2023年度「成道会」を行いました
2023.12.22
12月8日(金)、釈尊(お釈迦様)が悟りを開かれた日をご縁に、釈尊のみ教えを改めて聞思する機会として、成道会(じょうどうえ)を行いました。
今回の成道会には、光華幼稚園年長児と教職員が参列し、真宗宗歌や恩徳讃などの仏教讃歌の斉唱・勤行・焼香などを行いました。
法話では、本学学園宗教部小椋厚太氏が釈尊のお悟りまでの道のりに触れ、生きとしいけるものが幸せになる方法として、人は自分一人の力で生きているのではなく、世の中の大きなつながりの中で生かされていることに気づかれたとお話されました。私たちはだれかをうらやましく思う時もありますが、そんな時は今日のお話を思い出し、周りの人や物に感謝の気持ちをもって過ごしてほしいと呼びかけられました。
第7回KOKA ENGLISH CONTESTを開催しました
2023.11.17
11月12日(日)、第7回KOKA ENGLISH CONTESTを開催しました。
本コンテストは株式会社わかさ生活、株式会社京都銀行、株式会社ECC、株式会社EdulinX、コアネット教育総合研究所、株式会社リクルート、株式会社LoiLo、京都新聞、京都府教育委員会、京都市教育委員会にご後援をいただき、学校法人光華女子学園が2017年度から開催しており、今回で7回目を迎えます。
英語を学ぶ子どもたちに、日頃の成果を発表する機会を提供することで、英語での表現力、コミュニケーション力を高めるとともに、英語を学ぶモチベーションの向上に寄与することを目的としています。
94名の応募の中から予選を突破し、本選に進んだのは幼稚園・保育園児から高校生まで29名。本学園からも幼稚園児1名、小学生3名、中学生1名、高校生2名が参加しました。
光風館講堂の大きな舞台でのコンテストとなったため緊張した様子も見られましたが、日頃の学習とこのコンテストに向けて積み重ねてきた練習の成果を披露してくれました。
暗唱の部(A・B・C)はジェスチャーや声に抑揚を付ける等、それぞれの工夫の成果が見られ、スピーチの部(D・E)は「SDGsの実現に向けて」のテーマを基に自己の意見や思いをまとめた自作の原稿を発表し、各自、各学校での取り組みの成果が見られました。
京都外国語大学 国際貢献学部 グローバル観光学科 ジェフ バーグランド先生を講師にお招きした記念講演では、「English: Its History, Rhythm, Rhyme, and Emotion.」と題しご講演いただきました。参加者全員を舞台に上げて英語でクイズを出すなど、終始大盛り上がりのご講演でした。
今回もYouTubeによるオンライン生配信を行い、多くの方々にご覧いただくことができました。
2023年度「慶讃記念 学園報恩講」および「追悼法要」を厳修しました
2023.11.13
11月7日(火)、本学園光風館講堂において慶讃記念 学園報恩講および追悼法要を厳修しました。
今年度の学園報恩講は「宗祖親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年」の慶讃事業の一環として執り行い、YouTubeでの配信や、例年には無い特別企画がありました。
幼稚園は年長1クラス、小学校~高校は全在校生、大学・短期大学部・大学院からは学生が参列した他、同窓会代表や教職員も参列し、講堂の940席がほぼ満席となり、学園が一体となって慶讃記念 学園報恩講および追悼法要を厳修しました。
学園報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁に、聖人の恩徳を感謝するとともに、聖人の御教えを改めて聞思する機会として、親鸞聖人によって開顕せられた浄土真宗の教えを建学の精神とする真宗大谷派関係校である本学園において、最も大切にしている宗教行事です。
親鸞聖人のご命日は11月28日ですが、その日は浄土真宗大谷派本山東本願寺で勤められている本山報恩講のご満座(最終日)にあたるため、本学園では、阿部恵水初代中学・高等学校校長のご命日である11月7日に繰り上げて、本学園関係物故者の追悼法要とともに執り行っています。
学園報恩講は、まず、園児から大学生までの代表による献灯、献花、焼香が厳かに行われた後、参列者全員で真宗宗歌を斉唱し、学園長や各校園長等をはじめ、各校園の代表園児・児童・生徒・学生による焼香が厳かに行われました。
