現代は不安の時代と言われるように、私たちは大なり小なり常に不安を持って日々を過ごしています。変わりゆく社会環境から家族、友人、仕事、自分自身のこと、「どうすればよいだろう」、「どうしようか」といった心配など不安の種はいくらでもあります。しかし、人間として生を受けた以上致し方ないことです。
では、その不安をどのように取り除くのでしょうか。一つには、一人で解消する、誰かに相談する、宗教にすがる人などそれぞれ異なります。勿論、正解はありません。
そこで、皆さんも今一度ここで自分の事として考えていただきたいと思います。
自分の中でなかなか整理がつかない悩み事があるときに、神社やお寺にお参りをされた経験がある方は多いと思います。恐らく、目には見えない何かのお働きを期待してお参りされたと思います。ところが本当に、お参りしたぐらいで不安がなくなるのでしょうか。
その時は、気持ちが楽になるかもしれませんが、実際は次から次へと新たな不安が出てきます。
そこで、少し考え方を変えてみてはどうでしょうか。
不安は私たちが生きる上で絶対に必要なものなのです。宗祖親鸞聖人が浄土教の高僧として選んだ七人の僧(七高僧)の第五祖であられる中国の善導大師が『観経疏(かんぎょうしょ)』に示されているものに「二河白道の譬え」があります。
「ある人が西に向かって独り進んで行くと、無人の原野に忽然として水・火の二つの河に出会われました。火の河は南に、水の河は北に、河の幅はそれぞれわずかに百歩ほどですが、深くて底はありません。ただその河の間に幅四五寸(12cm~15cm)程の一筋の白道があるだけで水と火が常に押し寄せてきます。
そこへ後方より群賊や悪獣が殺そうと迫ってきます。戻れば殺される、進めば火の河・水の河に飲み込まれ絶体絶命の状況です。
その時、向こう岸よりかすかに自分を呼ぶ声。ふと見上げれば阿弥陀様。「私を一心に念じ、こちらに来なさい。必ずあなたを護ります」と、後ろから「心を定め、行きなさい。決して災いはありません。止まれば死を待つのみです」振り返ればそこにお釈迦様がおられました。
ある人は、「一心に疑いなく進むと西岸に到達し、諸難を離れ善友と相見えることができた。」という例え話です。
この教えは、私たちの心の中身を譬えたものですが、様々な不安がある中、その不安に立ち向かい、不安から学び、そして自らを信じて進めば必ず道が拓かれるということをお示しくださっています。つまり、不安だけが私の生き方を「これでよいのか」と問うてくれる有り難いものなのです。その不安に向き合い、そして気づき、歩みとなり、自らの成長につながるのだと思います。(宗教部)
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