光華女子学園

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自灯明法灯明

 釈尊は死期が迫ったときに「自らを拠り所(灯明)とし、法を拠り所(灯明)としなさい」と弟子たちに説いたとされています。釈尊最後の旅路を描く「大般涅槃経」の一節としてよく知られていますが、今回は「転輪王経」を手がかりに考えます(長部26経、片山一良『長部』第5巻)。

 本経で、釈尊は最初に自灯明法灯明の教えを示した後に転輪王について語りはじめます。転輪王とは古代インドで伝承される、武力に頼ることなく全インドを治める理想の王です。王位は相続されますが、天界に属する輪宝が輝いた者が転輪王となるのであって、相続されるものではないとされます。

 昔ダラネーミという転輪王が登場しその国では七代に渡って転輪王の治世が続き、人々は繁栄し幸福に暮らしていた。しかし七代目の転輪王の息子は転輪王にはなれず、徐々に国は衰退、人々は荒廃して互いに傷つけ合うようになったと釈尊は語ります。転輪王になった王となれなかった王との違いをこの経典はどのように描いているのでしょうか。

 転輪王は輪宝が陰ると、自ら退位し王位を息子に譲り出家します。後に転輪王となった王たちは、王位に就いたものの輪宝が消えたことに不安を感じ、出家した父王に尋ねに行きます。父はまず自分自身が転輪王として振る舞うことが必要だと教えます。社会のさまざまな立場の人、そして動物たちを「法」に基づき統治し、「法」に背く行為をなさず、貧しい者に施しをすること。そして、時に応じて賢者たちに、善とは何か不善とは何か、罪とは何か、何に従うべきか何に従うべきではないかなどを問うことが転輪王の務めなのです。転輪王となった王たちはこれを実践することで転輪王となりました。

 

 これに対し転輪王になれなかった王は、王位に就いた時に輪宝が消えていても、父王に尋ねに行きませんでした。そして「自分の考え」で統治を行ったと経典は語ります。「自分の考え」と言っても、何かおかしなことをしたわけではありません。大臣たちがアドバイスをすればそれを受け入れ、むしろ本人としては一生懸命、務めを果たそうとしています。盗みを働いた者がいれば理由を尋ね、困窮していることがわかると諭し財を与えます。しかしそうすると、財目当てで盗みを働く者たちが出てきました。すると、王はそれに対応するために厳しい罰を与えることにしました。その噂はすぐに広まり、人々は嘘をつくようになりました。こうして少しずつ社会は崩れて、人々は疑心暗鬼にかられ荒廃していきます。倫理が崩壊したさまを「人の寿命は10歳になり、5歳の少女が結婚する」と経典は表現しています。

 

 必死に対応しようとするこの王に足りなかったものこそが、「法に基づく」(法灯明)だといえます。それは、賢者たちに善とは何か等と問うこととも関係しています。つまり法灯明とは、目の前の現実に対応しようとする自分の価値観や考え方そのものを検証する姿勢、視点といえます。

 

 これは王や為政者のみに限りません。本経には相手を野獣とみなし殺し合っていた者たちが、人を殺すのをやめようと各自森などに潜み、7日後に「ああ、あなたは生きている!」と相手の生存を喜ぶ場面があります。相手に対する不安や恐怖にかられている「自分の考え」から解放されることで、他者の幸福を喜ぶ自分を見いだし、そこから社会が回復していく様子が描かれています。

 不安な時代が続きます。今を乗り切るために必要なのは、自分の不安に飲み込まれない自分を見る視点を育てていくことなのかもしれません。(宗教部)

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