生死の道のりは長い。中村元訳(『真理のことば』60)
学問は真理の探求であるといわれるが、それに従事するものが仏教の主要なテーマである生死の問題を念頭においているとはとても思えない。むしろこの言葉から、物知り顔に振舞う人間の愚かさを、釈尊は暗に批判しているように感じてしまうのは私一人であろうか。
それはともかく、真理には正しい真理とそうでない真理の二種類があるようだ。そして、正しい真理を知らない者を愚者というなら、それを知る者を賢者と呼んでもいい。また、愚者にとって、生死の道のりは長いと彼は言うのだから、賢者には短いということになるだろう。
さて、長寿を全うすることは、人間的に言えば、慶ばしいことであるが、生死の道のりは、愚者にとって、長いというのであるから、歓迎されるどころか、大いに問題があることを示している。それは親鸞や道元が言ったように、いくたびか徒(いたずら)に生まれ、徒に死を繰り返してきた私たちが、今生において、正しい真理を知るのでなければ、生々死々はいつ果てるともなく続いていくことになるので、生死の道のりは長いと釈尊は言ったのだ。一方、幸いにも、それを知った賢者はもはや再び生を享けることはなく、この生存が最後となる。仏教において、愚者と賢者を分けるのは、いわゆる知識(情報)の多少ではなく、正しい真理を知っているかどうかであることを銘記しておこう。
生死の苦海に身を淪(しず)める私たち人間にとって、本当に知るべきことは多くない、ただ一つである。それを仏教は真知(無著(むじゃく)の言葉)といい、また正しい真理ともいうが、仏とはその真理に目覚めた人のことであり、この真理によって幸せであれ!と教えているのが仏教なのだ。(可)
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