此岸から彼岸に趣くであろう。中村元訳(『ブッダのことば』1130)
生には二つの旅がある。一つは時間(生死)の中を行くホリゾンタルな旅であり、もう一つは自らの内なる実存(本源)へと向かい、永遠(涅槃)に行き着こうとするヴァーティカルな旅である。源信が「願はくは、われ早 く真性の源を悟りて、すみやかに如来の無上道を証せん」と言ったのは後者である。しかし、われわれは人として生まれ、自らの欲するところに随って人生を演出するが、生死の流れ(此岸)を断って涅槃の岸(彼岸)に趣(おもむ)くことが、われわれの辿(たど)るべき最上の道(無上道)であることを知らない。
ところで、われわれがやって来たところは本源であり(流出)、帰るべきところもまた本源であった(還源)。そこはわれわれが帰るべき永遠の故郷であり、生の源泉なのだ。そして、二つの本源の間(あわい)が生死輪廻する此岸の世界であり、われわれが意識的にヴァーティカルな旅を辿らない限り、生々死々するホリゾンタルな旅はいつ果てるともなく続いて行く。
それは道元の「須(すべか)らく回光(えこう)返照(へんしょう)の退歩を学ぶべし」という警句の中によく表れている。これまで外ばかり向いていた目を自らの内側へと回光(回向)返照して、本源(真性の源)へと立ち返るという意味であるが、学ぶべきは、あるいは修すべきは「退歩」であるとする彼の金言を、今日、われわれは真剣に考えてみる必要があるだろう。というのも、科学技術の進歩にともない、今や人類は宇宙へと飛び立ち、関心は地球圏外へと向けられつつある。しかし、個々の人間にとって、進歩とは未来であり、生き急ぐ時間であり、果ては、死を待つだけのあなた自身は、結局どこに辿り着くこともなく、生々死々する迷道の衆生に留まることになる。宗教とはいつの時代でも進歩ではなく、退歩なのだ。(可)
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