各校園代表の児童・生徒・学生による感話があり、最後には真宗文化研究所所長の小澤千晶先生による感想として、日々時間に流されるのではなく、常に振り返り、感謝を忘れずに過ごしてほしいと語られました。
学園報恩講の最後は、幼稚園園児・小学校児童・中学校生徒による慶讃法要のテーマソングである「ひとりじゃない」の合唱があり、元気な歌声が講堂に響きました。
慚なくして慧なし
2023.11.08
耕作するバラモンとブッダとの対話を記録した経典があります(『ブッダのことば』岩波文庫,pp. 23-27)。自ら田を耕すバラモンはブッダに対して,あなたも耕作をしてそこで得たものを食すべきだと言います。ブッダは,自分も耕作者であると答え,次の詩頌を説きます。
信仰が種子。苦行が雨。知恵(慧)が私の軛(くびき)と鋤(すき)。慚(恥を知ること)が轅(ながえ)。意が結び綱。念が私の鋤先と突き棒だ。・・・精進は私の軛をつけた役牛であり,安穏の境地へと運び,引き返すことなく行く。行って憂い悲しまないところに。
ここでブッダは信仰を種子に例えます。種子が芽を出し実をつけるには,土を耕しその土を潤す雨が必要なように,たゆまず心を耕し続けることがなければ,信じる気持ちも実を結ぶことがないことが示されています。
詩頌では「恥じを知ること(慚)」が轅に例えられます。轅とは,牛を使って耕作する際に牛の首にあてる横木(軛,慧に例えられる)につなぐ棒で,これによって牛をコントロールし鋤をひかすことができます。そのことから注釈書は「慚なくして慧なし」と説明します。
「慚愧に堪えない」などと定着していますが,慚と愧はそれぞれ,自身と教えに照らして自らの過失を恥じ入り,善なるものを尊重すること(慚),他者に照らして自らの過失を恥じ入り,悪行をさけること(愧)を意味します。では,恥じ入ることと心を耕すことはどのように関わるのでしょうか。
聞(学び,知識)を誇り,どちらがより多く,より人を惹きつける法話ができるかを競う二人の出家者をブッダが諫める経典が残されています(片山訳『パーリ仏典 相応部』4巻,pp. 246-249)。二人は,これまで熱心に教えを聞き,多くの知識を身につけてきたのでしょう。そのための努力が彼らに慢心を起こさせ,「安穏の境地」という目的ではなく,知識の量を誇り他者からの称賛を求める気持ちにさせてしまいました。
この経典から,心を耕すには,信や努力だけでは十分でないことがわかります。『スッタニパータ』の例えでいうならば,収穫を得るために土を耕そうと種子や牛を用意しても,轅がなく牛が気ままに動くならば,せっかく植えた種子も潰され,土も荒れるということでしょうか。心を耕していくには,目的を確かめ続けること,そしてその目的から今の自分のあり方を振り返ることが必要です。自分を振り返った時に,目的に照らし未だ不十分な自分に気づき,その目的を示してくれるものを尊重する気持ちが生じる。そのような気持ちが「慚,恥を知る」と言われています。
11月は浄土真宗では報恩講の季節です。光華女子学園では,11月7日に学園報恩講を務めますが,11月21〜28日の東本願寺報恩講でも境内に出展をする予定です。お近くにおいでの際にはぜひ光華のテントにおいでください。教えに照らされて聞法する機会を共にすることができましたら幸いです。(宗)
令和5年度 学園長賞表彰式を行いました
2023.11.07
10月31日(火)、令和5年度 学園長賞表彰式を行いました。
学園長賞は、本学園の在学生で、学業・文化・スポーツ等において特に優秀な成績を修められた方や、ボランティア活動等で地域に貢献などをされた方を表彰する制度です。
今回は、個人で4名、団体で5団体、特別表彰で1団体が表彰され、学園長から表彰状と記念品が贈られました。
学園長からは受賞者一人一人にあたたかい言葉が贈られ、また、受賞者からは今後に向けた力強い宣誓がありました。入賞者の皆さんのますますのご活躍を期待いたします。
学園報恩講・追悼法要をとり行います
2023.11.07
保護者のみなさま
2023年度 慶讃記念 学園報恩講・追悼法要をとり行います。
