皆さん近江商人という言葉を聞かれたことはあると思います。近江の国はここ京都の隣の滋賀県のことで、非常に真宗の教えの盛んなところでもあります。先日、大阪の南御堂で行われたある講演会で、作家の五木寛之先生が御堂筋について、「北御堂(西本願寺津村別院)と南御堂(東本願寺難波別院)を結ぶから御堂筋と呼びます。お念仏のさかんな近江の国の商人が、御堂の鐘の音が聞こえるところに本店を持ちたいと願い、やがてそうした先代の願いを受けて丸紅や伊藤忠といった商社も御堂筋にやってきて大阪の経済を支えてきた。御堂筋とは信仰によって発展してきた街です」とお話しになられました。この話しを聞いて、信仰心の厚い近江商人が大阪経済の発展に関係しているのだと驚いたのですが、司馬遼太郎さんの著書『街道をゆく』によると、近江商人はこの他にも、現在の私たちにとって非常に大切なことを全国に広めています。それは「おかげさま」という言葉です。私たちは人から物をもらったり、親切にされるなど、自分にとって都合の良いこと、うれしいことがあると「おかげさま」といって喜びます。一方、自分にとって都合の悪いこと、残念なことが起こってしまうと、「おかげさま」とはなかなか言えません。逆に不平不満、愚痴をこぼしてしまいます。目先のことに対しては「おかげさま」とすぐに気づくのですが、なかなか大きな「はからい」には気がつかないものです。しかし、よく考えてみますと自分にとって都合の悪いこと、残念なことなどの方が、その後の自分を成長させる働きがあるのではないでしょうか。私たちは自分ひとりで生きているわけではありません。多くの人たちに支えられ、お世話になり、助けられながらともに生きています。すなわち自分が気づかない無数の縁、言い換えれば「大きなはからい」によって生かされていただいているのです。この「大きなはからい」こそが、阿弥陀如来のはからいであり、そのはからいをしっかりと受け止め、「おかげさまで」と感謝し毎日を生きていくなかで、生きがいのある人生が生まれてくるのではないでしょうか。辞書を引いてみますと「おかげさま」という言葉は「おかげ」をていねいに言う言葉で、「おかげ」とは他人の助力や援助という意味の他、神仏の助けという意味もあるそうです。良いことも悪いことも「おかげさま」と受けとめ、「自分が、自分が」ではなく「おかげさま、おかげさま」と感謝し、共に喜び合いながら暮らしていきたいものです。 (宗)
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