光華女子学園

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人間を尊重するということは、相手の話を最後まで静かに聞くことである。(安田理深)

本山(東本願寺)の同朋会館は、奉仕団や研修会で上山された方々が仏の教えを聞き、様々な言葉を交わしながら過ごす。特にご法話の後の座談は、聞いて受け止めたことを仲間と共に確かめていく場である。

「相手の話を最後まで静かに聞くことである。」というこの言葉が、教師としての私にとってこれほど耳の痛い言葉はない。特に「最後まで静かに聞く」は、最も苦手なことである。児童生徒が話をしているのにもかかわらず、それを遮断して持論を展開する。随分前に本山宿泊学習の引率で同朋会館に泊まった時にこの言葉と出会った。その瞬間「相手の話を最後まで静かに聞くことができない。」私の姿が炙り出された感じがした。

お盆で、あるご門徒の家をお参りした。90歳を越える方で一人暮らし、息子や娘は家庭をもち、都会で暮らしているという。お内仏の前で一緒におつとめをした後、おつとめの長さ以上に身の上話をされる。過去の戦争の体験から老いてできなくなってきたことや息子、娘、孫の心配まで。私自身はただ、黙ってひたすら相手の話を聞くだけである。帰り際に「話を聞いてくれる人がいるだけで有難い」とおっしゃったことが印象深い。「相手の話を最後まで聞く」は、その相手を認めること。それが「人間を尊重すること」に繋がってくるように思う。

真宗会館の法話において、ある先生がこの言葉について言及されていた。この言葉は、道理が示されていると・・・。真理といってもいいと・・・。道理や真理を通すと自分の有り様がはっきり見えてくる。聞くということに反している自分が見えてくる。そうすると「聞けない」という事実に頭が下がるということで救われる。それが、真宗の方向性だと話されていた。

「あなたは、相手と向き合って真剣に話を聞いていますか。」「自分の都合のよいように聞いていませんか。」「損や得で話を聞いていませんか。」安田先生の言葉からいろいろと問いかけられる。情けないことに日常に戻ればまたその問いを忘れてしまう。だから、安田先生のこの言葉を思い出し、確かめながら再び「最後まで静かに聞くことのできない私」を見つめていく。

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