光耀館
2024.04.02
今月のことばは、2024年3月に竣工した「光耀館」の名称についてお話ししたく思います。
光華女子学園は真宗大谷派の宗門関係校で、親鸞聖人があきらかにされた浄土真宗の教えを大切にしている学園です。浄土真宗が拠り所とするお経は「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の3つですが、この度竣工した新棟に「無量寿経」にでてくる「光耀」という2文字を頂戴し、「光耀館」と名づけました。
親鸞聖人は無量寿経を釈尊の「出世本懐の経」として大切にされましたが、このお経は上巻と下巻に分かれています。上巻には法蔵菩薩が48の願をたて、それが成就して阿弥陀仏(無量寿仏)となり浄土を創られたこと。そしてその浄土の姿が説かれていますが、この浄土の姿を説かれた箇所に「光耀」がでてきます。「光耀」の2文字がでてくる箇所を要約すると「浄土には光り輝く樹々がありその枝からは宝の瓔珞が垂れていて、さまざまな色に変わりながら光っている。また浄土の空にはさまざまな宝で飾られた網が覆いめぐらされていて、そこから宝の鈴が垂れている。これらの宝の飾りは、まばゆく光り輝いている」という内容ですが、この光輝くというのが「光耀」の2文字です。因みに、すでに別の建屋の名前として「清風館」という建物がありますが、この「清風」も「光耀」の続きに出てきます。この浄土(西方極楽浄土)の姿とは、阿弥陀仏の働きを表したものであり、阿弥陀仏の大悲を光として表しています。
また親鸞聖人の著書である「浄土文類聚鈔」に、「それ無碍難思の光耀は苦を滅し楽を証す」とあります。これは「そもそも何ものにも碍えぎられない阿弥陀仏の輝きは、世の人の苦しみを滅して、安楽のさとりをあたえる」という意味です。このように「光耀」とはまさに阿弥陀仏の大悲そのもののことと言えます。
今回竣工したこの新棟には、新たに設置した作業療法専攻や本学が長きにわたり養成してきた管理栄養士や栄養士を育成し、定員規模が120名という本学最大の学科である健康栄養学科の施設を中心に、全学部学科の学生が利用できる一般教室やフィットネスを整備していますが、建物のコンセプトは「Well-Being Tree」です。本学はこれからの時代における建学の精神の具現化の方向を「人々の健康と温かく優しい未来社会の創造する健康未来創造キャンパス」と定め、それを本学が提案するWell-Beingの実現としてブランド構築を図ろうとしています。今回の作業療法専攻や歯科衛生学科の設置、また看護福祉リハビリテーション学部の開設などもそうした「健康未来創造キャンパス構想」の一環です。
さきほども述べた通り、阿弥陀仏のはたらきである「光耀」とは、樹々も宝もそれぞれがそれぞれの輝きを発し、打ち消しあうことはなく輝いている様子のことです。まさにそれぞれが個々の個性を発揮しつつ、それが見事に調和しているWell-Beingな状態といえるのではないでしょうか。その「光耀」を冠するこの新棟で学ぶ学生さんが、真実心を校訓とする本学の教育を受け、自分も他者も輝く一人の人間であることに気づき、同朋として歩み、Well-Beingな未来を創造して欲しいと願っています。(宗)
「アサガオと 夜の冷たさ、闇の深さ」
2024.03.01
受験シーズンが終わろうとしています。
「孤独との戦い」
これが、誰もが抱く受験勉強に対するイメージではないでしょうか。
絶対合格できるという保証がない中、地道にコツコツと積み重ねる努力。
報われないかも知れないという不安に苛まれながら一人で格闘する受験生の姿に、私たちは、ひたすら応援をするばかりです。
さて、こんな言葉があります。
「冷たい夜と闇の濃さのなかこそ朝顔は咲くのだ」
かつてベストセラーとなった『大河の一滴』の一文です。
浄土真宗に関する著作の多い五木寛之さんの言葉ですので、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
また、五木さんは、別の文章で、
「24時間、光をあてっぱなしにしていただけではアサガオの蕾は、ついに開きませんでした。アサガオの蕾は朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である」(『生きるヒント』) と記していらっしゃいます。
冷たく深い闇に闘いながら、春を迎えた受験生の皆さん。
第一志望校に合格した皆さん、本当におめでとうございます。
