直に、動けないからと頼むこと、そして、苦しい時は、ありのままに苦しむこと、それがお母さんにできる精一杯のことなのです。そして、死は、多分、それがお母さんからあなた達への、最後の贈り物になるはずです。―」

「―人生には、無駄なことは、何一つありません。お母さんの病気も、死も、あなた達にとって、何一つ無駄なこと、損なこととはならないはずです。大きな悲しみ、苦しみの中には、必ずそれと同じくらいの、いや、それ以上に大きな喜びと幸福が、隠されているものなのです。素行ちゃん、素浄ちゃん、どうぞ、そのことを忘れないでください。たとえ、その時は、抱えきれないほどの悲しみであっても、いつか、それが人生の喜びに変わる時が、きっと訪れます。深い悲しみ、苦しみを通してのみ、見えてくる世界があることを忘れないでください。そして、悲しむ自分を、苦しむ自分を、そっくりそのまま支えていてくださる大地のあることに気付いて下さい。―」

「―お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。本当に本当に、ありがとう。あなた達のお陰で、母親になることができました。親であることの喜び、親の御恩の深さも知ることができました。そして、何よりも、人として育てられる尊さを知りました。あなた達のお陰で、とても、にぎやかで楽しい人生でした。―」

命の期限を意識した時、とてつもない苦しみを味わった時、平野さんの生きている世界が、見える景色が変わったのだと思います。今まで不満に思っていた日常が、私が中心だった世界だったことに気づき、本当はなんとありがたい世界であったのかと感じたのでしょう。最後に自らの死を贈り物とし、悲しみ、苦しみを通してのみ見える世界がある、そして、どんなに辛い時もありのままの自分を支えてくれる大地(仏の願い)があると残したメッセージ、それは最後に母が子に伝えたかった真実でした。 (宗教部)

「この世界を吹き飛ばすほどの嵐が吹いたとしても、 この灯(あか)りだけは決して消えることがないであろう。」 -『貧者の一灯』より-

2015.06.19

昔々、インドのある町に、お釈迦さまがお立ち寄りになり、尊いお話をされることになりました。

その町に一人の女の子が住んでいました。女の子は貧しく身よりのない身でしたが、明るく一生懸命に生きていました。女の子はうわさをきいて、ぜひお釈迦さまのお話を聞きたいと思いました。でも、お釈迦さまのお話を聞くためには、お供えの「灯り」を持っていかなければならないことになっていました。

女の子には入れ物や油を買うお金も十分にはありませんでしたが、少しずつ働いてお金をため、ようやく小さな入れ物とわずかな油をゆずってもらうことができました。

さて、お釈迦さまがお話をされる広場には、人々がお供えした、りっぱな灯りが燃えていました。女の子はそれを見て、自分の灯りがあまりにも小さいので恥ずかしくなりましたが、「私は私にできることを心をこめてすればいいんだわ」そう思い直して、自分の小さな灯りを広場の片隅にそっとおきました。

いよいよお釈迦さまのお話が始まろうとしたときです。突然強い風が広場を吹き荒れました。そのためにお釈迦さまの前にお供えしてあった、たくさんのりっぱな灯りも一度に消え、あたりは一瞬でまっくらな闇に包まれてしまいました。

ところがよく見るとお堂の片隅に置かれた、あの小さな灯りだけが、強い風にも消えないで静かに燃え続け、あたりを照らしているではありませんか。「それにしても、お金持ちがお供えしたあのりっぱな灯りでさえ消えたのに、なぜこんな小さな、みすぼらしい灯りだけが消えなかったのだろう?」だれかが不思議そうに言いました。

その時です。それまで黙っていらっしゃった、お釈迦さまがこうおっしゃいました。「この灯りを消すことが出来るものはいないだろう。なぜなら、この灯りは本当に仏さまの心がわかった者がささげてくれた灯りなのだから・・・この世界を吹き飛ばすほどの嵐が吹いたとしても、この灯りだけは決して消えることがないであろう。そして、仏さまの教えとともに、いつまでも燃えつづけるであろう。」

