パーリ仏典『中部経典』の第131経「一夜賢者経」(片山一良訳『中部』第6巻、pp.136-142)の一節です。ゴータマ・ブッダは「過去を追いゆくことなかれ。未来を願いゆくことなかれ。過去はすでに過ぎ去りしもの、未来は未だ来ぬものゆえに、現に存在している法を、その場その場で観察し、揺らぐことなく動じることなく、智者はそれを修するがよい」と説いてから、上記の言葉を発しました。智者は,過去に縛られたり追憶に浸ることなく、また未来に妄想したり期待することなく、まさに今この瞬間にブッダの教えに導かれ、自分や自分の周囲にあるものごとを正しく観察することに怠ることなく励む者とされています。この言葉に対して、上座部仏教の学僧ブッダゴーサ(5世紀前半)は「『今日はまだ支障がある。明日か明後日にやろう』という気持ちを起こさず、『今こそやろう』というように精進すべきだ」と注釈します。
昨年の頭から新型コロナウイルスが世界的に流行し、私たちは新型コロナウイルスとともに生きる世界に無理やり放り込まれたと言えます。さまざまな制約のある生活を送り、明かりが見えないことに不安を感じながら過ごしてきました。強いストレスにさらされていることから、人々の不満が社会において蓄積されています。自分こそが正義だと思い込み、他者を攻撃する人々の姿を多く見るようになりました。そのような社会の空気の中で、私たちはついついこの状況を言い訳にして、自身の「努め励むべきこと」をないがしろにしてしまいがちです。「このような状況のときに頑張っても意味がないよ」と心の悪魔がささやくのです。言い訳ばかりしてやらないといけないことを後回しにしてしまう心の弱い自分がいます。
上記の経典においてゴータマ・ブッダは、自分の現実をその場その場で確かめることに揺るぎなく取り組む者を智者としています。そこに環境・社会の状況を言い訳にする姿はありません。コロナ前の世界に執着し、またコロナ後の未来を不安視し絶望することに囚われるのではなく、今ここで自分の人生を丁寧に歩んでいくことが大事なのだとこのゴータマ・ブッダの言葉は教えてくれます。この言葉に学び、簡単にあきらめの気持ちを起こすことなく、不安や苦しみが渦巻くときこそ、自分自身を見つめ直し、自身の行動、考え方を振り返っていきたいと思います。自分にとって都合の良い妄想をするのでなく、自分や周りのものごとの真実をしっかりと確かめていくことが、コロナ禍で疲れた心を元気にするためにも必要なのかもしれません。
まだまだコロナ禍は続きますが、それを言い訳にして心を閉ざすことなく、一瞬一瞬の学びを大切にして、日々精進していきたいものです。(宗教部)
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