宝の山に入りて 手を空(むな)しくして帰ることなかれ 『往生要集』 恵心僧都源信
2019.07.01
この言葉は,平安時代中頃の僧で日本浄土教の祖と言われる源信僧都(比叡山の恵心院におられたので恵心僧都とも呼ばれた)の言葉で,その著『往生要集』の中にあります。親鸞聖人はこの源信僧都を,お釈迦さまの説かれた,念仏を唱えることによって阿弥陀仏の浄土に往生するという本願念仏(阿弥陀仏の誓願)の教えを正しく伝えてくださった印度・中国・日本の七人の高僧の六番目・第六祖として尊崇されています。
さて,この源信僧都の言葉は何を教えているのでしょうか。この言葉は,『往生要集』の「大文第一 厭離穢土」の結びにあたる「総結厭相」にあります。源信僧都はこの言葉の前に,人間世界の有様を語っておられます。
それは,今,幸いにして生まれ難い人間世界に生まれきたが,しかし,この世界は変わることのない常住の世界ではなく常に移り変わる無常の世界であり、虚仮の世界である。そうした世界は執着から離れられず,苦しみ・悩む煩悩の世界である,と。しかしいま人間として生まれ,生かされ,仏さまの教えを聞く機会にも恵まれている。この機を逃さず,煩悩に汚れたこの世を離れ,浄土(悟り)の世界に生まれるよう努めるべきである,と言っておられます。そして,その後に「今月の言葉」が続きます。この「宝の山」とは,人間に生まれ,仏さまの教えを聞く機会に恵まれているその「僥倖」をさしているのではないでしょうか。
私はこの言葉から,法会で読まれる「三帰依文」の最初の言葉「人身受け難し,いますでに受く。仏法聞き難し,いますでに聞く。この身今生において度せずんば,さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」を思いおこします。光華女子学園は,仏さまの教えを聞く機会に恵まれています。私たちはそうした機会を逃さず,聞思し,手を空しくして終わるような過ごし方をしないようにしたいものです。(宗教部)
メリハリ
2019.06.03
人間は、生きている上でずっと頑張り続けることは出来ないものです。時には頑張り、時にはのんびりと心身を休める時が必要です。
私たちはどうしても日々生活を送る中で、ONとOFFのバランスを見失い、頑張り過ぎたり頑張らなさ過ぎたりすることがあると思います。そうなると心身のバランスが崩れ、健康的な生活を維持することができなくなります。
一つ例えると輪ゴムは、伸縮を利用して、何か物を留めるときに伸ばして使います。その分、輪ゴムは劣化します。さらに、長期間伸ばした状態にしておくと、その劣化は早くなります。しかし、使わないときは、伸びない状態のままですので輪ゴムに負荷はかからず、劣化は防げます。人間も同じで、頑張り過ぎがたたって病気や怪我をしたり、頑張り続けると中だるみしたりします。やはり、メリハリをつけてONとOFFを上手く切り替えることが大切です。
仏教に「中道」という言葉があります。一方にかたよらない穏当な考え方・やり方、執着を離れ、正しい判断をし、行動するという意味があります。
お釈迦様が菩提樹の下でお悟り(成道)を開かれた時、五人の比丘(弟子)に、「比丘たち、出家した者はこの二つの極端に近づいてはならない。二つとは何か。第一にさまざまな対象に向かって愛欲快楽を求めるということ、これは低劣で、卑しく、世俗の者のしわざであり、尊い道を求める者のすることではない。また、第二には自ら肉体的な疲労消耗を追い求めるということ、これは苦しく、尊い道を求める者のすることではなく、真の目的にかなわない。比丘たち、如来はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った。」と説かれました。(初転法輪)
つまり、私たちは心身とも健康で生きる上で、何事も両極端にするのでなく、一方にかたよらず「バランス」をはかり、「メリハリ」をつけることが大切です。是非一度、自分自身を見つめ直していただく機会にしていただければと思います。(宗教部)
丁度よい
2019.05.07
4月8日はお釈迦様の誕生日です。本学では入学式期間となるため少し遅らせ、4月18日に全設置校の学生生徒等が一堂に会しお祝いしました。仏教とは日々を生きる心がけを問うている教えです。こうした仏教行事を通して学生生徒等一人ひとりがそれを感じ、心がけを持つ生き方を身につけてもらえればと思っています。今月はこの「心がけ」について考えてみたいと思います。