一方、残念ながら、第一志望校には合格できなかった皆さん、「足は大地に、目は星に」。しっかりと前を向きましょう。
たとえ第一志望校でなくとも、そこが、ご縁のあった場所です。美しい花園です。そのご縁のあった場所を大切にしてください。
全ての受験生の皆さんが、やがて自己の人生を振り返られた時、愛する母校として胸が張れるように、充実した学生生活を四月から始められんことを、心より念じ申し上げ、最後に、次の句を贈ります。
春風や闘志いだきて丘に立つ(高浜虚子) (宗)
如来には、諸法に対する師の握り拳はない
2024.02.05
釈尊が入滅された日を2月15日として、光華女子学園でも「涅槃会」と呼ばれる法要が執り行われます。2月の「今月のことば」は、釈尊がクシナガラで入滅されるまでの数ヶ月間の旅路を伝える『大般涅槃経』(『ブッダ最後の旅』岩波文庫、p.64)からです。齢80歳を迎えた釈尊は、阿難をともない、王舎城を立ち、最後の遊行に出かけられました。
その道中、釈尊は、ベールヴァ村で阿難と二人、人生最後の雨安居に入ります。そこで今までにない激痛に襲われ、生死の境をさまよいます。しかし、今はまだ入滅の時ではないと考え、勇気によって病から回復されたと経典は伝えます。阿難は、小康を取り戻した釈尊の姿を見て、まだ教えを聞くことができると安心します。しかし、そのような阿難に対して釈尊は、私はすべての教えを説き終えたと語ります。「阿難よ、私は、内にも外にもなく法を説き示した。阿難よ、如来には、諸法に対する師の握り拳はない」と言われたのです。「師の握り拳」とは、古代インドにおいて師から弟子に伝えられる隠された奥義を指す言葉です。釈尊は、この教えは他者に説かないでおこう、この人には説かないでおこうというように、出し惜しみした教えなどないと、阿難に伝えたのでした。その後有名な「自らを灯明とし、自らを拠り所とし、他を拠り所とせず、法を灯明とし、法を拠り所とし、他を拠り所とせず住するがよい」という「自灯明法灯明」の教えが示されます。
阿難は、長年釈尊のそばで仕えていましたが、釈尊の存命中には、さとりを開くことができなかったと伝えられています。『大般涅槃経』では、頼っていた師が病に倒れ、拠り所をなくし、人生の足場が崩れていく感覚になる阿難の姿が描かれ、迷いの中にいる私たちは、その姿に親近感を持ちます。しかし、釈尊は、頼るべきは、自己と私の説いた教説(法)であり、釈尊自身ではないのだと阿難を諭したのです。
全てを包み隠さず伝えたという釈尊の教説に触れるとき、それをしっかりと受け取り、聞けているのだろうかと、私たち自身が問われていると言えます。年明けから悲しいニュースが続き、心の痛みを感じる日々ですが、自らのなすべきことから目を逸らさずに、これで良いのか悩みながら、歩んでいかねばと思います。
くらべず あせらず あきらめず (竹中智秀)
2024.01.04
新しい年をお迎えしました。「一年の計は元旦にあり」というように、これから過ごすであろう1年間の目標や計画は、新年のスタートとともに決める人も多いでしょう。家族が集まって一年の目標を言い合ったり、学校が始まれば、学習や生活の目標を書いて掲げたりすると思います。
目標としては、仕事において望んだ地位に就きたい、今よりもっと綺麗になりたい、趣味や語学をもっと上達させたいなど、何かを目標にしてそれに向かうことはさらなる上を目指すという点で素晴らしいことです。ここで留意しなければならないことは、「あの人より偉くなって出世したいから」「あの人よりも輝いて綺麗でいたいから」のように、誰かとの比較が目標のベースになっているのなら、目標を達成するのは難しいかもしれません。
親鸞聖人が大切にされた『仏説無量寿経』という経典の中に「無有代者」という言葉があります。「代わる者有る事無し」と読み、「私という存在は他に代わる者は無い」という意味です。誰にも変わることのできない唯一無二の存在が私であるということです。唯一無二の存在であるので他人と比較する必要がないのですが、「比べるな」と言われても、つい比べてしまうのが我達かもしれません。勝手に競争をしてイライラし、自分の思い通りにならなかった状況にイライラする。自分と他人を比べる必要なんてないのに、比べることで苦しみを抱えてしまうことがあるかもしれません。
今月の言葉、「くらべず、あせらず、あきらめず」は、日常の生活で「くらべて、あせって、あきらめて」いる私の心を立ち止まらせる言葉です。
