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自灯明法灯明

2021.07.09

 釈尊は死期が迫ったときに「自らを拠り所(灯明)とし、法を拠り所(灯明)としなさい」と弟子たちに説いたとされています。釈尊最後の旅路を描く「大般涅槃経」の一節としてよく知られていますが、今回は「転輪王経」を手がかりに考えます(長部26経、片山一良『長部』第5巻)。

 本経で、釈尊は最初に自灯明法灯明の教えを示した後に転輪王について語りはじめます。転輪王とは古代インドで伝承される、武力に頼ることなく全インドを治める理想の王です。王位は相続されますが、天界に属する輪宝が輝いた者が転輪王となるのであって、相続されるものではないとされます。

 昔ダラネーミという転輪王が登場しその国では七代に渡って転輪王の治世が続き、人々は繁栄し幸福に暮らしていた。しかし七代目の転輪王の息子は転輪王にはなれず、徐々に国は衰退、人々は荒廃して互いに傷つけ合うようになったと釈尊は語ります。転輪王になった王となれなかった王との違いをこの経典はどのように描いているのでしょうか。

 転輪王は輪宝が陰ると、自ら退位し王位を息子に譲り出家します。後に転輪王となった王たちは、王位に就いたものの輪宝が消えたことに不安を感じ、出家した父王に尋ねに行きます。父はまず自分自身が転輪王として振る舞うことが必要だと教えます。社会のさまざまな立場の人、そして動物たちを「法」に基づき統治し、「法」に背く行為をなさず、貧しい者に施しをすること。そして、時に応じて賢者たちに、善とは何か不善とは何か、罪とは何か、何に従うべきか何に従うべきではないかなどを問うことが転輪王の務めなのです。転輪王となった王たちはこれを実践することで転輪王となりました。

 

 これに対し転輪王になれなかった王は、王位に就いた時に輪宝が消えていても、父王に尋ねに行きませんでした。そして「自分の考え」で統治を行ったと経典は語ります。「自分の考え」と言っても、何かおかしなことをしたわけではありません。大臣たちがアドバイスをすればそれを受け入れ、むしろ本人としては一生懸命、務めを果たそうとしています。盗みを働いた者がいれば理由を尋ね、困窮していることがわかると諭し財を与えます。しかしそうすると、財目当てで盗みを働く者たちが出てきました。すると、王はそれに対応するために厳しい罰を与えることにしました。その噂はすぐに広まり、人々は嘘をつくようになりました。こうして少しずつ社会は崩れて、人々は疑心暗鬼にかられ荒廃していきます。倫理が崩壊したさまを「人の寿命は10歳になり、5歳の少女が結婚する」と経典は表現しています。

 

 必死に対応しようとするこの王に足りなかったものこそが、「法に基づく」(法灯明)だといえます。それは、賢者たちに善とは何か等と問うこととも関係しています。つまり法灯明とは、目の前の現実に対応しようとする自分の価値観や考え方そのものを検証する姿勢、視点といえます。

 

 これは王や為政者のみに限りません。本経には相手を野獣とみなし殺し合っていた者たちが、人を殺すのをやめようと各自森などに潜み、7日後に「ああ、あなたは生きている!」と相手の生存を喜ぶ場面があります。相手に対する不安や恐怖にかられている「自分の考え」から解放されることで、他者の幸福を喜ぶ自分を見いだし、そこから社会が回復していく様子が描かれています。

 不安な時代が続きます。今を乗り切るために必要なのは、自分の不安に飲み込まれない自分を見る視点を育てていくことなのかもしれません。(宗教部)

新型コロナウイルスワクチン1回目接種完了

2021.07.09

本学園は、7月8日(木)・9日(金)の2日間、医療現場への実習を控えている看護学科・助産学専攻科の学生と教員の希望者324名に対して、新型コロナウイルスワクチン接種1回目を実施いたしました。


事前に新型コロナウイルスワクチン接種対策チームを中心に、運営方法の打ち合わせやリハーサルを行いました。また、コロナ禍での「密」を回避するため、受付時間の分散や検温・消毒などの事前受付の設置など工夫し、ソーシャルディスタンスを確保することで、接種対象の皆さまが安心・安全に接種を受けられるような環境整備に努めました。


当日の接種オペレーション(受付、予診票確認、予診、薬液充填・充填チェック、接種・接種補助、接種後経過観察)は、医師免許・看護師資格を有する本学教員および関係医療機関のご協力のもと行いました。接種前は緊張していた学生たちも本学教員が声かけを行うことで、安心して接種を受けることができました。