そして女の子のともした「灯り」は燃え続けました。お釈迦さまの教えとともに、いつまでもいつまでも燃え続けました。 私たちの光華女子学園にもこの「灯り」は伝わり、今もまだ燃えつづけています。私たちもあの女の子のように、この「灯り」を決して消すことなく心の中で燃やしながら、自分自身のいのちを精一杯生きていきましょう。(宗教部)

「耳ある者たちに甘露の門は開かれた」『大品』

2015.05.19

菩提樹下で成道を果たした後、釈尊は自らが到達した悟りの内容が深遠で他の人々に容易に理解できるものではないことに気づき、悟りの内容やそこへの道を人々に説き示すことに躊躇が生じたと仏典は伝えています。そこで、仏典は梵天を登場させて、説法を促す梵天と説法を躊躇する釈尊との対話という物語にして釈尊の説法決意への軌跡を描き出します(梵天勧請)。今月のことばは、説法を決意した瞬間の釈尊の宣言からの抜粋です(宮本啓一『仏教かく始まりき』p. 42,片山一良『パーリ仏典相応部有偈篇Ⅱ』p. 142)。

甘露とは、アムリタ(amṛta)「不死」を意味します。ここでいう不死とは、生物学的な意味ではなく、生死の恐れを越えたこと、すなわち釈尊を仏たらしめる悟りの境地を意味します。「耳ある者たち」に、生死流転の苦しみを脱し、寂静なる境地へと至る門が開かれた、つまり、その者たちに釈尊自身が生死流転の苦しみを乗り越えたその道を説き示す、という宣言から仏教の歴史は始まりました。では、「耳ある者たち」とはどのような人たちなのでしょうか。

説法を決意する直前、釈尊は梵天に促されて世間の人々を思い起こします。そして、そこに、釈尊の教えに出会うことでより善く生きることができる者たちがいることに気づきます。その者たちは「あの世と罪とに対して恐れを感じて暮らしている者」と言われています。

「あの世に対する恐れ」とは、自らが死を持って終わる人生を生きていると自覚していること、「罪に対する恐れ」とは、今の自分の行いが未来の自分に影響を与えると知っていることを意味します。どちらも当たり前の事実ですが、釈尊が説法を躊躇するほどに、わたしたちはしばしばこの事実を忘れ、時を空しく過ごし、善く生きることよりうまく生きることに夢中になってしまいます。

限りある人生をより善く生きたいと多くの人は望むことでしょう。そのとき、わたしたちは自分自身に「善い」とはどういうことかを問わなければなりません。そして、そのためには、自分が当たり前の事実をきちんと受け止められているかを確かめなければなりません。自分自身にこのようなことを問いかけ続けることで、わたしたちは、釈尊が切り開いた大いなる道からの声を聞く「耳ある者」でいられるのでしょう。(宗教部)

「よきひとのおおせをかぶりて 信ずるほかに別の子細なきなり」『歎異抄』

2015.04.19

桜の開花とともに新たな学びの仲間を迎えて、共に新たなる第一歩を踏み出す季節となりました。今日を迎えられたということは、多くの先生や友人、家族、その他の有縁の方々のおかげであることをどうか忘れないでほしいと思います。これから歩まれる道は、未知との出遇いの連続となることでしょう。その中には、よき師、よき友、新たな知識、そして、これからの人生を決定する大きな出遇いもあるでしょう。人は出遇いとともに成長するものです。その出遇いを通して自分が進むべき道をしっかりと見定めてください。

このお言葉は『歎異抄』の「第二条」の一節です。念仏の教えに不安と疑念を抱き、いのちがけで関東から遥々京都まで訪ねてきた人たちを前にして親鸞聖人は次のように言われました。―このわたし親鸞におきましては、「ただ念仏して阿弥陀如来にたすけられなさい」という、よきひと(法然上人)の仰せをいただいて、そのとおり一筋に信ずることがすべてです。その他には何もありません。たとい法然上人に騙されて念仏して地獄におちたとしても断じて後悔することはありません。― と明言されたと記されています。

