光華女子学園

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4月のことば
呼びかけに育つ

 人は人との関わりの中で、心豊かに過ごすことはできるのでしょうか。先日こんなことがありました。京都桂川の堤防道路の路肩に脱輪し立ち往生している軽トラックに出くわしました。ドライバーは外国の女性の方で動揺が隠しきれない様子。そこにはたまたま通りかかった非番の警官が1人。警官は何度か車の移動を試みますが、タイヤが空回りして動きません。警官は自分の弟を呼び出し、2人は協力してロープを使って牽引しましたが、うまくいきません(ちなみに、この弟は消防士。兄弟で本当に頼もしい限りです)。時間も経過し夜も遅くなり、心細く不安げな様子のドライバーに周りの人たちは心配して声を掛けました。「会社の車なので会社の方に叱られる。」とつぶやきます。「仕方ないよ…。大丈夫やし。」と私も声をかけました。ドライバーは少しずつ口を開き、話をするようになっていました。しばらくして会社の方が到着し、集まった総勢6人が力を合わせ、なんとか軽トラックを路肩から引き上げることができました。その時、周囲は拍手と安堵に包まれました。このように、予期せぬ事態が起こった時、人は不安に苛まれます。どうしてよいのか迷い苦しみます。しかし、周りの人たちのちょっとした声掛けによって、幾分かは気分が安らぐものなのです。

 私たちは幼少期から今まで、両親や祖父母、先生、友人など周囲の多くの人たちから呼びかけられ育ってきました。「手を洗いましょう」「帰りは何時になるの」「勉強はちゃんとできているの」「元気ないけど大丈夫?」「俺はこう思うけど、お前はどう思う?」など何でもない言葉に励まされたり、気付かされたり、教えられたりし、今日の自分の考え方や価値観、人生観につながっています。ともすれば、私の考えは私が作り上げたのだ、自分が苦労してここまで生きてきたのだと勘違いしてしまいがちですが、決してそうではありません。人は煩悩具足の身であるがゆえ、こうしたことを頭では分かっていても、心から受け入れることができないのです。

 浄土真宗の経典「正信念仏偈」(宗祖親鸞聖人の著書「教行信証」(鎌倉時代初期)の行巻末尾に所収の偈文)に、「南無阿弥陀仏」という名号がありますが、これは、阿弥陀様(仏様)からの呼びかけであります。鎌倉時代の世と何ら変わらず生きづらさを感じる今日であります。迷い、苦しみ、孤独に苛まれる私たちに向かって、「私にまかせなさい、あなたを必ず救うから」と何度も何度も呼びかけられているのです。その呼び声に気づいた私たちが手を合わせて「なもあみだぶつ」と唱えることは、「阿弥陀様におまかせし、日暮らしします」という感謝の意味であり、安心をいただくことになるのです。わかりやすく言うと、お母さんが「ご飯よ」と声をかけると「はあい」と答えます。親は繰り返し呼んで、子はその呼びかけに答え安心するということなのです。

 こうして考えますと、日々お念仏を申すことはもとより、周りの呼びかけに対して心で聴こうとすること、そしてその呼びかけにこたえようとすること自体が、心豊かに過ごす方法であると考えるのです。(宗教部)

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