お釈迦様のお悟りは「縁起の道理」と言われます。この縁起とは「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ずる、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅する」というもので、「われわれは関係性のなかにしか存在しえないものである」「永久に不滅のものはない(無常)」「絶対性の否定(無神論)」「すべては無我」といったことを教えてくださっていると思います。このお釈迦様の教えを親鸞聖人は「阿弥陀如来の本願を信じ、念仏を称えれば仏となる」と伝えてくださいました。いわゆる「他力本願」です。他力本願というと「誰かに助けてもらうこと」や「他人任せ」という理解をされていらっしゃる方も多いようですが、本来は「仏様の願いにお任せし生きていく」ということです。このことを分かりやすく伝えてくださっている詩を紹介させていただきます。これは石川県にある真宗大谷派常讃寺の坊守(ご住職の奥様)藤場美津路さんが、お寺の寺報『法友』(1982年2月号)に掲載されたものです。
『仏様のことば』
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
「憶念の信」という言葉は少し難しいかもしれませんので少し補足させていただきますと、「憶念」とは、「心に堅くおもうこと」、「心に思いたもつこと」、「心に念じて忘れないこと」といった意味です。従いまして、「憶念の信」とは、「阿弥陀仏の本願を信ずること」、すなわち「阿弥陀仏にお任せする(他力本願)」ということです。
皆さんはこの詩をどのようにお感じになられたでしょうか。本学園の宗教行事は、自分はどのような心がけをもって生活しているのかを確かめる機会、考える機会としています。皆さんも是非一度ご参加くださり、自分を見つめる機会にしていただければと願っております。(宗教部)
2019年度「学園花まつり」を開催しました
2019.04.18
4月18日(木)、本学園において幼稚園から大学・大学院までの全設置校の在籍者が一堂に会する「学園花まつり」を行いました。
この行事は、仏教をお開きになったお釈迦さまの誕生日を祝う会であり、お釈迦さまが深く問われた、「人生をいかに生きていくか」、「本当に歩むべき道は何か」を園児~学生はもとより教職員を含めて、今一度自分自身を見つめなおす機会として、本学園の創立当時から続けている大切な行事です。
本学園では、小学生マーチングバンド、中高吹奏楽部、大短吹奏楽部、中高バトントワラー部による演奏パレードや、小学生が引く白像の行進、中高軽音楽部や中学校3年生による讃歌を取り入れた音楽法要的な内容で行ないました。また、真宗大谷派僧侶でアナウンサーの川村妙慶先生の法話では、生きている中で悲しいことがあっても、みんなはお釈迦さまに守られて生きているので一人ぼっちではない、とお話いただきました。
当日は、中学・高校正面玄関にお釈迦さまの誕生仏をおまつりし、在校生や来校された方々に自由に甘茶を灌仏していただけるようにして、学園全体でお釈迦さまのご誕生をお祝いいたしました。
「もし行を学ばんと欲わば、必ず有縁の法に藉れ」『教行信証』信巻・善導『観経疏』
2019.04.01
桜の花びらが舞う季節となりました。新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。これからのたくさんの出遇いに期待や不安でいっぱいのことかと思います。
今月のことばは、善導大師が著された『観経疏』のなかにある言葉です。親鸞聖人も主著の教行信証に引用されています。
仏教の学びには「解学」と「行学」の二つの学びがあります。「解学」とは、仏教の教えを知識として、頭で理解する学びのことです。「行学」とは、日々の生活の中で仏教を確かめ、自分の生きる道を明らかにしていく学びのことです。
仏教を知識として学ぼうとするならば、本や経典を読めば、努力次第でいくらでも身につけることは可能です。しかし、自分の生きる道を仏教の教えにたずねていこうとするならば、「必ず有縁の法に藉れ」と善導は教えています。
