花は言葉を持たないが 唯、尊しと今年も咲く―南御堂掲示板から―
二月の初旬、庭の紅梅に花が一輪咲いた。やがて日に日に花芽が膨らみ次々と花が咲いた。少し遅れて、隣の白梅が花を咲かせて馥郁(ふくいく)たる香りを漂わせている。この梅の下に、赤の沈丁花が枝の先端に花芽を膨らませ今にも咲こうかと待っている。遅咲きの水仙が庭石の傍らに細長い葉をまっすぐに伸ばし、花を二~三本咲かせている。隣には球根から芽吹いたチューリップの芽が勢いよく土を分けて伸びている。寒風にさらされ、枯れたように見えるカエデの小枝には、真っ赤な色の小さな新芽が朝日を受けて輝き始めている。毎年繰り返される見なれた光景である。
今年咲いた花は、芽吹いた葉っぱは、去年の花や葉っぱではない。花や木は言葉で話しかけてはこないけれど、自然の営みの中に「いのち」を輝かせ、自らの役割に精一杯生きている。次に「いのち」を伝えることが大切な使命であることを誇るように…。
「其の光、華の如し」(『仏説観無量寿経』より))本学の校名である。限りなき尊い「いのち」を生きる私たち、校名のごとく光り輝く華のように生きるとは…いつも自らに問うていたい。(宗)