今年度の学園報恩講は、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の記念の法要となります。特別企画も用意しておりますので、Live配信にてご覧ください。Live配信は終了しました。ご覧いただきありがとうございました。
●報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁に、聖人のご恩を報謝し、み教えを改めて聞思する集いで、本学の建学の精神を具現化する宗教行事の中でも最も大切な行事です。
また、追悼法要は、前年の報恩講以降にお亡くなりになられた本学園の卒業生や教職員等、有縁の方々を偲ぶ集いです。
●YouTube配信は、「慶讃記念 報恩講法要」のみです。なお、配信時間は、午後1時50分頃からの予定ですが、その前の「追悼法要」終了時間によって多少時間が前後することがございます。
一心
2023.10.11
2023年9月23日から10月8日の期間、第19回アジア競技大会が中国・杭州で行われました。各競技の選手による熱戦が繰り広げられ各国の応援にも熱が入り、感動とパワーをいただきました。さて、選手たちはよく「強い心で挑みます」とか、「最後はここの勝負です」と胸を差して心意気を現したりしますが、勝利の大きな要因の一つに、技術や体力もさることながら、最終は挫けない心を持つことが大切であることは、競技に取り組んだ方には体験的によく理解できることだと思います。心というのは、競技の世界でもそうですが、全てのことの原動力となるわけです。
一方でその心は、私たちの体にいつも強く存在しているわけではありません。誰もが日常の生活や仕事において、事がうまく進まない、他人と比べて劣っている、思いが伝わらず相手との関係がうまくいかないなどが原因で、心が折れたり、自信を無くしたりし、その弱さが自分そのものと一体化してしまい、どうしようも抜け出すことができなくなったりします。これは決して特別なことではなく、日常的に繰り返し起こっていることですが、これらのことをどのように捉えたら良いのでしょうか。
浄土真宗の経典「仏説阿弥陀経」※に「一心」という言葉が出てきます。一般的に「心を一つにする」「一つのことに集中する」などを意味しますが、仏教とりわけ浄土真宗では「自分の分別の心(自力)を捨てて、阿弥陀如来(他力)にこの身全てをお任せする(真実の信心)」という意味を持ちます。
ここで、その教えの中にある「分別の心を捨てる」にフォーカスしてみます。分別とは一般的に「道理をわきまえていること」「物事の善悪・損得などをよく考えること」と良い意味で使われますが、仏教的には「比べる心」を意味し、その存在によって競争や格差を生み出し、迷いや苦悩をもたらすとしています。
即ち、私たち人間のその小賢しい分別心は、国籍・民族・文化・能力等の違いを盾にして、自分と自分の世界を絶対化し、差別や対立を生み出すものであり、他人や自分をも傷つけることになるような、そんな心は捨てなさいと説かれているのです。
日常的に心に降りかかる辛さやストレスの根源は、私たちの中にある「分別心」なのです。所詮人間の力はたかが知れています。たとえ人より能力が高くてもいつも上手くいくわけはなく、競争に勝ち続けることはいずれできなくなるのです。だからこそ、比較優位や競争上位のみを求めることよりも、そのような価値基準から離脱することが肝要です。もちろん精一杯ベストを尽くすことは大切で、それを否定するものではありませんが、私たち人間には限界があり、周りの人々の協力が必要なのです。
できないことを思い詰めるより、比べることを止めそのあるがままを受け入れ、そしていっそのこと、ほかの力に頼る方が良い、そうすることにより、この身が幾分か軽くなるのではないでしょうか。
まとめますと、「分別」とは比較する心、私の中に存在する自己中心的な固執を生み出すもので決して良くはないもの、「一心」とは、阿弥陀様に全てをお任せする信心(真実信心)であると言えます。
変化が多く慌ただしい日常ではありますが一度立ち止まって、これらの言葉の本意について、考えていただけましたら幸いに思います。
※「仏説阿弥陀経」は、浄土真宗の根本経典「浄土三部教」の一つ。お釈迦様が一番弟子で智慧第一と言われている舎利弗(しゃりほつ)に対し、一方的に極楽浄土のありさまと極楽浄土へ往く方法を説かれているもの。その経典の中で「一心不乱に仏を念ずれば、臨終の際には必ず阿弥陀様がお迎えに来てくださる」と説かれています。(宗)
