私たちは日々生活する中で「上品」とか「下品」という言葉を使いませんか。一般的に、言葉遣いや所作、服装などがしっかりしている人のことを「上品な人」といい、その逆に汚い言葉や良くない言動などをする人を「下品な人」ということがあります。
実は、「上品」や「下品」という言葉は浄土教の根本経典(浄土三部経)の一つである『観無量寿経』に説かれている言葉なのです。仏教では「じょうひん」「げひん」とは言わず、「じょうぼん」「げぼん」といいます。
仏教の中でも極楽浄土に往生し、成仏したいという浄土信仰の中で、極楽浄土に到達するには、その人の能力や資質に応じて、九種類に分けるという考えです。上品(じょうぼん)、そして、聞きなれないと思いますが、中品(ちゅうぼん)、そして下品(げぼん)の三種類に分け、それぞれをさらに上生(じょうしょう)、中生(ちゅうしょう)、下生(げしょう)の三種類に分けられます。つまり、上の上(上品上生)、上の中(上品中生)、上の下(上品下生)、中の上(中品上生)、中の中(中品中生)、中の下(中品下生)、下の上(下品上生)、下の中(下品中生)、下の下(下品下生)ということになります。
簡単に言えば、私たち人間は生まれも育ちも行いも様々で性格もいろいろです。それでも、阿弥陀様は、「上品」や「下品」にかかわらず、私たち衆生すべてを極楽浄土に導いてくださるのです。その方法・階級が九つある(九品往生)と説かれています。本来、仏教ではこのような意味合いで使われていた言葉が、現在の「上品」や「下品」といった意味合いで使われるようになったのです。
ところで、そもそも「上品」や「下品」とは、誰が決めるのでしょうか。例えば、食事の時にテーブルを汚さず綺麗に食べるのが日本で良いとされていますが、外国へ行けばテーブルを汚して食事するほうが良いとされる国もあります。また、フォークやスプーン、お箸などを使わず手で食事をする国もあります。日本とは異なる文化・常識があるからです。もっと身近なところでは、口が悪く下品と思われがちな人でも実際にその人と接すると全く違う印象を持つことがあります。容姿や言動だけでなく、その人と実際に接することで受け止め方も変わります。つまり、多様性の理解を深めることが重要になります。
人は他人に対する評価や優劣を決めたがる傾向がありますが、上品や下品などは、人が人を勝手に判断しているということです。他人の勝手な判断に左右されるのでなく、自分自身が適切に判断することが大切です。勿論、自分自身も同じで、自分の物差しで人を判断するのでなく、自分自身をしっかりと持ち、他人の意見にも耳を傾け、手を取り合い、そのうえで適切な判断をすることが大切です。
仏教は、よく「気づき」の宗教と言われます。自己と向き合い、問い続けることで自己を深く知ることができます。そして、知れば知るほど自分は様々な人に支えられて生かされていることに気づき、自ずと感謝の心が生まれます。すると、自然と他者に対して思いやりのある言動を取って接することができます。これこそが仏教の教えなのです。
皆様におかれましては、偏見や固定観念など先入観で物事を判断せず、常に自己を見つめ、この世の在り方を問い続ける姿勢を持ち、そして当たり前のように生きている毎日が実は当たり前でなく、様々な人に支えられて生かされているということに気づく毎日を送っていただければと思います。(宗教部)
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