願わくば深く無常を念じて、いたずらに後悔(こうかい)を
貽(のこ)すことなかれ
宗暁 編 『楽邦文類』
貽(のこ)すことなかれ
宗暁 編 『楽邦文類』
この言葉は、中国南宋時代初期の僧宗暁(1151~1214)が、楽邦すなわち阿弥陀仏の浄土へ生まれたいとの願いに関わる経文や論説の要文や、先人の詩文の類を集めた『楽邦文類』の中にあり、親鸞聖人も同書から『教行信証』の「信巻」の中に引用されています。
この言葉は、仏教の根本的な教えの一つである「諸行無常」、すなわち全てのものは常に変化して少しの間もとどまっていないということをいつも心に思いなさい。私たち人間も例外ではないのです。そうした無常を生きる私たちは今のこの一瞬一瞬が大切であり、無益に過ごして後に悔いをのこさないようにしなさい。と呼びかけているのです。
斜里大谷幼稚園の園長をつとめておられた鈴木章子(あやこ)さん、42歳のとき乳癌発症の告知を受けられ46歳で亡くなるまでの4年間、肺の切除、抗癌治療の苦しい闘病生活の中、念仏の教えを聴聞し、「いのち」とは?人間の生き方とは?を問い続けられました。鈴木さんは告知後の明日をも知れぬ闘病生活の自らを、次のような歌に遺しておられます。
割れやすき器のごとき命なり 今ひとときを輝いていたし 『癌告知のあとで』(探求社)
鈴木さんの「今ひとときを輝いていたし」の願いに「いたずらに後悔を貽(のこ)すことなかれ」の生き方を思わずにおれないのではないでしょうか。(宗教部)