彼岸に至るであろう。中村元訳(『真理のことば』86)
死の領域とは、現在われわれがそうという自覚もないまま、生と死を繰り返しているこの世界(此岸(しがん))を指している。それに対して、生死を超えた彼方の世界を彼岸という。そして、仏教(釈尊)は、ここ(此岸)に留まっているべきではなく、われわれが辿る(たど)べきは彼岸であることを指し示し、如何にすれば此岸の世界から彼岸の世界に渡ることができるか、その方法を探ってきたのだ。
しかし、なぜわれわれは今、生死に迷う迷道の衆生となっているのかというと、われわれが真理に暗いこと、すなわち無明(avidya)に閉されているからということになろう。さらに、この無明を根本に貪欲(とんよく)(貪り)と瞋恚(しんに)(怒り)が生じ、これらが相俟って生々死々する無明長夜の闇はいつ果てるともなく続いて行く。翻(ひるがえ)せば、無明の闇を晴らし、真理に遵うならば、死の領域を超えて、彼岸に至るであろうということだ。もちろん、ここでいう真理は諸々の学問が追究しているそれではなく、真智(無著(むちゃく)の言葉)と呼ばれたものであり、それを知る(覚る)ことが難しいが故に此岸から彼岸へと渡ることは容易ならざることなのだ。
浄土教は、死の領域(此岸)を超えて彼岸へと渡ることの難しさを「水火(貪欲と瞋恚を象徴している)二河の比喩」で説明してきた。生死に迷うわれわれの前に東岸(此岸)から西岸(彼岸)へと伸びる一本の狭き白道がある。しかし、それは今、われわれの貪りと怒りの二河に洗われ、容易に渡り難い道であるが、もとよりあなたに代わって渡ってくれる人などなく、あなた自身が意を決して辿らねばならない真理への道(それを仏道という)であると。(可)
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