4月8日はお釈迦様の誕生日です。本学では入学式期間となるため少し遅らせ、4月18日に全設置校の学生生徒等が一堂に会しお祝いしました。仏教とは日々を生きる心がけを問うている教えです。こうした仏教行事を通して学生生徒等一人ひとりがそれを感じ、心がけを持つ生き方を身につけてもらえればと思っています。今月はこの「心がけ」について考えてみたいと思います。
お釈迦様のお悟りは「縁起の道理」と言われます。この縁起とは「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ずる、これなければかれなし、これ滅すればかれ滅する」というもので、「われわれは関係性のなかにしか存在しえないものである」「永久に不滅のものはない(無常)」「絶対性の否定(無神論)」「すべては無我」といったことを教えてくださっていると思います。このお釈迦様の教えを親鸞聖人は「阿弥陀如来の本願を信じ、念仏を称えれば仏となる」と伝えてくださいました。いわゆる「他力本願」です。他力本願というと「誰かに助けてもらうこと」や「他人任せ」という理解をされていらっしゃる方も多いようですが、本来は「仏様の願いにお任せし生きていく」ということです。このことを分かりやすく伝えてくださっている詩を紹介させていただきます。これは石川県にある真宗大谷派常讃寺の坊守(ご住職の奥様)藤場美津路さんが、お寺の寺報『法友』(1982年2月号)に掲載されたものです。
『仏様のことば』
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない 死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
「憶念の信」という言葉は少し難しいかもしれませんので少し補足させていただきますと、「憶念」とは、「心に堅くおもうこと」、「心に思いたもつこと」、「心に念じて忘れないこと」といった意味です。従いまして、「憶念の信」とは、「阿弥陀仏の本願を信ずること」、すなわち「阿弥陀仏にお任せする(他力本願)」ということです。
皆さんはこの詩をどのようにお感じになられたでしょうか。本学園の宗教行事は、自分はどのような心がけをもって生活しているのかを確かめる機会、考える機会としています。皆さんも是非一度ご参加くださり、自分を見つめる機会にしていただければと願っております。(宗教部)
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