新型コロナウイルス感染症は現在、第2波とも思われるような状況にあり、全国的な広がりを見せています。そして感染された方やそれによりお亡くなりになられた方は増加の一途をたどっています。多くの方がこうした社会生活に不安を抱えながら、私たちには自分や家族、地域、国民、人類の命を守るために、私たち自らが感染拡大防止の適切な行動をとることが求められています。多くの方は、「健康でいたい」「生きていたい」という思いを持ちながらも、この現状を受け入れることができず、恐れを感じながら日々を過ごしておられます。
蓮如上人の「御文」4帖目第9通にはこのようなことが書かれています。「このごろ疫病が流行り、多くの人々が亡くなっておられます。しかし、人は疫病が原因で死んでしまうのではないのです。死ぬということは、生まれたときから定められており(定業)、それほど驚くことはないのです。」と。疫病による死は縁であって因ではなく、因は生そのものだというのです。これをお書きになられたのは、戦国時代の延徳4(1492)年6月のことで、疫病が流行して多くの人々が亡くなった年でした。この言葉は、「今私にあるこの命は必然によるものであり、それに感謝し、この先の人生においても大切に過ごすことが必要である」という意味が込められていると思います。なお、政府・自治体、医療の対策、国民の行動制限の取り組み等が無用であるということを言われているわけではありません。
さらに御文には、そのような私たちに対しはたらきかけをしていただいているのが、阿弥陀様であり、私たちを救おうとしてくださっています。我利私欲の生活から逃れられず、自己中心的な考え方に陥りやすいこの私。思い通りにはならないため、不満や不安を抱えたまま生きていくしかないこの私を、「そのままの姿で救う」と。いかなる罪悪深重の者でも、いつでも、どこでも、だれでも救われる法が阿弥陀仏の本願です。生死の一大事を阿弥陀様におまかせし、お念仏の生活をすることで安心を取り戻し、感謝して日暮しをしてはどうかと言われているのです。
この御文(おふみ)とは、浄土真宗本願寺八世蓮如(室町時代、1415年2月25日-1499年3月25日)が、布教の方法として全国の門徒に対し消息として送った仮名書きの法語のことである。蓮如上人の孫の圓如(えんにょ、戦国時代の浄土真宗の僧)が、二百数十通の中から80通を選び五帖に編集した物を「五帖御文(ごじょう おふみ)」という。(宗教部)
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