1回目のワクチン接種においては、重篤な副反応を発生する学生や教員はおらず、無事に終えることができました。
なお、2回目の接種は、8月5日(木)・6日(金)に実施いたします。


今後も安心・安全な教育環境の実現に努めてまいります。


【本件のお問い合わせ先】
学校法人光華女子学園
新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム
[E-mail] vaccine@mail.koka.ac.jp


新型コロナウイルスワクチン接種の実施について

2021.07.06

本学園は、このたび医療現場への実習を控えている看護学科・助産学専攻科の学生と教員を対象とした新型コロナウイルスワクチン接種を以下の日程で実施いたします。医師免許・看護師資格を有する本学教員および関係医療機関のご協力の下、安心、安全な接種体制で実施いたします。
今後は、順次、本学学生・教職員等への接種機会の拡大に努めていきます。


1.実施期間: <第1回目接種> 2021年7月8日(木)~7月9日(金)
       <第2回目接種> 2021年8月5日(木)~8月6日(金)


2.実施会場: 京都光華女子大学 瑞風館1階


3.接種対象: 看護学科・助産学専攻科の学生、教員で希望した者


4.ワクチンの種類:ファイザー社製ワクチン


【本件のお問い合わせ先】
学校法人光華女子学園
新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム
[E-mail] vaccine@mail.koka.ac.jp

【重要】新型コロナウイルスワクチン予防に係る職域接種の実施(保留)について

2021.06.25

6月22日にご案内いたしました新型コロナウイルスワクチン職域接種について、既に本学園も申請を行っておりましたが、厚生労働省より職域接種の一時保留の通知がありました。


そのため、今後、本学園で予定しておりました職域接種について、実施時期等が変更となることも予想されます。現時点では、予定通りの日程で準備を進めておりますが、今後、厚生労働省からの連絡により変更となる場合は、7月中旬頃までを目処にご連絡をさせていただく予定です。


つきましては、現時点で本学での接種を希望されている方につきましては、そのような状況をご理解いただき、他の接種会場での接種も含めて、各自でご判断をいただきますようよろしくお願いいたします。


【本件のお問い合わせ先】
学校法人光華女子学園
新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム
[E-mail] vaccine@mail.koka.ac.jp

新型コロナウイルスワクチン予防に係る職域接種の実施について

2021.06.22

本学園は、新型コロナウイルスワクチン職域接種の開始に係る政府の発表を受けて、新型コロナウイルス感染拡大防止に係る社会的要請に応え、地域自治体におけるワクチン接種の負担軽減等に貢献するとともに、本学園の学生・生徒・児童・園児・教職員等、学園関係者の健康と安全・安心を守り、学校生活を安心して送れるようにするため、学生・生徒(18歳以上)および教職員等を対象とし、ワクチン接種を実施することを決定いたしました。


【実施概要】
◆時期:2021年7月~8月
◆対象:大学生、短期大学生、大学院生、高校生、学園教職員等のうち、 18歳以上で接種を希望する者
◆規模:2,000人以内
◆ワクチン:政府配付の「モデルナ社製ワクチン」


※本事業は、ワクチン接種を強制するものでは決してありません。接種しないことにより、不利益を受けることはありません。


【本件のお問い合わせ先】
学校法人光華女子学園
新型コロナウイルスワクチン接種対策チーム
[E-mail] vaccine@mail.koka.ac.jp

ニューノーマル時代に生きる

2021.06.21

 新型コロナ感染症のパンデミックをきっかけに世界は大きく変わることになりました。そしてコロナ禍からポストコロナ時代に向けて社会全体が進み、これからの「ニューノーマル(新しい常識)の時代」に生きるということについて、しっかりと考える必要があります。ニューノーマルとは、社会に大きな変化が起こり、変化が起こる以前とは同じ姿に戻ることができず、新たな常識が定着することを指します。実は「ニューノーマル」という言葉は今出現した言葉ではありません。2000年代初頭、ネット社会が到来したことにより、これまでのビジネスモデルや経済論理が通用しなくなった後にも、またリーマンショックの金融危機の後、資本主義社会から持続可能な社会への変革が起こった時にも、このことが論じられています。
 
 今回の新型コロナ感染症拡大後のニューノーマルは、感染リスク低減のため、人と人との接触を減らす、人と人との距離をとるなどの感染予防を前提とした社会活動・経済活動・新しい生活様式への移行となります。

