解脱させ得ないであろう。 中村元訳(『ブッダのことば』1064)
釈尊は生死に迷うわれわれ人間を世間(生死の世界)から出世間(涅槃の世界)へと連れ戻そう(解脱させよう)としているのだが、仏と成った彼が、その憐愍(れんびん)の情から、われわれがそうという自覚もないまま、生死輪廻していることを説き、世間から出世間へと渡って行きなさいと、どれだけ勧めようとも、それを信ぜず、敢えて仏法を蔑(ないがし)ろにする不遜の輩を解脱させることはできないと言う。
それは、一遍の言葉に「三毒(貪・瞋・痴)を食として、三悪道の苦患(くげん)を受くること、自業自得の道理なり。しかあれば、自ら一念発起せずよりほかには、三世諸仏の慈悲も済(すく)うことあたわざるものなり」とあるように、われわれが生死の苦海を転々としているのは、われわれ自身が招いた結果であって、誰がそれを強いたわけでもない、まさに自業自得なのだ。また、そうであるからこそ、一念発起し、自ら「不死の境地」を求め、悟りの世界(涅槃の世界)へと赴(おもむ)こうとしない限り、たとえ仏であっても如何(いかん)ともし難い、と彼が言うに同じだ。
仏教が、われわれ迷道の衆生に対して慈悲の心を注ぎ、解脱(生死出離)に向かわせようとしていることはまぎれもない事実であるが、この度(ど)し難い人間(疑惑者)の耳に彼らの声は届くこともなければ、まして、たまたま人間として生まれたこの機会を捉えて、生死の流れを渡るのでなければ、「いずれの生においてか、この身を度せん」と言った覚者(道元)の気遣いなど分かるはずもない。ともあれ、生死輪廻の輪を廻しているのは他ならぬわれわれ自身であり、止めるのもまたわれわれ自身であることを銘記しておこう。(可)
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