釈尊が誕生した直後に発した言葉として伝えられている、誕生偈の一節です。この言葉は、つまり「この世に自分より尊い者はいない」を意味します。強烈な言葉であるがゆえに、後半の「唯我独尊」は、転じて「ひとりよがり」や「うぬぼれ」を意味する言葉として一般に用いられています。もちろん、そのような用法は適切ではありません。そこで「本来の意味」が問題になるのですが、「本来の意味」として「すべての存在は尊く、かけがえのない命を与えられている」などと解説する仏教書もみられます。今回は、この言葉を少し考察します。
はじめにこの言葉が出てくる文脈を、パーリ語で残される「希有未曾有経」(『中部』第123経)から紹介すると、「私は世間で最上の者である。世間で最勝の者である世間で最高の者である。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれることはない」となっています。最後の一節から、この言葉は明らかに、誕生したばかりの釈尊が、後に悟りを開き(つまり、輪廻から解脱し)仏陀となると宣言したものであり、したがって、仏陀となる自分を尊いと言っています。
仏陀の生涯を語る仏伝は、最初からまとまった形で作成されたものではなく、初期経典で断片的に語られる種々のエピソードから抽出され整理されて成立しました。それらの諸経典や仏伝を分析した研究では、誕生直後に釈尊を占ったアシタ仙人の称賛の言葉(「スッタ・ニパータ」:『ブッダのことば』, pp. 149-152)や、悟った直後に釈尊が初転法輪へと向かう途上で出会ったウパカへの返答(『律蔵』「大品」:『仏教かく始まりき』, pp. 57-67)がソースとなり、仏伝において誕生時の釈尊自身の言葉とされたと推測されています。したがってそこには、仏伝作者たち、そして当時の仏教徒たちの釈尊の教えに出会った喜びと、釈尊への崇敬の念が刻まれているといえます。
確かに釈尊の悟りとその後に説かれた教えは、人が自分の尺度で他者や物事を計り、自分の存在を確かめようとすることが苦しみの原因となることを明らかにしています。したがって、誰と比べることもなく、ありのままの自分に充足する、つまり「自分と自分以外の者のいのちはそれぞれに尊い」ということが、釈尊の誕生偈でも意味されるのだと解釈することはできるかもしれません。しかし、誕生偈の文脈からは明らかにずれますし、「釈尊がそのような傲慢なことを言うはずがない」と、仏伝作者たちが釈尊誕生時の産声に重ねた思いを「傲慢」と取ること自体が、「自分の尺度」なのかもしれません。
わかりやすさが求められる昨今ではありますが、仏典に対しても、日常においても、「自分の尺度」を押し付けず文脈を丁寧に辿る粘りも大切なのではないでしょうか。
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