仏さまはさびしいの (金子 みすゞ)
童謡詩人 金子みすゞさんの「さびしいとき」の詩の一節にあることばです。
すべてのものにあたたかい眼差しを向け、清らかさを失わない澄んだ眼と純粋な心で書かれた
金子みすゞさんの詩は、どれも慈愛に満ちたやさしくて思いやりのあることばで私達に語りかけて
くれます。
この詩は、「私がさびしいときに、よその人は知らないの、お友だちは笑うの、お母さんはやさしいの、仏さまは
さびしいの」と私がさびしい時の私と他者との関わり方が書かれています。まったくの他人は、気持ちを分かってくれません。友達は、気持ちを察してくれて明るく振舞ってくれるのですが、本当のところはなかなか通じません。母親は、さびしい私をじっと見つめて、一方的に励ますことはしないでやさしく接してくれます。しかし、私には、本当の意味でさびしさを共有できる、丸ごと受け入れてくれる存在が必要なのです。私がさびしい時にがんばれと励まされるより、心に寄り添うように「さびしいね」と言われることの方がどれだけさびしさが和らぐことでしょう。
あなたの悲しみ苦しみは私の悲しみ苦しみであり、あなたの喜びは私の喜びである、といつも共に同じ立場に立って慈悲の眼差しをもって見とどけてくださる大きな力(はたらき)を仏さまというのでしょう。私がさびしいと仏さまもさびしい、私がさびしい時、仏さまも一緒にそのさびしさを背負ってくださる、そういう仏さまのお心が聞こえた時、私の心は安らぎ癒されるのではないでしょうか。
人は、苦しいことやつらいこと、生きることの厳しさにつまずいた時、「孤独」ということを実感します。その時一番欲しいものは「共に」という存在であり、自分をそのままの姿で尊い存在であると認めてもらえる世界です。
仏教の教えとして「一切の衆生を必ず救う」という願い(本願)が示されています。
この教えをいただく私たちは、この願いを心の拠所として決して孤独ではなく、共に喜び共に悲しみ
「さびしいね」と語りかけてくださる存在(はたらき)があることに気が付いていくことが大切です。
金子みすゞさんは、すべての生きとし生けるものは、大いなるみ仏の慈悲によって生かされている
ということに気付かれて、その慈悲の光の中にすべての事象と自分自身の真のすがたを見つづけて
いかれたのではないでしょうか。(宗)
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