今月は相応部の経典に描かれるブッダとバラモンの対話を紹介します。
あるバラモンが森で瞑想をするブッダに出会いました。ブッダをはじめとする出家者たちは,生産活動を放棄し三衣一鉢(さんえいっぱつ),すなわち身にまとう三種の衣と托鉢用の器といった最低限のものしか持たない,無一文者です。一方,このバラモンは,土地を耕作し,家族を持つ者です。森に来たのも家畜にしている14頭の牡牛を探しに来てのことでした。
身一つで瞑想をするブッダを見て,バラモンは,「14頭の牡牛を失うことがない,この沙門(しゃもん,修行者)は幸せである」「畑が不良ということがない…」「夫を亡くし,子供を連れて家に戻ってきた娘がいない…」など,今バラモンを抱えている7つの悩みがなく,瞑想に専心するブッダは幸せであると語りかけます。ブッダは
「バラモンよ,確かに,14頭の牡牛を6日間見失うことがない,わたしは幸せである」
などと,バラモンがあげた7つの事柄を一つずつあげて,それらがない「わたしは幸せである」と詩をもって答えます。バラモンはこれを聞いて喜び,ブッダのもとで出家し,後に阿羅漢になったといわれています。ここでは「わたしは幸せである」というブッダの応答について考えます。
誰しも,日常の中で今の生活のために,あるいは将来のために,仕事を持ち,あるいは勉強をしています。家庭や友人,様々な人間関係を持ち,その中で時に喜んだり,満たされたり,あるいは傷ついたり傷つけたりしながら日々を生きています。それがわたしたちの生活であり,その日常こそが「わたし」だともいえます。
しかしその日常の中でわたしが求めているものは,誰かからの評価であったり,人間関係であったり,本来は自分の力だけではどうにもならないものであったりします。他者との関係だけでなく,自分の健康でさえ,わたし自身ではどうにもならないこともある。
では,自分の力が及ばないことを除いた,裸のわたしが幸せと言えるのは,どのようなわたしのあり方なのでしょうか。あるいは,10年後,20年後に生きていたら,環境や社会的な達成を超えて,わたし自身はどのような人間でありたいのか。そのために今何ができるのか。身一つのブッダによる「私は幸せである」という名乗りは,バラモンにとってそのような問いかけであったのかもしれません。
中村元『ブッダ悪魔との対話』pp. 149-153,片山一良『相応部』第2巻,pp. 224-230。
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