「如来の摂取不捨(えらばず、きらわず、見すてず)の心を学び、真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを、他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう」
「いのち」は、私が私としてのありのままを受けとめて、選ばず、嫌わず、見捨てないという願いを持っています。だから今、この一瞬一瞬自分にできることを精一杯し、自分らしく生きようという呼びかけの言葉ではないかと感じます。私たちは誰のためでもない、自分のために生きるのです。目の前の自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを素直にしていく姿勢を大切にしたいものです。(宗)
令和6年能登半島地震へのお見舞いについて
2024.01.04
このたび石川県能登地方を震源とする大規模な地震により、お亡くなりになられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆さまに心からお見舞い申し上げます。
また、被災者の救済と被災地の復興支援のために尽力されている方々に深く敬意を表します。
皆さまの安全と被災地の一日も早い復興を心よりお念じ申し上げます。
学校法人光華女子学園
理事長 阿部 恵木
第14回KOKAエコアワード表彰式を行いました
2023.12.22
2023年12月13日(水)、本学園にて第14回KOKAエコアワード表彰式が行われました。
「KOKAエコアワード」は本学園創立70周年を記念して、平成22年度より実施してきた学園行事です。
(1)エコアイデア部門、(2)標語・短歌(和歌)部門、(3)作文部門、(4)ポスター部門、(5)作品部門から構成され、エコに関する作品・アイデアの中から、優れた内容を表彰します。
エコアワードは、学園のエコ活動を多くの方と共有したいとの思いから、引き続き保護者(ご親戚・ご兄弟含む)や卒業生の方だけでなくお取引先様や本学イベントにご参加いただいた方からも、エコ川柳(標語・短歌(和歌))を広く募集しております。昨年に引き続き、TEAM EXPO 2025*のご縁から、地域社会の活性化と人材の育成を目指すべく、第一生命保険株式会社様からご協力をいただきました。その結果、各校園・企業、団体様から1356点もの素晴らしい作品・アイデアがエントリーされ、下記のとおり部門ごとに表彰しました。
これからも光華女子学園は、学齢に合わせた環境教育と環境活動を行い、地球環境に貢献していきます。
受賞作品一覧
【エコアイデア部門 児童・生徒・学生部門】
なし
【標語・短歌(和歌)学生・生徒部門】
[金賞] 「風鈴も この暑さでは 効果なし 鳴っているのは危機の警鐘」
高校3年 加藤 南花
[銀賞] 「エコ社会 みらいにつなぐ 青い ほし」
小学校2年 西村 理加
[銅賞] 「心配と言いつつ本音は「関係ない」 地球の「いつか」は明日かもしれない」
高校1年 古田 帆花
[入選] 「エアコンは 一部屋だけで 家族の輪」
中学校1年 吉田 智咲
[第一生命特別賞] 「食卓に ご飯が並ぶ 幸せは みんなが持てる ものじゃない」
大学1年 古川 蓮
【標語・短歌(和歌)教職員部門】
[金賞] 「無理せずに 1日1エコ 心がけ」
入学・広報センター 村井 伸吾
[銀賞] 「ウォーキング 私と地球が 健康に」
キャリア形成学科コモンズ 大西菜穂子
[銅賞] 「さざなみに ペットボトルは にあわない」
小学校教員 長澤 静
[入選] 「今日くらい 明かりを消して 仰ぎ見る 静けさまして 望月を待つ」
地域連携推進センター職員
[第一生命特別賞] 「秋の風 自転車乗って エコ通勤」
小学校教員 中西 仁美
【標語・短歌(和歌)卒業生・お取引先様その他部門】
[金賞] 「わが家では パパのダジャレが 冷房に」
株式会社ワークアカデミー 宮藤 英樹 様
[銀賞] 「どれにする? まだ使えると 子に言われ」
第一生命保険株式会社 市瀬 健史 様
[銅賞] 「ク−ラ−を 消し夕涼み 虫の音に 月との出会い 心を癒やす」
生活教養科卒業生 笹間 ゆかり 様
[入選] 「節電は毎日の小さな心がけ。みんなで未来を明るくしよう。」
野村證券株式会社 今木 遥 様
[第一生命特別賞] 「マイお箸 ただ独りでも もち歩く」
宮本設備 楯 沙久良 様
【作文部門】
