「ちひさき智慧をふりかざし ほこるわれらのあはれさよ
おのれをすててひたすらに さはりなきみちすすまなん」 (『光華抄』)
これは、光華女子学園を創設された 故大谷智子お裏方のお手製の歌です。
「ちひさき智慧をふりかざし ほこるわれらのあはれさよ」と仰っていますが、ともすれば、私たちは、日常生活で身に付けた知識に溺れ自惚れたりして、分かったつもりになっていることが少なくありません。
「実ほど頭を垂れる稲穂かな」
お裏方は、そうした私たち一人ひとりの中に知らず知らずのうちに生まれた濁った心や思い上がった姿を戒めて下さっているように思われます。
蓮如上人も、御文の中で「あながちに もろもろの聖教を読み ものを知つたりといふとも 一念の信心のいはれを知らざる人は いたづらごとなりと知るべし」と仰っています。
私たちは、親鸞聖人の仰る「無明の闇」((煩悩に囚われ、真実の智慧の明るさのない世界)『教行信証 総序』)に窮しているのかもしれません。善悪や優劣などの相対的な価値観に右往左往し、科学的・近代的な価値観こそが絶対的な智慧であると未だに盲信しているのではないでしょうか。
もちろん、その恩恵は多分にあり、感謝の念も不可欠であることは言うまでもありません。しかしながら、そこにあるのは、やはり「無明の闇」と言わざるを得ません。近代文明がもたらした光の底にある陰。例えば、この夏の異常な暑さに見られる地球環境問題や新型コロナウィルス感染とその対策、さらには核や原発の問題、ウクライナ侵攻等々。形而下の利益を求めるが故に果てしなく続く人間中心社会が生み出した「無明の闇」です。
お裏方は冒頭の歌のように「おのれをすててひたすらに さはりなきみちすすまなん」と願われ、親鸞聖人は「無碍(障りの無い)の光明は無明の闇を破する恵日なり」と断言されています。
浄土真宗の「光」とは「阿弥陀如来」、「いのち」そのものです。本学園の名称の一部ともなっているこの「光」が、ご縁ある皆様の「いのち」そのものを照らし、「無碍の道」として、豊かな人生を歩まれんことを心よりお念じ申し上げます。 (宗教部)
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