光華女子学園

今月のことば

平成29年3月のことば
「病いが また一つの世界を ひらいてくれた 桃 咲く。」 坂村 真民

私事ですが1年程前に病気をし、少し前に怪我をしました。
どちらも予想外の出来事で、日常生活にも支障をきたす生活に、なんでこんなことになったのかと不自由を嘆く気持ちが抑えきれませんでした。職場でも家庭でも周りに迷惑をかけているという申し訳なさで心まで萎れていました。そんな中、家族や友人、また職場の方が常に支えになってくれ、その言葉に言動に、常にありがとうと感謝する毎日を送ることができています。また、この経験がなければ気づけなかった人の優しさや痛みを存分に知ることができました。これはとてもありがたく、大きな経験だったと思います。
昨年末、知り合いの70歳のご住職が「自分は20歳の時に父親が亡くなって、そこから50年間住職をしているが、最近体のあちこち不自由になって初めて真摯にご門徒さんの声が耳に入ってくるようになった。」とおっしゃいました。それまでは、どちらかというと自分は住職だという誇りから「教える」立場でお話されていたそうです。「わしは少し上からものを言うてたんやね。」と恥ずかしそうにおっしゃって、「今は足腰が痛い、ここそこが病気でしんどいとおっしゃるご門徒さんには、痛かろうねと心から寄り添える。偉そうに法話をしなくてもずっと黙って一緒に時間を過ごせるようになったんや。」と話してくださいました。同じ話を聞いても、人は自分の経験値や感性でその話を判断しますから、自分の受け皿に合った分の話しか受け取れないのだと感じます。怪我や病気、失敗等で育った受け皿は人の痛みも受け取れる大きな器になっていくのだと思いました。それらは、仏様からいただいた賜り物なのかもしれません。親子ほど年が違うこのご住職は、私のことを友人だと言ってくれます。格好つけずに自分の話をしてくれるご住職の受け皿は、元々大きなお皿だったと思います。そんなご住職の思い、その他にも傷ついた気持ちを持った人たちの思いを余すことなく思いを受け取れる受け皿を、感謝の気持ちとともに自身も育てていけたらと思います。(宗教部)

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