と覚悟しよう。中村元訳(『真理のことば』6)
われわれの未来に何が起こるかなど誰にも判らない。確実なことはただ一つ、死だけであり、死のみが保証された生を、今私たちは生きている。さらに言えば、現下、不治の病と戦っているものだけが死の床にあるのではない。どんな人も生まれ落ちたその時から、一瞬たりとも死の床を離れたことがない。それにもかかわらず、多くの人々は死についてあまりにも無関心に過ぎるようだ。しかし、この避けようもない事実を忘れないものしか真に宗教の世界に入ることは難しい。というのも、その覚悟があってはじめて私たちは古(いにしえ)の聖賢(覚者)たちが辿った同じ出発地点に立つことになるからだ。
死をタブー視し、死から目を背けていては(現在、私たちは無意識のうちに、そうしているのであるが)、ただ老死へと行き着く生を知るばかりで、生の本当の意味は見えてこないだろう。なぜなら、生の意味は死の彼方に拓(ひら)かれてくるものであり、私たちは生に執着するあまり、死をできるだけ遠ざけようとするが、そうではなく、一度は、死について深く瞑想し(思いを致し)、その深淵に自らを解き放つ時、はじめて死をも超える「不死の境地」(5月の言葉を参照)あることを知るのだ。
この死から始まる生(浄土教はそれを「前念命終・後念即生」という)の中に、時空を超えた存在の輝きと創造があり、それと一つになることが、ここまで進化を遂げてきた人間に残された唯一の可能性なのだ。(可)
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