この言葉は、お釈迦さまの入滅前後の事跡や説法等が記された経典『涅槃経』に説かれた言葉で、「二つの尊い教えがあり、よく人々を救います。その教えの一つは慙、もう一つは愧です。」の意味です。親鸞聖人もその主著『教行信証』の「信巻」の中に引用されています。
同経典によれば、父王を殺して王となった王舎城の阿闍世が、自ら犯した罪の重さに恐れおののき、心身ともに病にかかります。父王を殺した事実はどのような理屈で補っても、また重臣たちのどのような慰めをうけても阿闍世の心は癒えず、犯した罪を悔いる念(おも)いが消えることがありませんでした。
そうした中、釈尊を敬い、教えをよく聞いた名医耆婆(ぎば)が阿闍世王に「王さま、自ら犯したことに自らを追いつめ苦しむのは、王さまに慙愧の心がある証拠です。その心がある限りあなたは人間として救われていくのです。」と説きました。「慙」も「愧」も「羞恥」「はじる」という意味です。
さらに同経典には、「慙」は自ら内に向って、また仏法に照らして自らをはじること、「愧」は他者に対して、また世間の法に照らして自らをはじることだと述べ、「無慙愧は名づけて人とせず。」と記しています。慙愧の心は人間として備えなければならない最も大切な心であると説いているのです。
人は日常の中で、信頼を裏切ったり、誤って傷つけたり種々過ちを犯します。さらには、そのことに気づかないのみか慢心さえ起こしてしまうことがあります。わたしたちは、そのような自らの現実をどのように受け止めているのかが問題ではないでしょうか。常に自らの行った事柄への振り返りが必要であり、その根底には「慙愧」の心のあることが大切であるのではないでしょうか。(宗)
(註)白法とは、仏の正しい教え、清浄な教え、尊い教え。
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