[金賞] 「海の環境の調べ学習を終えて」
小学校5年 北里 悠一朗
[銀賞] 「フードバンクと地球の未来」
高校1年 伊藤 亜沙華
[銅賞] 「早寝早起きでエコ活動」
大学1年 山口 素子
[入選] 「食品ロス削減と子ども食堂の利用」
高校1年 松田 果薗
[入選] 「未来の地球のためにすべきこと」
大学2年 北尾 のの香
【ポスター部門】
[金賞] 「海にゴミをすてないで!!」小学校4年 淺野 栞
[銀賞] 「地球を守ろう。」高校3年 岡本 有咲
[銅賞] 「水族館?」高校3年 中久保 音色
[入選] 「エコバッグを持ってパーティ」 幼稚園 いちご組 若林 陽詩
[入選] 「森(木)をふやそう!」 小学校4年 大八木 秋歩
【⑤作品部門】
[金賞] 「私のエコランド」
小学校3年 福岡 奈緒
[銀賞] 「きれいなうみでたのしもう!みんなのうみたいせつにするよ!」
幼稚園年中 藤尾 碧空
[銅賞] 「木がいっぱいになりますように。」
幼稚園年中 八木 静香
[入選] 「私のエコランド」 小学校3年 清水 玲
[入選] 「ひかりんおべんとう」 幼稚園年長 堀 ひかり
受賞された皆さん、誠におめでとうございます。
2023年度「成道会」を行いました
2023.12.22
12月8日(金)、釈尊(お釈迦様)が悟りを開かれた日をご縁に、釈尊のみ教えを改めて聞思する機会として、成道会(じょうどうえ)を行いました。
今回の成道会には、光華幼稚園年長児と教職員が参列し、真宗宗歌や恩徳讃などの仏教讃歌の斉唱・勤行・焼香などを行いました。
法話では、本学学園宗教部小椋厚太氏が釈尊のお悟りまでの道のりに触れ、生きとしいけるものが幸せになる方法として、人は自分一人の力で生きているのではなく、世の中の大きなつながりの中で生かされていることに気づかれたとお話されました。私たちはだれかをうらやましく思う時もありますが、そんな時は今日のお話を思い出し、周りの人や物に感謝の気持ちをもって過ごしてほしいと呼びかけられました。
第7回KOKA ENGLISH CONTESTを開催しました
2023.11.17
11月12日(日)、第7回KOKA ENGLISH CONTESTを開催しました。
本コンテストは株式会社わかさ生活、株式会社京都銀行、株式会社ECC、株式会社EdulinX、コアネット教育総合研究所、株式会社リクルート、株式会社LoiLo、京都新聞、京都府教育委員会、京都市教育委員会にご後援をいただき、学校法人光華女子学園が2017年度から開催しており、今回で7回目を迎えます。
英語を学ぶ子どもたちに、日頃の成果を発表する機会を提供することで、英語での表現力、コミュニケーション力を高めるとともに、英語を学ぶモチベーションの向上に寄与することを目的としています。
94名の応募の中から予選を突破し、本選に進んだのは幼稚園・保育園児から高校生まで29名。本学園からも幼稚園児1名、小学生3名、中学生1名、高校生2名が参加しました。
光風館講堂の大きな舞台でのコンテストとなったため緊張した様子も見られましたが、日頃の学習とこのコンテストに向けて積み重ねてきた練習の成果を披露してくれました。
暗唱の部(A・B・C)はジェスチャーや声に抑揚を付ける等、それぞれの工夫の成果が見られ、スピーチの部(D・E)は「SDGsの実現に向けて」のテーマを基に自己の意見や思いをまとめた自作の原稿を発表し、各自、各学校での取り組みの成果が見られました。
京都外国語大学 国際貢献学部 グローバル観光学科 ジェフ バーグランド先生を講師にお招きした記念講演では、「English: Its History, Rhythm, Rhyme, and Emotion.」と題しご講演いただきました。参加者全員を舞台に上げて英語でクイズを出すなど、終始大盛り上がりのご講演でした。
今回もYouTubeによるオンライン生配信を行い、多くの方々にご覧いただくことができました。
2023年度「慶讃記念 学園報恩講」および「追悼法要」を厳修しました
2023.11.13
11月7日(火)、本学園光風館講堂において慶讃記念 学園報恩講および追悼法要を厳修しました。
今年度の学園報恩講は「宗祖親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年」の慶讃事業の一環として執り行い、YouTubeでの配信や、例年には無い特別企画がありました。
