「ともに生きる」とはどういうことでしょうか。友人や家族と仲良く生きようということでしょうか、また、助け合い、支え合いながら生きようということでしょうか。今月は、浄土真宗における「ともに生きる」意味を考えていきたいと思います。
皆さんご承知の通り、浄土真宗の宗祖 親鸞聖人がその生涯をかけて探し求め
られたのは、全ての人々が平等に救われる道です。全ての人々が救われるとはつまり、聖人
自身もその道に出会われ救われたのです。親鸞聖人が関東の門弟に送られた手紙である
御消息に「とも同朋にもねんごろにこころのおはしましあはばこそ」という一文があります。
現代語にしますと「ご縁ある人々を大切にし、ていねいに接してこそ」ということになると
思います。ここに浄土真宗における「救い」の本質があるのではないでしょうか。
私たちは家族や友人など、多くの人々とともに生きています。しかし、そんな私はその家族や友人をどのように見ているでしょう。まず自分という自我(自分が正しいと思う心)を通して見ているのではないでしょうか。もし、そうであれば、真の意味で「ともに生きている」のではなく、自分という世界と違う世界を生きている存在、つまり、家族だから一緒にいる、仲が良いから、気が合うから一緒にいるということになってしまいます。しかし、この自我に執着し続ける自分という存在、つまりどうしようもない自分であることに気づき、それを受け入れて生きていく・・・そのことに気づいた瞬間、自分の傲慢さがはじけとび、他人を「とも同朋」として平等に見ることができるようになるのではないでしょうか。浄土真宗における「ともに生きる」とは、他人を「とも同朋」という自分と全く平等な存在、もっと言えば、弥陀によって救われるべき尊い命を生きている存在であることに気づき、そうした他人を「とも同朋」として同じ世界を生きていくことです。そうしたことに気づくことができたなら、他人に対して傲慢でなく、また、気後れもなく、「とも同朋」として自分と平等な存在として接して「ともに生きていく」世界に出会うことができるのではないでしょうか。 (宗)
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