 ここで、日本で馴染みの深い有名な句、平家物語(琵琶法師語り手)の語り出しの句を紹介いたします。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」この意味は、平家の時代が終了して世の中が変わったことから、この世は常に変わりゆく、「諸行無常」と、どんな人も必ず衰(おとろ)えるという「盛者必衰」を仏教的価値観において表現していますが、実はこれだけを意味しているものではありません。「この世の全てのものは絶え間なく「変化」し続けている」ということも伝えているのです。つまり、人生や命、繁栄が「無常」とあれば、この世において生命が誕生すること、発展・成長すること、人々が幸せになることなども、これまた「無常」であるということを言っています。
 
 つまり、ニューノーマル時代への移行というのは、過去にも繰り返されたごく自然なしくみであり、それはいわゆる「無常」の世ではなく、人が幸せになるための変化であることをこの句から教えられます。

 その前提において、今回のニューノーマルへの移行については、対人関係への影響が強いため、コミュニケーション不足による対人トラブルや孤独化による心的ストレスがこれまで以上に引き起こされてしまうことが危惧されます。そこで、環境の変化、その影響を受けた我々の人間関係性の変化を、自身の中(心の中)にそれぞれがうまく取り込むことが重要になると考えます。物事に対する受け入れ方や考え方、捉え方によっては、想像していたものとは全く違う景色が現れることを知るべきであり、そうすることで解決する問題も多くあると考えます。一定ではなく、状況は必ず変化する。

 この平家物語の句から、無常の世に生きる知恵を授かることができます。
(宗教部)

「光華女子学園奨学会」定期総会中止のお知らせ

2021.05.21

大学院・大学・専攻科・短期大学部の保護者の皆さまに、4月にご案内させていただいておりました令和3年6月9日(水)開催予定の「光華女子学園奨学会」定期総会については、現在の新型コロナウイルス感染拡大状況を鑑み、中止とさせていただきます。すでにご出席のお返事をいただいております保護者様には大変申し訳ございませんが、ご理解いただきますようお願い申し上げます。
なお、総会の資料につきましては、後日郵送させていただきます。

己を忘れて他を利するは 慈悲の極みなり。 最澄『山家学生式(さんげがくしょうしき)』

2021.05.01

 日本仏教の母山と尊称される比叡山延暦寺を訪れると,「忘己利他慈悲之極」の額や言葉が各所で見聞きされます。今月の言葉です。この言葉は,平安時代初期日本天台宗を開かれた伝教大師最澄(七六七~八二二)の言葉です。最澄はそれまでの自己の解脱(迷いの苦しみから解き放たれること)を目的とする仏教から実践的な救済の仏教すなわち,生きとし生けるもの全てが救われていくという仏教・天台宗の実現を目指しました。その学生(僧)養成の制式をあらわした『山家学生式』の中に示された言葉です。

 この言葉は,天台宗の僧の在り方を示す言葉であると同時に一人の人間としての在り方を示しているのです。「忘己」=自分のことは後にして,まず「利他」=他者を幸せにする行い,つまり我欲が先に立つような生活ではなく,常に他の人のためにとの心をもっている人を養成したいとの最澄の願いを表した言葉です。その姿は「慈悲の極み」即ち慈とは,慈しみの心であり人の幸せを願う心です。悲とは人々の声にならないようなうめき声を聞き取り,救わずにはおれないという心で,「み仏の心」ということができます。

 光華女子学園は「仏教精神に基づく女子教育」を建学の精神に掲げて「清澄にして光り輝くおおらかな女性の育成」を目指して創設されました。そして,校訓を「真実心」と掲げています。「真実心」は如来(仏)のみ心のことをいい,慈悲の心と言いかえることができます。「思いやりの心」「寄り添う心」「他者への配慮」「共に支え合う心」と言うことができるのではないでしょうか。この「慈悲の心」の自らへの実現は,み仏の願いに常に自らを問いかけ自我に偏した生き方を改めていくことです。今月の言葉は光華女子学園の教育の願いでもあるのです。(宗教部)

2021年度「学園花まつり」を開催しました

2021.04.20

4月19日(木)、本学園において幼稚園から大学・大学院までの全設置校の各校園代表が一堂に会する「学園花まつり」を行いました。なお、今年度は京都府や大阪府における新型コロナウイルス感染状況の悪化を受け、規模、内容を縮小し開催いたしました。そのため、代表以外の在籍者は、教室等でオンライン配信の視聴としました。



