人生はあなたに絶望していない」(ヴィクトール・フランクル)
オーストリアのユダヤ人精神科医フランクルは、 2年半に渡るナチスの強制収容所での生活を余儀なくされました。そしてそこでの体験を著した『夜と霧』は今も世界で読み継がれています。今回取り上げたことばは、フランクルが生前語っていたことばだと、彼の妻が日本人心療内科医永田勝太郎氏に贈ったものです。(2008年5月2日付朝日新聞より。2012年8月現在もasahi.com にて閲覧可能http://www.asahi.com/kansai/kokoro/kataruhito/OSK200805020032.html:『夜と霧』池田訳p. 129参照)
強制収容所-過酷な強制労働・環境・暴力が支配するなか、所持品だけでなく、名前も、尊厳も奪われる-そのような極限状態は人の心の奥底を暴きだします。保身のために自ら人としての尊厳を放棄しあるいは生を放棄する人がいる一方で、過酷な現実を真正面から受け入れ、苦しみながらも勇敢さと尊厳を保ち内的な高みに達する人がいたことが記録されています。しかし、その高みへと達した人たちは“普通の人々”とかけ離れた英雄なのではないとフランクルは言います。彼らの英雄的ふるまいは、もともとの特別さからではなく、彼ら自身のその場その時の決断によるのだと言うのです。
フランクルは言います。人間らしさとは善悪の合金のようなもので、その善と悪の間には亀裂が走り、それは心の奥底にまで達していると。つまり、そこで暴きだされたのは、心の深淵でその人が、その場その時に、善悪のどちらを選び取ったのかということです。先にあげた永田医師に贈ったことばの直前にある「人は誰しも心のなかにアウシュビッツを持っている」という一節も、わたしたちの中には、自ら飢えながらも人にパンを分け与えるような善性とともに、収容所で起こったようなあらゆる非情をなす可能性をも宿していることを指摘しています。わたしたち人間は、そのいずれをも選び取れるほどに自由なのです。
では、彼ら英雄的なふるまいをなした人たちは何を選び、何を決断したのか。生きる意味を、自分の側から人生に求めるのではなく、人生が自分に求めていることに答えていくことのうちにあると受け止めたということなのでしょう。
現代は心の時代だと言われています。しかしその心には善悪の亀裂が走っているとフランクルは言います。そうであるならば、人生からの問いかけに耳を澄ます心の存在を確かめなくてはならない、そのような時代だということになります。
ところで仏教の枠組みで考えるならば、この人生からの問いかけは、仏からの問いかけと言えるかもしれません。また、仏教では生きとし生けるものの在り方を6つに分け(六道)、仏の教えに出会うためには、人間に生まれなければならないとしています。いかなる状況にあっても、勇気と尊厳を失わず世界に対して心を開いていく者が人間であり、仏の教えつまり、仏からの問いかけに出会う。そして、心を開くことができなかった者が人間以外の呼称、餓鬼畜生などと呼ばれている…お経はこのようなことを語っているのかもしれません。
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