お釈迦さまが亡くなられて後、仏法はそのありさまから、法(教え)・行(修業・実践)・証(悟り)が満たされている正法の時代、教えと行はあるが証のない像法の時代を経て、教えだけがあり行も証もすたれた末法の時代になり一万年続くと考えられました。日本では、永承七年(1052)が末法元年といわれ末法の時代に入ったとされています。謂わば救いのない、暗闇の世界の到来と信じられました。その頃の日本は、現実にも各地で戦があり、さらには大地震や冷夏など自然災害が起こり、飢饉が頻発,伝染病が流行、人々の生活は悲惨な状態にあり、出口の見えない暗闇の世界で、まさに末法の世を実感させられる時代でした。
こうした中、親鸞聖人は人々の救われる道を求めて修業の日々を送られました。そして、末法の世でも衆生を救ってくださる阿弥陀仏の本願を信じて、念仏することのほかに救われる道はないという法然上人の教えに遇われたのです。親鸞聖人は、この時の自らの求道の変化を「雑行を棄てて本願に帰す」と述べ、以降、本願念仏の行者として生き、獲得した念仏を広め、その教えを多くの著書や和讃として後世の人々に遺されました。
今月の言葉は、親鸞聖人が、行も証すたれた末法の時代に衆生を漏らさず救ってくださる阿弥陀如来の本願を讃え詠まれた『正像末和讃』の一説です。この和讃は「いつ明けるかもわからないほどの長い無明の闇の中にも、私たちを照らし包んでくださっている大きな灯火(阿弥陀仏の本願) があります。だから、自分は聡明な智恵の眼がなく、悩み、苦しみ、迷いから逃れることができないと、悲しまなくてもいいのです。」と詠んでおられるのです。
今を生きる私たち、この和讃の意(こころ)を尋ね、阿弥陀仏の本願につつまれて生きる自らの生き方を見つめていきたいものです。(宗教部)
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