この行事は、仏教をお開きになったお釈迦さまの誕生日を祝う会であり、お釈迦さまが深く問われた、「人生をいかに生きていくか」、「本当に歩むべき道は何か」を園児~学生はもとより教職員を含めて、今一度自分自身を見つめなおす機会として、本学園の創立当時から続けている大切な行事です。



本学園では、当日は新型コロナウイルス感染症対策を講じたうえで、規模、内容を縮小し、小学生が引く白象の行進、中高吹奏楽部・軽音楽部・コーラス部による讃歌を取り入れた音楽法要的な内容で行いました。また、真宗大谷派僧侶でアナウンサーの川村妙慶先生の法話では、生きている中で悲しいことがあっても、皆さんは大地に支えられている、空に包まれている、そして、いろんな命がつながっていることを忘れずに生きていきましょう、とお話いただきました。



当日は、中学・高校正面玄関にお釈迦さまの誕生仏をおまつりし、在校生が自由に甘茶を灌仏できるようにして、学園全体でお釈迦さまのご誕生をお祝いいたしました。

「上品」とか 「下品」とか

2021.04.05

 私たちは日々生活する中で「上品」とか「下品」という言葉を使いませんか。一般的に、言葉遣いや所作、服装などがしっかりしている人のことを「上品な人」といい、その逆に汚い言葉や良くない言動などをする人を「下品な人」ということがあります。

 実は、「上品」や「下品」という言葉は浄土教の根本経典(浄土三部経)の一つである『観無量寿経』に説かれている言葉なのです。仏教では「じょうひん」「げひん」とは言わず、「じょうぼん」「げぼん」といいます。
仏教の中でも極楽浄土に往生し、成仏したいという浄土信仰の中で、極楽浄土に到達するには、その人の能力や資質に応じて、九種類に分けるという考えです。上品(じょうぼん)、そして、聞きなれないと思いますが、中品(ちゅうぼん)、そして下品(げぼん)の三種類に分け、それぞれをさらに上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)の三種類に分けられます。つまり、上の上(上品上生)、上の中(上品中生)、上の下(上品下生)、中の上(中品上生)、中の中(中品中生)、中の下(中品下生)、下の上(下品上生)、下の中(下品中生)、下の下(下品下生)ということになります。
簡単に言えば、私たち人間は生まれも育ちも行いも様々で性格もいろいろです。それでも、阿弥陀様は、「上品」や「下品」にかかわらず、私たち衆生すべてを極楽浄土に導いてくださるのです。その方法・階級が九つある(九品往生)と説かれています。本来、仏教ではこのような意味合いで使われていた言葉が、現在の「上品」や「下品」といった意味合いで使われるようになったのです。

 ところで、そもそも「上品」や「下品」とは、誰が決めるのでしょうか。例えば、食事の時にテーブルを汚さず綺麗に食べるのが日本で良いとされていますが、外国へ行けばテーブルを汚して食事するほうが良いとされる国もあります。また、フォークやスプーン、お箸などを使わず手で食事をする国もあります。日本とは異なる文化・常識があるからです。もっと身近なところでは、口が悪く下品と思われがちな人でも実際にその人と接すると全く違う印象を持つことがあります。容姿や言動だけでなく、その人と実際に接することで受け止め方も変わります。つまり、多様性の理解を深めることが重要になります。
人は他人に対する評価や優劣を決めたがる傾向がありますが、上品や下品などは、人が人を勝手に判断しているということです。他人の勝手な判断に左右されるのでなく、自分自身が適切に判断することが大切です。勿論、自分自身も同じで、自分の物差しで人を判断するのでなく、自分自身をしっかりと持ち、他人の意見にも耳を傾け、手を取り合い、そのうえで適切な判断をすることが大切です。

 仏教は、よく「気づき」の宗教と言われます。自己と向き合い、問い続けることで自己を深く知ることができます。そして、知れば知るほど自分は様々な人に支えられて生かされていることに気づき、自ずと感謝の心が生まれます。すると、自然と他者に対して思いやりのある言動を取って接することができます。これこそが仏教の教えなのです。
皆様におかれましては、偏見や固定観念など先入観で物事を判断せず、常に自己を見つめ、この世の在り方を問い続ける姿勢を持ち、そして当たり前のように生きている毎日が実は当たり前でなく、様々な人に支えられて生かされているということに気づく毎日を送っていただければと思います。(宗教部)