これから皆さんは本学でさまざまな知識を得ていくことになるでしょう。深い知識を得ることは必要なことだと思います。しかし、そのことを「解学」とするだけではなく、常に現実を生きていくための学び「行学」としていっていただきたいと思います。そのためには、自分の現実をみつめ、自己をみつめなおしていくことが大切です。そのことにより、たくさんのものに支えられ、生かされている身であることに気がつくことでしょう。
光華で仏教の教えに触れ、自己と出遇い、そして私たち一人ひとりにはたらきかけられている大きな願いに出遇われることを願っております。(宗教部)
「報謝の志をはこばざらん行者においては、誠にもって、木石にひとしからんものなり」『御俗姓』蓮如
2019.03.01
親鸞聖人のご命日にあわせて毎年11月28日に東本願寺では報恩講が行われています。報恩講は親鸞聖人のご苦労を偲び、自らの依りどころを教えていただいた聖人のご恩に報謝し、ともに念仏申す身となっていくことを誓う日です。
私たちが生きていくうえには親の恩や師の恩など、いろいろなご恩があります。それぞれとても大切なことですが、報恩講の恩とは、何より親鸞聖人がいただかれた念仏の教えに遇い、自らが生きる依りどころを教えていただいたご恩のことをいうのです。
さて、蓮如上人の『御俗姓』のお言葉の中に「ご恩報謝の志のない者」を厳しく戒められ、木や石に喩えられています。
生きている木というのは雨が降り、季節がめぐって春がくれば芽が出ますが、枯れた木というのは当然、雨が降っても全く芽が出ないのです。そして「石」の上にもどれだけ雨が降っても芽は出ません。そういう意味でそれを喩えにして、この報恩講において報謝の思いを起こすことの出来ない者は、たくさん仏の慈悲が雨のように降り注いで下さっているのにも関わらず、芽が出ない者なのだという喩えをもって表現されているのです。
芽が出るということは「信心」ということを喩えています。「オギャー」とこの世に生を受けた時から念仏を唱え、 信心をいただいている人は結局のところ一人もいないのです。数多くのご縁に出会い、師と仰ぐ人の教えを聞いてはじめて、今までご縁のなかった者が念仏申すことができるような身になっていくのではないでしょうか。
お念仏が自然と出るような身をいただいたことこそが、信心の芽が出るということなのです。そしてそれがだんだんと成長していくわけです。
報恩講を通して、報謝の志をもって聖人と心の響き合いのない名ばかりの私達にならないように教えを聞いていきたいものです。(宗教部)
2018年度「学園太子忌」を開催しました
2019.02.23
2月22日(金)、本学光風館講堂で学園太子忌を行いました。
学園では、お釈迦様の誕生を祝う「学園花まつり」、宗祖親鸞聖人のご命日に聖人のご遺徳を偲ぶ「学園報恩講」、そして、聖徳太子のご命日に太子のご遺徳を偲ぶとともに、太子が日本にお広めになった仏教の教えを聞思する「学園太子忌」を学園三大行事として営んでいます。
法要では、各校園代表(学生・生徒・児童・園児代表)や教職員が参加し、献灯、献華、勤行に続き、本学園中学校教諭高田正城先生による法話が行われました。
法話では、「共鳴の鳥」のお話や聖徳太子が「十七条憲法」に込められた願いについて紹介され、「すべての命はつながり、関わり合いながら存在しており、皆さんも光華で学んだ自分自身を見つめる目を持ち、他者を思いやり皆で支えあう心を忘れずに、今後も過ごしてください」と結ばれました。
2018年度「涅槃会」を開催しました
2019.02.20
2月15日、本学園 慈光館太子堂にて、釈尊(お釈迦様)入滅の日(=ご命日:2月15日)に、釈尊への報恩の意を表し、み教えを改めて聞思する機会として、涅槃会が行われました。
参加者は在校生を代表して中学1年生と教職員でした。
司会より、本尊の脇に掲げられた大涅槃図を観ながら、お釈迦様が、出家をされ、お悟りを開かれたことや、沙羅双樹のもとで亡くなられた様子についての説明がありました。
音楽法要、勤行に引き続き、藤谷 ゆう学園宗教部員による法話が行われました。