幼稚園は年長1クラス、小学校~高校は全在校生、大学・短期大学部・大学院からは学生が参列した他、同窓会代表や教職員も参列し、講堂の940席がほぼ満席となり、学園が一体となって慶讃記念 学園報恩講および追悼法要を厳修しました。
学園報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁に、聖人の恩徳を感謝するとともに、聖人の御教えを改めて聞思する機会として、親鸞聖人によって開顕せられた浄土真宗の教えを建学の精神とする真宗大谷派関係校である本学園において、最も大切にしている宗教行事です。
親鸞聖人のご命日は11月28日ですが、その日は浄土真宗大谷派本山東本願寺で勤められている本山報恩講のご満座(最終日)にあたるため、本学園では、阿部恵水初代中学・高等学校校長のご命日である11月7日に繰り上げて、本学園関係物故者の追悼法要とともに執り行っています。
学園報恩講は、まず、園児から大学生までの代表による献灯、献花、焼香が厳かに行われた後、参列者全員で真宗宗歌を斉唱し、学園長や各校園長等をはじめ、各校園の代表園児・児童・生徒・学生による焼香が厳かに行われました。
各校園代表の児童・生徒・学生による感話があり、最後には真宗文化研究所所長の小澤千晶先生による感想として、日々時間に流されるのではなく、常に振り返り、感謝を忘れずに過ごしてほしいと語られました。
学園報恩講の最後は、幼稚園園児・小学校児童・中学校生徒による慶讃法要のテーマソングである「ひとりじゃない」の合唱があり、元気な歌声が講堂に響きました。
慚なくして慧なし
2023.11.08
耕作するバラモンとブッダとの対話を記録した経典があります(『ブッダのことば』岩波文庫,pp. 23-27)。自ら田を耕すバラモンはブッダに対して,あなたも耕作をしてそこで得たものを食すべきだと言います。ブッダは,自分も耕作者であると答え,次の詩頌を説きます。
信仰が種子。苦行が雨。知恵(慧)が私の軛(くびき)と鋤(すき)。慚(恥を知ること)が轅(ながえ)。意が結び綱。念が私の鋤先と突き棒だ。・・・精進は私の軛をつけた役牛であり,安穏の境地へと運び,引き返すことなく行く。行って憂い悲しまないところに。
ここでブッダは信仰を種子に例えます。種子が芽を出し実をつけるには,土を耕しその土を潤す雨が必要なように,たゆまず心を耕し続けることがなければ,信じる気持ちも実を結ぶことがないことが示されています。
詩頌では「恥じを知ること(慚)」が轅に例えられます。轅とは,牛を使って耕作する際に牛の首にあてる横木(軛,慧に例えられる)につなぐ棒で,これによって牛をコントロールし鋤をひかすことができます。そのことから注釈書は「慚なくして慧なし」と説明します。
「慚愧に堪えない」などと定着していますが,慚と愧はそれぞれ,自身と教えに照らして自らの過失を恥じ入り,善なるものを尊重すること(慚),他者に照らして自らの過失を恥じ入り,悪行をさけること(愧)を意味します。では,恥じ入ることと心を耕すことはどのように関わるのでしょうか。
聞(学び,知識)を誇り,どちらがより多く,より人を惹きつける法話ができるかを競う二人の出家者をブッダが諫める経典が残されています(片山訳『パーリ仏典 相応部』4巻,pp. 246-249)。二人は,これまで熱心に教えを聞き,多くの知識を身につけてきたのでしょう。そのための努力が彼らに慢心を起こさせ,「安穏の境地」という目的ではなく,知識の量を誇り他者からの称賛を求める気持ちにさせてしまいました。
この経典から,心を耕すには,信や努力だけでは十分でないことがわかります。『スッタニパータ』の例えでいうならば,収穫を得るために土を耕そうと種子や牛を用意しても,轅がなく牛が気ままに動くならば,せっかく植えた種子も潰され,土も荒れるということでしょうか。心を耕していくには,目的を確かめ続けること,そしてその目的から今の自分のあり方を振り返ることが必要です。自分を振り返った時に,目的に照らし未だ不十分な自分に気づき,その目的を示してくれるものを尊重する気持ちが生じる。そのような気持ちが「慚,恥を知る」と言われています。
11月は浄土真宗では報恩講の季節です。光華女子学園では,11月7日に学園報恩講を務めますが,11月21〜28日の東本願寺報恩講でも境内に出展をする予定です。お近くにおいでの際にはぜひ光華のテントにおいでください。教えに照らされて聞法する機会を共にすることができましたら幸いです。(宗)