親鸞聖人においては二十九歳の時、よきひと(師)である法然上人と感動に満ちた決定的な出遇いをされました。この出遇いを通して念仏もうさんとおもいたつ心が湧き起こり、念仏する身となられて「煩悩具足の凡夫」である自分のために大きな願いがかけられていることに気付かれました。この出遇いの感動と感謝のこころを憶念しながら、よきひとの仰せのままに一途に信じていかれました。後にこの法然上人との出遇いがなかったならば人生が空しく過ぎたであろうと振り返っておられますし、どんなことがあっても決して後悔しないとまで断言できるほど師に対して決定的な尊崇と信頼を託されました。

私たちの人生には数多くの出遇いがあります。何気ない出遇いもあれば、劇的な出遇いもあります。親鸞聖人と法然上人のようにたった一人の人との出遇いが人生を根底から変えることもあります。仏教とは出遇いの宗教であると思います。様々な他者と出遇い、真実の教えに出遇い、それらを通して本当の自分自身に出遇うことだと思います。本当の自分自身との出遇いがないままに私の人生を生きるということにはならないのではないでしょうか。「何のために生まれてきたのか」「どう生きるのか」「本当に大事なことは何なのか」そのことを考えることにより本当の自分自身が明らかになると思います。

すべての方々が、よきひと(=真実の教え)とのかけがえのない出遇いを通して、本当の自分自身に出遇われること、そして、その一切を成り立たせている大きなはたらきに出遇われることを切に願います。(宗教部)

「親のおかげ 先生のおかげ 世間様のおかげの固まりが自分ではないか」
(上所重助)

2015.03.19

3月は卒業の季節。卒業は一つの区切りであると共に目標に向かい、新たな気持ちで出発する日でもあります。卒業生は、親をはじめ周りの方々の想いや自分の成長を感じ、 支えて下さった全ての方々への感謝の気持ちをもって卒業されるのではないかと思います。

よくよく考えてみますと、人間は一人で生きていくことはできません。いろいろな周りの人の支え、つまりは「おかげ」によって生かされているのです。
そして、生かされていると必ず成長します。この成長というのも実は独りではできないのです。なぜなら、そこには必ず競うべき他者の存在がいるからです。競うべき存在というのは最終的に自分自身を成長させることに繋がるのです。他者がいるから自分も大きく成長できる。そう思えば、自然に他者に対して「おかげ」であるという心が備わると思います。

今月の言葉は上所重助さんの「おかげさま」という詩の一部です。特に「世間様のおかげの固まりが自分ではないか」というこの呼びかけは、日常、邪見や驕慢な心が湧いてくる私達に鋭い問いを投げかけてくれているようで、改めてその意味を考えさせられます。

この「おかげさま」という言葉は、諸説ありますが、古くから「お陰」とは神仏などの偉大なものの陰で、その庇護(ひご)を受けるという意味で使われていたそうです。私達は、日常生活の中で支え励ましてくれる「陰(かげ)」の部分が見えているのでしょうか。「自分1人の力で成し遂げた。」「自分が頑張ったから・・・」という物事の考え方では「おかげさま」が見えてこないと思います。大切なことは日々の「おかげ」に気づいていくことです。それは目に見えるものだけでなく、私達を支えてくれている万物の恵みに気づいた時に出てくる言葉が「おかげさま」だということです。「おかげの固まり」に気づいて、感じ取って日々暮らしていきたいものです。

最後に、この詩は最後の結びをこのように私達に呼びかけています。

『「俺が」、「俺が」、を捨てて「おかげさまで」、「おかげさまで」と暮らしたい。』と。(宗教部)

我必ず聖(ひじり)に非(あら)ず。彼(かれ)必ず愚(おろ)かに非ず。共に是(こ)れ凡夫(ただひと)ならくのみ。

2015.02.19

親鸞聖人が「和国の教主」と尊崇された聖徳太子は推古天皇三十年(六二二)二月二二日、四八歳で亡くなられました。そのご一生は国家として定まらない日本を近隣国が認める平和な国家にするための「国づくり」につとめられました。『十七条憲法』や「冠位十二階」の制定、遣隋使の派遣、『天皇記』『国記』など国の歴史の編さんなどです。聖徳太子はその実現のために最も大切なのが「人づくり」であり、そのためには人間を正しく理解することと考えられました