法話では、お釈迦様の弟子の一人である周利槃陀伽のエピソードをお話されました。周利槃陀伽は自分の名前まで忘れてしまうほど物覚えが悪く、周りからも駄目な弟子だと言われ、そんな自分を愚かに感じていましたが、お釈迦様に言われたとおり、「塵を払い、垢を除かん」と称えながら掃除するうちに、「塵と垢」は、教えを聞いて、たくさん知識をつけることが良いことだと思っている自分の執着心であるということに気づきました。
仏教の教えを聞くということは、このように自分を見つめ、自己と向き合っていくことである、とお話され、最後に「涅槃会に参加することで、お釈迦様のみ教えを学び、自分自身を見つめなおす機会としてほしい」と結びました。
「花びらは散っても花は散らない」 金子大栄『意訳歎異抄』
2019.02.01
片付けものをしていたら机の奥から一枚の葉書が出てきた。
「ようやくあたたかくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は○○大学に進学が決定し、遅咲きながら桜が咲きました。これからもどうぞよろしくお願いします。○○○○」 目の前にぱっと、明るい笑顔が浮かぶ。九州に生まれた彼女は、幼いときから父親の故郷の京都に憧れていて、中学生の時に祖父母をたよりに京都に来て、本校に入学した。
生徒会や演劇部で活躍した彼女は、まさにバイタリティーのかたまりのようで、その後も活発に京都と九州を往来していた。 訃報が届いたのは、この葉書をもらって間もない頃だったろうか。急な病で、まだ大学在学中のことだった。私は行けなかったが、九州の葬儀には仲間たちが駆けつけたらしい。
二十数年も前の古びた葉書を見つめながら、はたと気づいた。私はこの葉書を数年前にも見て、同じことを思い出していたと。いや一度ではなく、何度も何度も・・・そして、そのたびにまた机の奥に大切にしまっていたことも・・・
彼女に会うことは二度とかなわない。いや、だからこそ私はこの葉書を決して捨てないだろう。そして、また数年後に葉書を見つけ、彼女の記憶を甦らせ、机の奥にそっとしまうのだろう・・・
彼女だけではない。私事で恐縮だが、光華にお世話になって38年、今年最後の一年を終えようとしている私は、ここで多くの「いのち」と出遇い、共に生きてきた。
「ここには君を待っている人がいるんだよ。そのことを忘れてはだめだよ」くじけそうな時に力強く励まして頂いた上司も、「『宗教』の授業を聞いて、私のいのちも意味があるのだと思えるようになりました」難病に苦しみながら、しみとおるような笑顔を私にくれた彼女も・・・今は亡い。
しかし、その笑顔や声は今も鮮やかに私の中に残っている。
「花びらは散っても花は散らない形は滅びても人は死なない」先達の言葉が、今実感を伴って甦る。
みんな生きているのだ。私の中に。そしてつながっていくのだ。大きないのちの源に・・・
「前に生まれん者は後を導き、後に生れん者は前を訪とぶらえ。」(道綽(どうしゃく)禅師『安楽集』より)
「光華」という場で互いに遭い遇う、さまざまな「いのちの願い」が永久に受け伝えられていくことを念じつつ筆を擱く。(宗教部)
オリンピック銀メダリストで日本フェンシング協会会長の太田雄貴氏による講演会「継続は力なり」を開催しました
2019.01.31
1月29日(火)、光華女子学園 奨学会(保護者会)が、フェンシングで、北京オリンピック・ロンドンオリンピックで銀メダルを獲得され、東京2020年オリンピック・パラリンピック招致委員会の招致アンバサダーを務められている太田雄貴氏をお招きし、講演会「継続は力なり」を開催しました。
本講演会は、教育振興事業として児童・生徒・学生たちの将来への夢や希望を育むことを目的に開催し、本学園児童・生徒・学生約470名、本学園の保護者約60名が参加しました。
講演会では太田氏から、これまでの自身の競技人生での経験、東京2020年オリンピック・パラリンピック招致委員会の招致アンバサダーを務められた際の出来事や日本フェンシング協会会長として進める改革についてお話いただき、「目的までの道筋を具体的にして取り組むことが大切。どんなことでも目の前のことに一生懸命取り組み、人生で一度くらい、泣けるくらいの努力をしてほしい。」と、生徒たちに向けて呼びかけました。
講演内容は大変興味深く、多くの生徒から質問があがりました。勉強、部活、課外活動など、さまざまなことに取り組んでいる生徒たちは、明日からの自分自身の生活や学校での過ごし方について深く考える機会となりました。