譬(たと)えば、高原の陸地には蓮華(れんげ)を生ぜず。 卑湿(ひしつ)の汚泥(おでい)にすなわち此の華を生ずるが如し。(『維摩経』「仏道品」)
2023.09.06
この言葉は、あらゆるものが平等であって差別のないという「空」思想に基づいて、在家者を重視し「利他」の立場で仏道修行する大乗菩薩道を説いた『維摩経』にあります。インドでは蓮華は最も美しく、浄土を荘厳する清々しい花、仏の道を歩む菩薩を象徴する花とみなされ尊ばれてきました。その蓮華は誰もが理想とし、望むような高原の陸地には生ぜず、だれもが避けたくなるようなじめじめした汚泥の中にこそ生ずるのだと言っているのです。「高原の陸地」とは、私は煩悩や苦悩を自らの力でという「自利」に生きる人々をさし、「卑湿の汚泥」は、それとは逆に、煩悩や苦しみが尽きず矛盾に満ち満ちた中で生活する凡夫の我々をさしています。
親鸞聖人もその著『教行信証』に引用して「これは、凡夫煩悩の泥の中にありて、菩薩のために開道せられて(菩薩によって往生の道が開き示され)よく仏の正覚(悟り)の花を生ずるにたとふ。」言葉とされています。また、親鸞聖人は阿弥陀仏の極楽浄土のことを「蓮華蔵世界」(『正信偈』)とも表され、この世界に至れば、真実に目覚めることができ、煩悩泥の中にあって苦しむこともなくなり、「真如法性を証する(真実そのものに目覚めること。即ち、仏になる)」(同偈)と説いておられます。
光華「其の光、花の如し」本学の校名です。校名の如く光り輝く華のように生きる人間になってほしいとの願いから名付られました。校訓の「真実心」は御仏の心のことを言い、「慈悲の心」と言い換えることが出来ます。「思いやりの心」「寄り添う心」「他者への配慮」「共に支え合う心」と言うこともできるのではないでしょうか゛蓮華の花に象徴される人のような生き方です。
昭和二六年、千葉県の検見川の縄文遺跡から出土したハスの実は、翌年、植物学者で「ハス(蓮)」の権威であった大賀一郎博士によって発芽育成に成功し、「大賀ハス」(「古代ハス」「縄文ハス」とも)と名付けられて全世界に広がりました。大賀博士がその後提唱された「ハスは平和の象徴なり」の言葉を、今まさにかみしめなければならないのではないでしょうか。因みに、本大学の池にも育成されています。(宗)
防災訓練を実施しました
2023.08.29
8月28日(月)、教職員を対象に防災訓練を実施しました。
防災訓練は毎年実施しており、大きな地震や火事が発生した際、キャンパスにいる学生生徒等を安全に避難誘導し、被害を最小限に抑えることを目的としています。
当日は、震度7の地震および火災が発生したことを想定した避難訓練を行い、その後は右京消防署職員の方による消火訓練、救護活動訓練、防災・消防設備の専門業者による避難器具体験を行いました。
教職員一人一人が防災訓練を通して学んだことを日頃から意識し、有事の際に適切な判断・行動ができるようにしてまいります。
生
2023.08.28
今回書かせていただくのは、生老病死である四苦の1つである「生」についてです。
親鸞聖人は、四苦について『教行信証』の中に「豪貴富楽自在なることありといえども、ことごとく生老病死を勉るることを得ず。」と『安楽集』より引用している。どれだけの権力や財力を持ったとしても、その立場や生き方に関わらず、私たちの誰もが決して避けることのできないものであることということです。
この生老病死の中で、老と病と死に対する苦のイメージは掴みやすいと思いますが、生に対しての苦のイメージは、なかなか考えることがないかもしれないですね。生まれた時から苦しみが始まっていると考える時は、なにかのきっかけが必要なのだと思います。
生まれることが苦しみでるということだが、生まれてから楽しいこと、嬉しいこと、幸せなこと、それらが存在しないと言っているわけではありません。
ただ、それらの楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことはいつまでも続くわけではなく、さらにそれらポジティブな感情が大きければ大きいほどネガティブな感情、つまり苦しみを生み出すのです。
そんな生老病死という避けられない苦しみを乗り越えるために、仏教は教えを説いています。
そんな四苦から改めて仏教に触れてみてはいかがでしょうか。(宗)