「正直」とは、正しくて、うそや偽りのないことを言います。私たちは、何事にも正直に生きていなければならないと思いながら実際はどうでしょうか。
また、ことわざに「正直者は馬鹿を見る」という言葉があります。ずる賢い者は上手く立ち回って得をしますが、正直な者は秩序や規則を守るために、かえって損をすることが多いということです。確かに、その様な経験をされたことがあるのではないでしょうか。
そこで、これらを仏教の教えに置き換えて考えてみたいと思います。仏教の根幹とは、「因果の道理」です。因果とは、原因と結果の関係であり、その関係を成立させるには「縁」が必要になります。原因があっても即結果には至りません。結果を出すためには「縁」が必要になります。そのことを仏教では「縁起」といいます。一般的には、縁起が良いとか悪いとかいいますがその様な意味合いではなく、仏教でいう「縁起」とは、一つの原因によって結果が生じるのではなく、多くの原因が集まって結果が生じるということです。種の発芽を例で言えば、種が因で、水や温度など様々な要素が縁です。この因縁の関係によって事象が起こります。その結果として種が発芽するという結果にいたります。つまり、様々な条件が重なって物事が起こっているということです。
お釈迦様は、「まかぬ種は生えない まいた種は必ずはえる 刈り取らねばならないすべては 自分のまいたものばかり」と教えられています。 さらに、「まいた種は必ず生えるが、生えてくる時期には、前後があるのだ」と教えられています。 このことを「順現業」、「順次業」、「順後業」といいます。「順現業」とはすぐにあらわれる種まきのこと、「順次業」とはしばらくたったのちにあらわれる種まき、「順後業」とはずっとのちにあらわれる種まきのことをいいます。つまり、お釈迦様は、「まいた種まきは目が出る時期にこそ差はあっても必ず芽が出てくる」と仰られています。今の努力に無駄はないということです。逆に、「刈り取らねばならないすべては 自分のまいたものばかり」とは、努力をしないでいるとそのツケが必ず自分に返ってくるということです。
私たちは、日々生活する中で物事の結果をすぐに求めてしまいがちになっています。逆にいえば、結果がついてこないことには興味すら示さないこともあるのではないでしょうか。勿論、結果を求める姿勢は大切ですが、利己的な物事の考えや行動ばかりの人生を送るのも良くありません。その物事の見極めが大切です。さらに、人とのかかわりを粗末にするか否かで、信頼関係は大きく左右します。人との出会い(ご縁)を大切にすれば、必ず信頼関係という種が芽生えます。今月の言葉「正直に生きる」とは、何事にも真面目にコツコツと努力を惜しまず取り組み、正直な人生を送ることなのではないでしょうか。(宗教部)
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