親鸞聖人のご命日にあわせて毎年11月28日に東本願寺では報恩講が行われています。報恩講は親鸞聖人のご苦労を偲び、自らの依りどころを教えていただいた聖人のご恩に報謝し、ともに念仏申す身となっていくことを誓う日です。
私たちが生きていくうえには親の恩や師の恩など、いろいろなご恩があります。それぞれとても大切なことですが、報恩講の恩とは、何より親鸞聖人がいただかれた念仏の教えに遇い、自らが生きる依りどころを教えていただいたご恩のことをいうのです。
さて、蓮如上人の『御俗姓』のお言葉の中に「ご恩報謝の志のない者」を厳しく戒められ、木や石に喩えられています。
生きている木というのは雨が降り、季節がめぐって春がくれば芽が出ますが、枯れた木というのは当然、雨が降っても全く芽が出ないのです。そして「石」の上にもどれだけ雨が降っても芽は出ません。そういう意味でそれを喩えにして、この報恩講において報謝の思いを起こすことの出来ない者は、たくさん仏の慈悲が雨のように降り注いで下さっているのにも関わらず、芽が出ない者なのだという喩えをもって表現されているのです。
芽が出るということは「信心」ということを喩えています。「オギャー」とこの世に生を受けた時から念仏を唱え、 信心をいただいている人は結局のところ一人もいないのです。数多くのご縁に出会い、師と仰ぐ人の教えを聞いてはじめて、今までご縁のなかった者が念仏申すことができるような身になっていくのではないでしょうか。
お念仏が自然と出るような身をいただいたことこそが、信心の芽が出るということなのです。そしてそれがだんだんと成長していくわけです。
報恩講を通して、報謝の志をもって聖人と心の響き合いのない名ばかりの私達にならないように教えを聞いていきたいものです。(宗教部)
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