この言葉は『歎異抄』の「第五条」の中にある言葉です。『歎異抄』は、宗祖親鸞聖人の門弟であり、聖人の晩年に直接教えを受けられた唯円の作とされています。
その著書の中で、親鸞聖人が語られたお言葉として「自分(親鸞)は、亡くなった父や母への供養のために念仏したことは未だかつて一度もありません。その理由は、そもそも一切の生きとし生けるものは、すべて遠い過去から現在までくり返し、くり返し何度となく生まれ変わり、生き変わりするあいだにすべてがつながっていくものであり、時に父母となり、時に兄弟姉妹となり、いのちあるものすべてが家族のような存在だからです。」と述懐なされたと記されています。
よくよく考えてみますとわたしたちのいのちは、過去無量のいのち、数えきれない連綿と続くいのちのバトンが受け継がれてきたおかげで今の自分のいのちがあると言えます。また、このいのちは、現在あるあらゆる他の多くのいのちと互いに深く関わり合い、支え合い、つながり合っているいのちであると言えます。他のいのち(人間以外の存在も含む)の深い関わりを抜きには成り立たないのです。遠い遙か昔、38億年前に地球上に誕生した一つの細胞から進化をくり返してきた、その進化の過程を辿れば、親鸞聖人が述懐なされたつながりの中にあるすべてのいのちは、父母兄弟姉妹であるということが実証できるのではないでしょうか。
このようにわたしのいのちは、わたしだけのいのちではなく、すべてのいのちによって生かされているいのちであり、遠い過去から引き継がれた尊いいのちであることが顕かになりますと、誰もがいのちを私物化することはできなくなります。また、すべての事象を自己中心的な視点で見ることは極力避けなければならないことがわかります。
現在もなお世界各地で国際間・民族間・宗教間等の紛争や戦闘がくり返されて多くの尊いいのちが奪われています。大変心が痛む悲しいことです。これらはいのちの私物化、自己中心的なものの見方・考え方の最たるものではないでしょうか。自分の側だけの利益をはかり、論理を押し付けようとする自己中心的な考え方に執着することを一刻でも早く改めなければならないと思います。
この惨状を目の当たりにして、親鸞聖人のお言葉を思い起こさずにはいられません。わたしたちは、あらためて親鸞聖人が「生きとし生けるものはすべて父母兄弟姉妹なり」と述懐なされた御こころを深く受け止めて憶念することとともに、一人でも多くの方にお互いがつながり合っている等しいいのちをいただいている家族であるということを伝えていくことが今、最も大切なことではないかと思います。(宗教部)
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