「今月のことば」は、太子が到達された人間理解を示された言葉です。それは仏教の説く人間理解の言葉でした。「我は必ずしも道理に通じた聖人ではありません。また、彼は必ずしも道理の通じない愚かな人ではありません。人は共に凡夫です。」との理解でした。即ち、人間の平等性であり、どんな人間も執われ(我執)から離れられず、煩いや悩みの中に生きる「凡夫」であるとの領解でした。太子はこうした「人間とは」を明らかにした仏教こそが人間の依るべき教えであると捉えられました。同『十七条憲法』第二条には仏教を、「四生(生きとし生けるもの)の終帰(よりどころ)、万国の極宗(究極の教え)」と記し、「仏・法・僧に帰依しまつらずは、何をもってか枉(まが)れるを直さん」と、仏教に基づく国家の実現を目指されたのでした。

自ら「人は共に凡夫です。」の言葉を語る時、金子大栄先生の「人間を考えるときには、自分も中に入れなければ考えられない。」の言葉を思いだします。(宗教部)

 

「ありのままで」

2015.01.19

明けましておめでとうございます。新しい年を迎えました。寒い日が続いていますが、来るべき季節へ、確実に自然の営みが行われています。皆様におかれましては、新年を迎えるにあたり色々な思いを持ってお正月をお過ごしになられたことと思います。

お正月には仏教寺院をはじめ本学園においても、新年最初の宗教行事として「修正会」を営みます。「修正会」とは、字の如く宇宙ロケットや人工衛星が軌道修正しながら目的地を目指すように、年の初めに 仏様の前で新しい年を迎えさせていただいた喜びを思い、自分の人生の軌道修正をする大切な宗教行事の一つです。

さて、今月の言葉「ありのままで」についてご紹介させていただきたいと思います。昨年、世間で話題となった映画の一つ、ディズニー映画の「アナと雪の女王」の主題歌「Let it go」で耳にされたのではないでしょうか。
ストーリーは、女王エルサとアナは美しき王家の姉妹。しかし、触ったものを凍らせてしまう秘められた力を持つ姉エルサが、真夏の王国を冬の世界に変化させてしまいます。その後、居場所を失ったエルサは王国を飛び出します。行方不明になったエルサと王国を何とか救おうと妹のアナは姉を探しに旅に出るという内容です。姉エルサは、今まで偽りの自分を生きてきたことに限界を感じ、これからはありのままの自分を生きていきたいという思いから新たな一歩を踏み出す中で、強い信念を感じることができます。同時に周りからの理解が得られず、彼女の苦しむ様子を伺うことができます。
しかし、人は皆この世に生を受け、生きていく上で、容姿・性格・能力・思考など、それぞれ違って当然のことです。

そのことを宗祖親鸞聖人は、身を持ってお示しくださったのではないでしょうか。
当時、仏教(僧侶)では、肉食妻帯(妻子を持ち、肉を食す)は固く禁じられていました。しかし、親鸞聖人はあえて非難を覚悟の上で、公然と肉食妻帯をなされたのではないでしょうか。その理由の一つとして、在家の人は、肉食妻帯しているので、もし、肉食妻帯して救われないとすれば、すべての人は、救われないということになります。当然、仏教界だけでなく、世間中のあらゆる非難を一身に受けられることとなったのですが、自分自身の生き方を貫き通し、「僧侶も在家の人も、男も女も、老いも若きも一切の差別なく、すべての人がありのままで救われるのが本当の仏教」だと気付かれ、そのことを明らかにするために実践されました。

仏教では「自然」を「じねん」と訓じ、「自ら然る」(人間の作意のないそのままのあり方)という意味に解しています。私たち人間は、自然環境(姿)を自分たちの都合のよいように操作できると考え、それを実行してきました。その結果、心身ともに安らぐことの出来ない多くの問題を引き起こすことになりました。

人間は自然を超えた存在でなく、自然の一部であることに今一度思いをいたすべきでしょう。自然のままに生きる、ありのままの生き方を学びたいものです。(宗教部)